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友愛の政治経済学――『Brotherhood Economics』冒頭の註解 2

 本連載は、賀川豊彦『友愛の政治経済学(原著"Brotherhood Economics" (London, 1937)』の第一章までの要約と註解である。では、経済学者・野尻武敏(1924-2018)の「監修者まえがき」から、本書の特徴と方向性を述べた。

 賀川豊彦(1888-1960)は、近代的課題「宗教と国家」の二項対立に「人々=協同組合」を入れ、国際社会の調和を求めた。教会、国家、協同組合、この三者の協働こそ、賀川の「社会≒神の国」理解だった。本書は、彼が戦後に傾倒する「世界連邦運動:WFM」への動機、その構想として位置付けられる。

序文の抜粋

17頁 「今日ほど、キリストの教えが挑戦を受けている時代はかつてなかった。もし教会が社会において愛を実践しようとするのであれば、その存在理由はあるだろう」「信条や教義とともに、社会での贖罪愛の適用が必要なのである」「生産者と消費者の間の溝を兄弟愛をもって架橋しなければならない」「相対性や量子力学の理論は19世紀の物質概念を完全に放棄し、固定的な決定論を可能性の世界へと転換させた」「私は、本書において、心理的ないし意識的な経済を通して新しい社会秩序に至る新たな道を見いだそうと試みた」
18頁 「初稿は米国に向かう太平洋上で執筆した」「最初に日本語で執筆」「学生諸君が英文原稿の表現を検討」「教授らのご好意により、幾分か拡大され、形も整えられた」

解説

 上掲抜粋のように、賀川は「キリスト教」の存在意義として社会参与を訴える。社会参与の方法として「経済=生活」という分野が視野に入っている。また、賀川にとって20世紀における科学の飛躍的進歩は、物質の内奥に働く「意識」の力、「可能性の世界」へと人類を導いた。その観点から、賀川が提唱する「主観経済学」が選択肢となる。

「主観経済学」とは、監修者・野尻曰く「経済現象を客体化し経済諸量の関数的関連の分析に中心をおく通常の経済学」ではなく、「経済する人間の側から目的論的に捉える経済学…「人間経済学」や「主観経済学」」である。「決定論的な唯物論を拝して、理想主義的な唯心論の立場をとる」「人格と兄弟愛の経済活動と経済社会の形成が求められる」。その「制度化は、助け合いの協同組合の覚醒」にある。

 執筆事情には「賀川らしさ」があるので興味深い。野尻は三百超の著作について「執筆は多分、自宅や旅先の深夜か、渡航の船の中だったに相違ない」とするが、当たらずとも遠からず。

 賀川の高談雄弁、多筆多作に対応するために、賀川の周囲には常に秘書や筆記係が数名いた。彼らが口述、談話、講演を書きとり、賀川がそれを後から確認修正して出版した 。

 書記については確認できるだけで13名、秘書は数十名と言われる 。加えて、賀川の「執筆」全集化では、弟子・武藤富男の編集と編纂が行われている。つまり「賀川豊彦の執筆」には、聖書学にも似た文献学的課題が潜む。

 それゆえ『友愛の政治経済学』執筆もまた、多くの英語圏の人々の助けによって成立している点は見逃してはならない。なぜなら「賀川豊彦」とは、一思想家の名前であると同時に、彼の思想・実践に共感した人々によって「幾分か拡大され、形も整えられた」全体に他ならないからである。「思想における人称の共同性/協働性」は、「賀川豊彦」研究において、他の思想研究よりも明確に意識せざるを得ない。言い換えれば、思想の基礎に、すでに「brotherhood:兄弟愛、友愛」という複数性が前提されている。

 では、その思想は何を問うたのか。第1章は三つの小題で構成される。

第1章 カオスからの抜け道はあるか
 1. いま問われているもの
 2. 私の歩んできた道
 3. 新しい道を目指して

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 まず小題1「いま問われているもの」の抜粋と註解を行う。前回と同様、括弧内「」が、本文であり、地の文は解説のための補足である。

小題1:いま問われているもの
19頁
 「飛行機」「ラジオ」「テレヴィジョン」「際限なく発明や知識を生み出す力を有する」「この世界は不安にさいなまれ、貧困の責め苦に喘いでいる。世界は混沌とした状態」であり、「過剰生産、過剰な労働や知識層の存在からくる苦しみ」がある。「私たちは欠乏のゆえではなく、過剰のゆえに苦しんでいる」。「レッセ・フェール製作がわれわれを地獄のなかに突き落とし」た。「世界には6億人のキリスト者」がおり「キリスト教国は文明国」であるにもかかわらず、「なぜこれらの国々で戦争が絶えず、社会はいつまでも失業や恐慌の脅威にさらされ続けているのだろうか。東洋人がキリスト教に接するとき、先ずこのことに疑問を持つ」

