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友愛の政治経済学――『Brotherhood Economics』冒頭の註解:番外篇 賀川の「景教」理解

 賀川豊彦は「東洋には、ちょうど1300年ほど前、ネストリウス派のキリスト教が存在した…ただ教理を説いて、キリストの愛を教えようとしなかった」と記している。ここに賀川の時代性が「景教」理解として、よく表れている。

 言うまでもなく、1549年ザビエル以前のキリスト教「日本伝来」は都市伝説である。現時点では、確たる歴史的証拠がない。「到来していない」証明は不可能であるし、到来していたとしても何ら不思議ではない。しかし、現時点では、確たる歴史的証拠がない。だから「伝来の可能性」には開かれている。

 賀川が言及している景教の教会とは「京都の太秦寺」である。当然、「秦氏はユダヤ人であった」等の偽史言説とも繋がっていく。「日ユ同祖論」などに明るい人ならば、空海が景教に触れて、漢訳の旧約聖書を持ち帰り真言宗の祖となった、または最澄が新約聖書を持ち帰り、天台宗開祖となった等の与太話を聞いたことがあるだろう。

 この「空海」の都市伝説は、司馬遼太郎、陳瞬臣らの大衆小説によって人口に膾炙した。史実とは異なっている。空海が景教徒にあったことは事実であろうが、反目して物別れとなっている。司馬遼太郎が書くように感銘を受けてはいない。このあたり、たしか「幻想のネストリアン」と題して、井上章一『日本人とキリスト教』に書いてあったように思う。記憶違いかもしれない。

 そもそも高校世界史などの教科書が間違っている。景教とネストリウス派を同一視することは誤解を招く。以前、仕事で教科書の校閲を行ったことがあるが、事実誤認や誤解が多かった。高校レベルの学習段階では、少なくとも固有名詞を登場させることが目的だとはいえ、ちょっと問題ではないか、と思った。

 近年の「景教」研究の動向については、武藤慎一『宗教を再考する 中東を要に、東西へ』(勁草書房、2015)がオススメである。武藤の言葉を引いておく。

日本では東シリア教会が『ネストリウス派』とよばれてきたが、これは誤った名称(蔑称)なので、使わないほうがよい。もちろん、シリア語圏中心の初期シリア・キリスト教とギリシア語圏のアンティオキア学派の影響を受けた東シリア・キリスト教との間の相違点もある

 「景教=ネストリウス派」という表現は、誤解を含む。たしかに五大教区アンティオキアの一部「東シリア教会」が中国に到達していた(635-840年代)事実はある。しかし、ネストリオスはアンティオキアの人ではなく、「コンスタンティノーポリ総主教」である。政争に敗れて、異端とされた司教である。一方、中国に到達した「東シリア教会」は、アンティオキア主教座下にあった。基本的に、ネストリオス本人、ネストリウス派、景教はそれぞれに区別が必要である。

 では、なぜこのような誤解が広まったのか。これら「景教」に関する誤解は、西方ラテン教会の史料を採用してきた過去の「教会史」研究の過誤である。平たくいえば、ローマ・カトリック出身の研究者ばかりに偏っていたゆえのミスである。

 ローマから言語的・地理的に距離のある「東シリア教会:合性論」と「ネストリウス:二性二人格論」は、西方ラテン教会にとっては「異端」とすることで事足りたに過ぎない。

 なお「東方諸教会」については、三代川寛子 編『東方キリスト教諸教会――研究案内と基礎データ』(明石書店、2017)が詳しい。ぜひ購読されたい。

 賀川は、ジョン・スチュアート『景教東漸史―東洋の基督教』豊文書院1940に共訳者として参加している。それらによれば、景教僧「利密」が日本宣教を行ったと言われるが、詳しくは不明である。

 賀川に限らず、当時の知識人の多くは「東周りのキリスト教」を好んだ。想定される理由は、近代の基礎となる宗教は、すでに日本に伝来していた方が「近代日本」という自画像にとって好都合だったからである。

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 余談ながら当時の「景教」研究は軍事研究の一環であったことは覚えておいてよい。軍政下における人文学は、そのまま専守防衛・先制攻撃のための「地域・言語・思想・文化」の研究を意味していた。つまり、今では冷や飯も食えない文系博士の院生は、数十年前の軍政下の日本なら、温かい食卓にありつけたかもしれない。

 具体例を挙げておく。たとえば、日本における「景教」研究の先駆者・佐伯好郎は訳書『元主忽必烈が欧洲に派遣したる景教僧の旅行誌』(春秋社、1942)の再販自序には、帝国版図拡大という時代精神がよく表れている。抜粋しておく。

「本書の初版が刊行後数年にして絶版」「軍国多事の重大時局下にあって本書の再販が充計せらるる如きは、大日本帝国臣民として生を 聖代に享けたるものの光栄にして著者の面目これに過ぐるものはない」「皇国三千年の歴史」「元寇撃滅の決戦が支那朝鮮は勿論、全欧州諸国等に及ぼしたる影響と世界歴史的の意義とを一層明確に把握し、所謂西欧基督教対支那思想問題に関する認識を是正し 皇国臣民としての重大使命に対する各自の本分を一層深くかつ明らかに自覚し、戦線銃後共に一団となり一億一心、全身全力を挙げて聖戦完遂のために国民的責務を遂行するの一助となることを得」「茲に重ねて謹み慎みて恭しく広大無辺なる 皇恩に対する感謝と感激の徴衷を表し奉りて序文となす」

 人文学の研究を続けるのに、軍政下であるべきか否か、というのは興味深い問題であり、SFの話題にもなりそうである。話を戻そう。賀川の「景教」理解である。

 賀川も当然ながら時代の子だった。『友愛の政治経済学』を講演し、著作として出して10年待たず、賀川も参照した佐伯の訳書は再販された。上記のような時代の空気が溢れていたのだ。

 賀川豊彦には瑕瑾がある。それは、天皇礼賛、戦争協力、差別発言の三点だと言われる。どれも「時代精神」の表れだ。これらは21世紀においては、瑕疵と見なされるが、当時においては通常のことであった。

 本稿の目的は、賀川の「景教」理解の時代的限界を示すことにあるので、ここで筆を置かねばならない。

 ただ一つ言えることは、学術的成果は、つねに更新されることを待っている。それは、いわば仮庵なのだ。一寸先の未来に、明日には、数年後には、新たな世代の研究によって、より精緻に厳密に確実に、ある事実と解釈に関する解像度が上げられていく。その意味で、「景教」研究は見事に、学問の学問たるゆえんを示している。ここに「人類」の広さ、長さ、高さ、深さを知る喜びと悲哀がある。そして、それこそが人文学の醍醐味のような気がする。

 「人文学はゴミ拾い」だと先輩が言っていた。なるほど、と思う。遠き昔日の残り香が、古書や文字に史料に史跡に漂っている。それらは、ほんのりと、現在のぼくらに過去と未来の連続性と非連続性を示し、ぼくらを相対化するように語りかけている。

 「現代のキリスト教的プログラムのために何が必要なのか」

 さあ、何が必要なのだろうか。問いには答えあぐねてしまうが、明日のことは明日が心配するのかもしれない。

友愛の政治経済学――『Brotherhood Economics』冒頭の註解 完

(各記事リンク:番外編

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