[読書]哲学に入門した
今回は「史上最強の哲学入門」という本を読んだので所感をまとめようと思う。(アフィじゃないよ)
# 動機
当書を読んだ同期は大きく二つある。
一つは、今働いている会社の背景に哲学があることだ(実際に哲学を推している)。もちろん全員が哲学者なわけではなく、自分は web エンジニアとして働いており、哲学的な背景も一切ない。
ここで、せっかく哲学的な側面を持つ会社に勤めているのだからちょっとやってみるか(というより、やっておいた方が良いのではという焦り)があった。
二つ目は、人生の解像度低すぎ問題に直面しているためである。
要は、今自分はなんのために生きていてどこに向かっているのか。どうすればより幸せになることができるのか(すでに幸せだと思っているが、)。
と言った感じに人生を深く考えてこなかったことへの焦りがある。
こう言った深く考えるを急にやることは難しいのでそれに近しい学問である哲学を通してある種自分の中の「真理」を見つける手掛かりにしたかった。
# どうなった?
結論として、上述の目的二つは割と満たせた。
哲学への駆け出し
一つ目の哲学への駆け出しは、当書のタイトルに「史上最強の哲学入門」とある通り、哲学なんもわからん状態でも楽しく読めた。なんなら、もっと早く出会いたかった。
当書では「真理」「国家」「神」「存在」の4つの章で著名な哲学者の主張が展開されている。特に歴史的な背景から説明されているので、なぜその考えに至ったのかの道筋が非常にわかりやすい。
ちなみに哲学の考え方は螺旋の様に同じ思想に戻ってきている。もちろん進化はしているが、常に全く異なる思想に至るというものでもない。
この部分はWeb技術でもよく似た話があり、技術の螺旋と呼ばれていたりする。他にも「ファッション」の分野でも、昔流行ったったものが周期的に流行ったりすることが知られており、どの分野でも歴史は繰り返されるということはある種の人間の思考の幅を現している様で面白い。
人生の解像度
2つ目の人生の解像度についても良い答えが得られた。
前提として、絶対的な人生の正解はない。個々人で「良い人生とは?」という問いに答えていくしかない訳だが、これがなかなか難しい。
この問いに哲学者たちは答えてくれている訳だ。
自分はニーチェの「超人思想」というものが気に入った。
超人思想とは「力への意志」に忠実に生きようということ。もっと噛み砕くと「強くなりたい」という人間の根源的な本能に従った熱い気持ちを大事にするということです(つまり、若くてお金持ちで健康で物理的に強い状態)。
ずっと「本能に従うのは良くないことだ」と暗黙的な雰囲気があり、理性的にふわふわしたこと(社会貢献!とか)を言わないといけない風潮があるが、もっと本能的でも良いじゃないかと思えた。「超人思想」ついて学べば解像度も高くなりそうな手応えも得られた。
# 当書の中身
前述したように「真理」「国家」「神」「存在」の4つの章から構成されて
いる。
真理
最初の「真理」ではこの世の絶対的な価値観(自然科学でいう第一原則的)があるかどうかということ。
時代は遡り紀元前。「プタゴラス」が「人間は万物の尺度である」と唱える相対主義(価値観は人それぞれ)から章が始まる。
でもそれだとみんながバラバラの方向を向いてしまう。「国家はどうあるべきか」「水の温度はどれが最適か」など、みんなそれぞれだよねと思考を止めてはならない。そこで「無知の知(知らないと思うことで知りたいと思える)」で有名な「ソクラテス」が登場し、人類の真理への追及が始まった。
その後に「デカルト」が「我思う、ゆえに我あり(疑っている自分の存在は疑えない)」から絶対に自分という存在を第一原則として導き出し多くの哲人が真理を構築していく。
途中で出てくる「ヘーゲル」弁証法によって考えをぶつけ合わせることで真理へ近づくという考え方や「デゥーイ」の実用主義(役に立つかどうかで有用性を考える)は面白かった。それらを経由して「レヴィナス」の他者論(どこまで行っても私の主張を否定する存在が出てくるので絶対的な真理はない)から近代の結局、真理はなくて人それぞれだよねという相対主義に戻ってくる。
国家
次の「国家」では国家はどの様にあるべきかという真理の追及である。
政治体制はある程度身近な話で「君主制」「貴族制」「民主制」の三つであり、どれを選んでも結局腐敗するよねというもの。
ちなみに今の日本は「新自由主義」で、基本的に自由に競争をする。国家は制御をしない、むしろ競争をしやすくなる様に規制を整えるのが役目であるみたいな感じ。
神
三つ目の「神」は宗教の話。
とりあえず、「ニーチェ」が「神は死んだ」という名言を残しており、自分もいつかこの言葉をドヤ顔で言ってみたい。
存在
最後は「存在」の話で。モノが「ある」のあるってどういうこと?という話。
自分は原子的な構成〜〜みたいな話かと思っていたのだがそれは間違えで、認知の話だったことに気づいた。
モノは原子から構成されておりミクロレベルではこの原子が結びついて構成されているというのは化学で習ったと思う。
では、あなたがそこに「いる」とはどう説明しよう。たとえばあなたが死んだ時にあなたを構成する原子は無くなるだろうか?答えはなくならない(多分、学門的に間違ってたらごめんなさい)。原子の結びつきが変わるだけである。じゃあこの状態であなたは「いる」のだろうか?おそらく答えは「No」だろう。
つまりモノが「ある」というのは以下の状態である
1. あなたがいる
2. あなたが認知できる範囲
3. モノを区別できる
区別できるかどうかが肝で、たとえば道に落ちている石ころを区別できない様な話。
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