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雑記_2011年・2016年・2018年・2020年


2011年

06月03日 大腸内視鏡検査を受けた・自転車ですっ転んだ

大腸内視鏡検査を受けた。前日から食事を減らして洗腸液や下剤を飲んで検査に臨んだ。検査の担当者の練度によっては痛い思いをすることもあると聞いたが、それほどではなかった。二三十分かかるとは聞いていたが少し時間を長く感じた。検査後は鎮静剤が効いているため一時間ほどベッドで寝てから医師の所見を聞いた。

結果としては腫瘍など今すぐ対応する必要がある深刻なものはないが、よくわからない青い斑点のようなものがみられる(大腸内を染色してみた結果)という。採取した組織を検査した結果が来週の水曜日に出てくるまで正確なことはわからないのだが、「クラミジア」の可能性があり、「失礼ですが……」と性風俗店などでアナルセックスをしたことがあるかと聞かれた。

いや、無いんだが……。

その後、病院で胃カメラの検査も受けたが特に異状はなかった。その帰りに自転車のハンドルに傘をひっかけて運転していたら傘が前輪に巻き込まれて、身体が前のめりに放り出された。顔面が路面にこすりつけられて出血、正面の前歯二本がそれぞれ〔歯茎から出ている部分の〕半分と五パーセントほど欠けてしまった。

【教訓】傘をハンドルにひっかけるのはやめましょう。


2016年

06月26日 愛、アムール

昨晩(2016年06月25日)は「愛、アムール」という映画を拝見した。介護を材料にとっていて、他の方の感想には「キレイごとだ」といった現実と比較しての感想もあったが、私は「画面に映されないか、怖いものである「外」が最後に怖いものでなくなる話」と受け取った。窓やドアの演出では「閉める・閉じる」描写が印象的。

他の方(男性)の感想には「男性側の目線の作品」という感想があり、腹落ちがあった。老人は閉じ方・閉め方・終わらせ方を重視しており、忍耐力・感情の抑制力も異常にある。秩序と美意識ある生活を貫徹させたいという意志を感じる。それを「愛」と解釈するなら「夫婦愛」というよりも男性的に感じる。

なお「愛、アムール」は2012年の映画、127分。原題はAmour(フランス語で「愛」)。墺・仏・独共同製作の作品でした。


2018年

1月11日

レニングラード大攻防1941という映画をみた(原題は「火薬」だそうだ)。火薬の専門家である主人公が火薬輸送作戦を実施するのだが、何もかもうまくいかないという映画。ドイツ空軍の機銃掃射のなかひたすら火薬を運ぶ。死ぬ。

1月14日

「ベラルーシ侵攻1942」というロシア映画をみた。例によって勇ましい表題だが、中身にふさわしいものではない。ベラルーシを攻めるところからではなく、既に占領されたベラルーシに、避難先の村から戻った孤児たちが、ナチスとソ連のパルチザンの間で困窮するという話だ。ナチスの残忍さにはそれのプロパガンダも入っているだろうが、無根拠なわけでもあるまい。物悲しいが悪くない映画だった。

01月16日 ヘーゲルの概念総論

昨日はヘーゲルの「概念総論」について解説した記事を読んでいた。概念総論は大論理学の本質論から概念論への接続部分に当たるそうだ。

ヘーゲルはカントと経験論者を批判する。ここで課題として与えられているのは、感性が与える多様を悟性(知性)が概念化(分節化)するときに、悟性が感性から何の制約も受けずに自由に働くとすれば、果たしてその概念は多様を反映した「知識」と言えるのか? ということである。

ヘーゲルの立場としては、この課題にカントは解決を与えていない(カントの立場を主観性の形而上学に過ぎないと評価する)。

では、概念が知識足り得るためにはどのような立論を構えればよいのだろうか? ヘーゲルはここで「客観性」の概念を書き換えて、カントとは異なる立場を採用する。ヘーゲルは思惟よりも手前の多様に客観性を置くのではなく、思惟されて初めて対象は客観性を獲得するのだという。

どういうことだろうか? ヘーゲルは多様のなかに既に本質があり、それは思惟される、すなわち概念化されたとしても保存されるとする。思惟=反省によって多様のなかの本質が浮き彫り・明示化され、概念は「自己に還帰する」。このような多様と概念とにまたがる反省という構造の成立によって、客観性が初めて成立するという。

長くなったのでここまでにしておく。

01月25日 ヘーゲルからソシュール

ヘーゲルはアンチノミー、あるいはディコトミーという同じ主語に対立する述語がつけられてしまうという事態に対し、それは前提される述語のあり方に問題があるとしたという。

述語を語彙として捉え返せば、ここから、ソシュールの言うような語彙による世界の恣意的な切り取り、すなわち言語的=文化的制約にアンチノミーの問題点を求めることができると思う。どうにか具体例に即して論じたい。

02月13日 独ソ戦・レニングラード

独ソ戦のドキュメンタリーをみている。二年半も敵軍に包囲され市民が深刻な飢餓に陥った話、敵の砲火が降り注ぐなかわずかな橋頭堡を決死の覚悟で守ったが全滅した話、狼狽して決断できなくなった司令官の話、敵の攻撃に備えて塹壕が7,000キロ(ロシアからスペインまで欧州を横断できる距離)掘られた話、何十万人もの死傷者と引き換えに編み出された戦術の話など、たいへん興味深い。

02月14日 全縦深同時打撃・グライス・体調不良

  • 史実における全縦深同時打撃の事例をみた。

  • グライスのNNMについて理解を深める。行為の意図なるものを再帰的に定義に食い込ませる意味はあるのか。

  • 昨日飲んだ市販薬の副作用か、ひどい体調だった。有名な薬だから期待もあったけど、私にはあわない。

02月17日 哲学道場例会・オスカーベッカー

オスカーベッカーはハイデガーとあらゆる概念において、真っ向対決したという話をきいた。例会参加者五名で盛り上がった。

04月10日 いつもの薬を切らした・アンチノミー山田論文

昨日は寒かった。今日も寒いらしい。いつも服用している市販薬を切らしている。

反省論におこる矛盾の解釈は、他の箇所の理解や、アンチノミーの理解に影響を及ぼすのだろうか。それとも、他の箇所の読み替えは不必要なのか。

主語(反省規定、被説明項)の同一性・絶対性・自立性・肯定性と、
述語(悟性的規定、説明項)の複数性・相対性・依存性・否定性。

山田有希子(2015)における肯定性と否定性との転換はどのぐらい一般化できるのか、あるいはできないのか。誤解や異説は何種類あるのか。具体例はどこまでつくれるか。

05月01日 座学できた

  • 昨日、月曜祝日は問題集を時間無制限で解くという課題を終え、資格試験本番同様の時間制限ありの答案と合わせて採点した。

  • 本番同様の答案の採点結果は昔に受けた試験のスコアに思いのほか近かった。一方、時間無制限の答案はじっくり選択肢を絞ったにも関わらず9割にも満たず、残念だった。


2020年

04月12日 継続する休日うつ。緊急事態宣言下。

  • 頭がつらい。

  • 親不知後の抜歯後の糸を昨日(土曜日)は抜いてもらった。一瞬だった。

  • 「もう若くない。体型も崩れてきた。このまま何にも打ち込めずに息苦しいまま死ぬのか」といった悲観的な気持ちに支配されている。今に始まったことでもなく。休日うつから抜け出したい。4月のオフライン会合はすべてキャンセルした。


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