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キリスト教について

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「キリスト教理解」の理解について
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2020年2月の記事一覧

松原傳吾と仙台の横顔

 夕食に出かけようと、先日ブックオフで捨て値で拾った本をつかんだ。塚本哲三編『浮世風呂/浮世床』(有朋堂文庫、1927年)をポケットに入れたつもりだった。ソヴィエト連邦のプロパガンダを研究する友人と会って、河原町・丸太町でハンバーグを注文する際になって、気づく。違う本を持ってきていた。  セヴラユー著/松原傳吾訳『死後の運命』(日本評論社、大正10年)である。「大正生命主義」まわりで研究資料として買った本だ。たしか沖縄の古書店BOOKSじのんで見つけ、荷物になるので後から探

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聖書とナニナニ

 畏友より質問をもらった。テーマは「聖書と性」。たとえば、あからさまに女性蔑視と見える聖書の記述がいくつかある。以下は有名なところだ。事実、歴史的に何度も槍玉に挙げられてきた。  男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。

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原罪について

 友人と「原罪」理解について話す機会があったので、少し考えている。個人的な話をすれば「原罪」とは、ぼくが最初に触れた、もっとも了解可能な教会の教えだった。  ぼくにとって思春期から青年期は、自己を巡る懊悩と煩悶の別名である。だから「原罪」とは、自己否定への宗教からの肯定であり、自己批判の外なる根拠だった。いま思うと、いささか悲観的に過ぎる若きウェルテルの悩みとでも言おうか。ナイーヴに過ぎたように思う。  皆が仕事を持ち、家庭を持ち、車を買う二十代を費やして、ぼくはキリスト

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