見出し画像

アニメ『ぼくらの七日間戦争』の感想

 そんなに悪くない一日を過ごした終わりに、ふと思い立って、少しだけ気になっていた映画を観た。劇場アニメ『ぼくらの七日間戦争』2019年公開である。これが予想以上に良かったので、ここに記す。

(※以下ネタバレを含むので注意)








 冒頭、黒画面で主人公の独白で始まる作品に様々な作品が重なる。そして、キャラ紹介と共に映画の伴奏曲が流れ始めた瞬間、思わず声を出して笑ってしまった。いや、さすがに狙い過ぎでしょ...!と。

 作品自体は、かなり精密に計算されており、無駄なくコンパクトに、高校生たちの「七日間」の冒険を描いている。心情描写に併せて天候も動く。水の描写も美しい。

 言い換えれば、新海誠作品の二次創作と言われても気づかない。それほど、新海の『君の名は』『天気の子』が意識された映像と音楽の設計である。ここで終われば、文字通り3ケタは製作されたという「新海っぽい」作品である。

 ところが、この作品はそれだけでは終わらない。そこに監督とスタッフの意気込みを感じた。まず「地方都市に暮らすこと」の圧倒的なリアリティである。議員と土建屋、都会への憧憬、しかしSNS上ではフラットにつながる同期性、在日外国人の待遇問題。

 北海道の限界集落直前の街で、高校生たちが一週間だけ試して戦った解放区の物語。映像の印象、プロットには岡田麿里の「あの花」な感じが浮かぶ。しかしアニメ・ドメスティックな作品と違うのは、圧倒的な日本社会のリアリティから救われるのが、在日外国人であることだ。

 物語の舞台に選ばれたのは、北海道の赤平と夕張である。前者は炭鉱街であり、旧・住友赤平炭鉱立坑跡がある。後者は、言わずとしれた、あの限界地方自治体・夕張市である。

 これらの地方都市での暮らしが記号化されることで、視聴者はより圧縮された現実感を印象付けられる。そして、その大人が感じる閉塞感のリアリティに、祈りと願いとともに光を放つ子供たち。七日間の戦いは、キレイな終わりを迎える。

 リアリティに拘るからこそ、思春期の子供たちの小さな「戦争」が幻想的にノスタルジックに描かれる。わずか88分という尺の中で「七日間」を割り振るために、徹底的に無駄なくコントラストを浮き彫りにしている。監督と脚本の妙と言える。

 加えて、最後に「宮沢りえ」が、「宗田」ナンバーの車を運転して颯爽と登場する。親、学校、警察と今後を思って心配する子供たちに、先輩として大丈夫だと語る。原作以来30年、指輪をはめた彼女は自身の経験から、自分たちの街に足をつけ歩き始める子供たちを励ます。

 徹底的な社会のリアリティ、その間隙を縫って光を放つ思春期の子供たち。彼らの戦いのあとに、中山ひとみ=宮沢りえ本人が現われて「大丈夫」と語る。宮沢の経歴を見ると、納得してしまう。思春期の終わりに出したヘアヌード写真集で物議をかもし、婚約解消、男性関係、拒食症でマスコミから追われ、世間から叩かれ、人々に噂されて、一時は活動休止するに至った。しかし、いま彼女の名を知る人は、押しも押されもせぬ一流女優だと言うだろう。

 現実とファンタジー、その境界に立って仕事してきた俳優による励ましで終幕。大量生産された「新海っぽい」作品かとい思いきや、都市と地方の社会的地図というレイヤーを重ねて、そこに在日外国人の待遇問題を重ねてきた監督とスタッフの意気込みには、正直、恐れ入った。

 宗田理への原作リスペクト、また実写映画『ぼくらの七日間戦争』へのオマージュも忘れていない。しかし、だから「感動した」という話ではない。たった一週間でも「解放区」を作るために戦う子供たちのように、監督とスタッフは、同作品を「解放区」として視聴者に見せている。子供たちは大人が廃棄し忘れ去ったもので遊びながら光を放ち、自らを確立し、それぞれの道を歩もうとしている、と。そんな時代を誰もが持っていたハズだと。

 そんな思いが、徹底的に計算し尽くされた上で「新海っぽい」商業的成功を愚直にまで予定調和的に狙って、コンパクトに提出されたのが、本作品だといえよう。ほぼ原作や映画と同じ時期に生まれた村野佑太監督によるウェルメイドな商業作品である。流行と経済をうまくサーフする作家性とでもいおうか。その巧さこそが、この作品の小気味よい快感を生んでいる。

 では、最後に残る疑問をいくつか。まず、この作品への十代の反応である。果たして、作品の主人公たる世代は、どのように本作を観て、何を思うのだろうか。そのあたり、非常に興味深いが、不惑の独身男には、中高生と話す機会などないので、そこは不明である。もし誰か知っていれば、こっそり教えてほしい。

 次に、これはオールドファッションな物言いであるが、いわゆる宗教・人文学やら思想・哲学やらの面倒な大人からすれば、この作品で描かれている「青春の自画像」問題を、あまりに「本当のわたし/気持ち」として描くのは、それなりに弊害があるのではないか、と思った。中高生時分の願いや思いは移ろいやすい。大人は誰でもそれを知っている。

 もっとも、こんな話が判るのは、劇中だと議員の老秘書か、または公務員の現場責任者のおっさんくらいであろう。このあたり、どれくらいの大人がそう思ったのか、気になるところである。無論、製作側はこれらも折り込み済みなのだろう。

 以上、書いてみれば大変凡庸な感想ではあるが、個人的に、前情報なしで、とくに期待もせずに観たので、かなり楽しめた。観るものに迷ったら、観てみると面白いと思うので、オススメです。


無料公開分は、お気持ちで投げ銭してくださいませ。研究用資料の購入費として頂戴します。非正規雇用で二つ仕事をしながら研究なので大変助かります。よろしくお願いいたします。