20頁 「キリスト教の教理は正しいし、私自身、心からそれを信じている」「キリスト教の顕著な特徴は、それが愛の宗教であるということ」「教理として愛の義務は魅力的」だ。「もし私が日本において同胞をイエスへと導こうとするならば、私はキリスト教が西洋諸国において現代社会の深刻な問題を実際に解決しつつあることを示さなければならない」。日本人は、キリスト教の「本拠地と考える西洋諸国でのキリスト教の実績に注目」している。「東洋をキリストへと導くためには、先ずもって、西洋での経済再建において何にもまして有効な事柄を解き明かす必要がある」

21頁 「世界全体の状況へと関心と責任感を拡大」し、「社会・経済問題の全領域にたいしキリスト教徒の責任の取り方を見いだしていかねばならない」。「キリスト教の世界伝道の大敵は共産主義の世界伝道」であり、教会が受けている「大いなる挑戦は、キリスト教が経済再建の問題に解決を与えることにある」。
 「伝道者として、現代史の学徒でもなければならない」。「教会が人間の生活全体を満足させる福音を説いてはいない」。「マルクスの共産主義が勃興してきた理由もそこにある」。「教会を正しい道に連れ戻すための神の鞭のようにイスラームが出現」した。「革命的な共産主義が私たちを鞭打ち、教会の真の使命へと…覚醒させてくれる」。「キリスト者は世界的な友愛運動」、「愛の有効な行動を展開することによって、この挑戦に対応」すべきである。

 以下、語句を解説しておく。

• 「レッセ・フェール政策」→仏:laissez-faire、市場原理主義、新自由主義。市場への政府介入の極力排する政策思想である。

• 「世界には6億人のキリスト者」→2018年時点、約23億人といわれる。

• 「キリスト教国は文明国」「なぜこれらの国々で戦争が絶えず、社会はいつまでも失業や恐慌の脅威にさらされ続けているのだろうか。東洋人がキリスト教に接するとき、先ずこのことに疑問を持つ」→内村鑑三の失望と比較可能である。説得するにも具体的な実例をもってこようとするあたり、賀川らしい。無論「東洋:西洋」という区分けは、現代では通用しない。

• 「キリスト教の教理は正しいし、私自身、心からそれを信じている」「教理として愛の義務は魅力的」→前者は、賀川にしては珍しい発言ながら、米国市民へのリップサービスの可能性も否めない。後者「愛の義務」という表現は、賀川らしい。たしかにキリスト教とは「愛の義務」である。

• 「教会が人間の生活全体を満足させる福音を説いてはいない」「マルクスの共産主義が勃興してきた理由もそこにある」→日本におけるマルクス主義とキリスト教の受容については、古典的名著として、丸山眞男『日本の思想』(岩波、1961)がある。また、教会内部のものでは、日本基督教団宣教研究所『出会い―日本におけるキリスト教とマルクス主義』(教団出版局、1972)などもある。

• 「キリスト教の世界伝道の大敵は共産主義の世界伝道」「大いなる挑戦は、キリスト教が経済再建の問題に解決を与えることにある」→2017年、ロシア革命から100周年を迎えたが、20世紀前半は、様々な政治・社会改革のために、さまざまな思想がしのぎを削っていた時代である。戦後も唯物論・無神論的な共産主義は、冷戦期に至るまでキリスト教の論敵であった。

• 「偶像礼拝」「神の鞭のようにイスラームが出現」→前者は787年、イコノクラスムを受けた第七全地公会への言及である。後者は、旧約聖書イザヤ書にある思想である:Isa.ch10v24『…アッスリヤびとが、エジプトびとがしたように、むちをもってあなたを打ち、つえをあげてあなたをせめても、彼らを恐れてはならない…』

 小題1「いま問われているもの」概略

 賀川は、『友愛の政治経済学』冒頭で、何を問うているのか。賀川曰く、科学の進んだ世界における「貧困」は、「人格・人間・心」を踏まえない「経済」にある。もし日本でキリスト教を宣教したいならば、まず宣教してきた西洋諸国において「経済」が「人格・人間・心」を踏まえて改善されなくては成功しない。さらに「経済」は、西洋だけでなく、日本と東洋においても同様の問題である。

 現在、人々の求めに応じ、答えているのは「マルクスの共産主義」であるが、キリスト者こそ、世界「経済」問題に責任を持ち、運動すべきである。

 すなわち、賀川にとって「いま問われているもの」は、政治的、社会的、国際的、思想的な混乱と貧困である。彼は、それを「カオス」として名指し、カオスの最中にある「キリスト教の使命」を、共産主義が果たしている、という。

 聴衆は、米国のキリスト教徒である。東洋・新興国から出てきたみすぼらしい男が、自国の貧困のみならず、世界経済とキリスト教を批判し、改善≒革命を訴える様子は、当時の人々にとって、かなりの衝撃的だった。日本≒アジア≒東洋目線で、西洋=キリスト教社会=帝国主義列強国≒アメリカを相対化しようとした賀川の狙いが見てとれる。

 「西洋=キリスト教社会」の相対化と批判は、次項において、より明確となる。(次に続く。本連載は、、2、、4、番外篇。)

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