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キリスト教について

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「キリスト教理解」の理解について
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2019年9月の記事一覧

神による伏線回収

 最近、神に蒔かれた色々なものが形を見せてきた。そう感じることが多くなった。とくに大成したわけではない。「大器晩成」という語があるので、この先を期待したい気もするが、空の大器になりそうである。  大げさなことではない。少年の頃に好きだった話題に関して少し仕事をしたり、中高生の頃に憧れた南国暮らしを試してみたり、または愛したアニメの15周年記念イベントに参加してみたり。  ぼくの人生という畑にぱらぱらと蒔かれていた種が、いつのまにか根を張り、繁り、小さく咲いている、そんなイ

イエスの腹筋 〜天の身体について〜

 以前、教会で看護師から「痩せるべき」と言われたことがある。ぼくを見る誰もが思うところで、それは了解する。6パックならぬ、立派な3パックである。しかし、その理由は納得できなかった。太っていることは「神の御心」に反するから、という。可笑しくて吹き出したことを覚えている。  その人によれば「標準体重」とは神の御心に適った身体なのだ。ぼくとしては、顔面、性格、見た目ともに神の御心に適わず大変申し訳ない…メーカーとデザイナーにクレーム上げとくので勘弁して頂きたい…とお詫び申し上げた

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祖先崇拝とキリスト教

 大昔、まだモーセが生きてた頃に「祖先崇拝は偶像崇拝だ!」と教会で教わった。そういえば、モーセはたぶん3200年位前に死んでるので、時期は勘違いしているかもしれない。  要するに仏壇を拝むか否か、焼香するか否か問題である。その後、ある教会で「記念会」が行われているのを見て、驚愕し、訝った。礼拝堂で死者の写真を飾り、彼らの思い出を語るという会は、形式としては仏教の葬儀と何一つ変わりないからだ。  当時の牧師に聞いてみたが「死んだ家族の記念会は問題ない」との答えがあった。思わ

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