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「日本」の後始末 ※映画の感想

 映画『大怪獣のあとしまつ』を劇場でみてきた。コロナ罹患後の隔離明け、久しぶりの外出第二夜である。「怪獣」も、その「戦後」も大好きなテーマであるし約1分の予告動画からは大きな期待を感じていた。いざ映画館へ。以下ネタバレを含む感想である。

 観劇の結果、思った。「うーん、youtube動画の連作短編なら理解できるけど、映画としてコレはいいのか」…うまくは説明できない。個人的な違和感を言語化しておく。おそらく本作は、大災厄の後始末という一大事の中に「大怪獣」という虚構を挟むことで、シリアスな手続きをコメディ・タッチで描くことを目的にしていたと思われる。

 それは怪獣到来による厳戒体制下の社会をコロナ禍と重ねて描いた点にも表れている。しかしながら、本作はコロナ下社会のような深刻さはない。作品冒頭で腕利きの特務隊員が防護服も無しに膨張した怪獣の表皮をつついて体液を浴びる描写がある。コロナ社会を経験したぼくらなら、すぐに気付く。あぁ、この作品のリアリティはその程度なのだな、と。

 少なくとも、ぼくはこの時点で、この映画がタイトルに掲げた「怪獣の後始末」というテーマを真剣に取り扱わないものであると判断した。では、別のテーマを描くドラマであるはずだ。しかし、そのテーマは劇中、どの登場人物からも提出されない。

 結果、まず手続きのすべてにシリアスさを欠いてしまう。可笑しさ、滑稽さの地盤となるべきシリアスさを欠くから、狙った笑いがことごとく滑っていく。ぼくが唯一笑えたのは名作『AKIRA』へのオマージュだけだった。

 さらに「怪獣の後始末」というテーマで日本社会を描くにしても、それによってどんな日本を描きたいのかが見えてこない。結局、観客は置いていかれたままとなる。劇中、ヒロインと思しき女性が「置いてけぼりはイヤ!」というセリフを繰り返すが、それだけが観客と作品世界をつないでいる。加えてヒロインは最後に「御武運を」と敬礼してしまうのだから、まさしく怪獣よろしく本作は観客から遠く離れて消えて星になる。

 終幕直前には続編への告知が為された。もし続くのならば駄作の顛末への興味から観たい気はしたが、ワクワクしながら劇場へ行くことにはならないだろう。製作側は本当にこんな後味をぼくら観客に残したかったのか。そこだけが疑問である。

 もろもろ考えながら帰宅して、映画『怪獣の日』を見る。正直にいって、こちらの方がよほどスッキリとまとまっており娯楽としてもイデオロギーとしても成功している。『大怪獣のあとしまつ』は、皆が思うとおり、始末に負えない感じがある。

 そして改めて思う。日本人にとってのミリタリ趣味や怪獣映画は、勝てなかった大東亜戦争、戦えなかった「戦後・日本」の夢の影なのだろう。ドメスティックを究めることは、たしかにグローバル展開の起点である。しかし少なくともドメスティックな経済関係だけが浮き彫りになった『大怪獣のあとしまつ』は、どのような始末がつくのか、ぼくのような観客にはよく分からなかった。

 そんなことを思いながら、ふと庵野監督が出演する伝説的映画『デスカッパ』を思い出したり、明治時代のSF作家・押川春浪から着想された『新・海底軍艦』などを思い出した。

 ぼくは怪獣映画が好きだ。この感想を書いて思ったが、ぼくは『大怪獣のあとしまつ』に、どこか『魔法少女まどか★マギカ』のような批評性を期待していた。言うなれば、少年ジャンプに対する『幽々白書』のような立ち位置。マーベルに対するDC作品群。しかし、そうではなかった。

 もし『大怪獣のあとしまつ』が、その余韻のごとき始末に負えない「日本」を描こうとしたのだったら成功しているかもしれない。この作品のような「日本」の後始末はどこで誰がつけられるのだろう。しかし、やはり、この作品はそんなことは狙っていなかったのではないか。やっぱり微妙な後味だと思う。


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