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リサーチクエスチョンの要素 Items on Research Question

上記の「博士への道」というテキストを読んだ。著者が開発した研究デザインフレームワークテーブル(EAGLEテーブル)を使って、原則としてはリサーチクエスチョン Research Question, RQ を先行して分析しておいてから、実際の調査や文献レビューに入ることを勧めている。内容としては主に社会科学や工学的な事例が挙げられているようなのだが、これを人文的な論文を書き上げるためのガイドとして応用できないだろうか? と思いながら眺めている。

著者によると、修士論文には1個のリサーチクエスチョンが必要であり、博士論文には2個の関連付けられたリサーチクエスチョン(関連付けられてないと博士論文を執筆しているはずが修士論文を2個用意していることになってしまうこともあるそうだ)が必要なのだそうである。

リサーチクエスチョンの3要素

差し当たりここでは1個のリサーチクエスチョンについて眺めてみると、著者によるとそこには3つの単語グループ(RQ構成と著者は呼ぶ)があるという。その3つとは WHO, WHAT, HOW の3つである。

3つの構成 ━ Who、What、How ━ は、以下のように定義します。
1. Who とは、その研究で扱われる、または影響を受ける要素
2. What とは、問題を解決するために研究者が持っていなければならない知識体系または情報
3. How とは、その研究の要素や知識体系/情報に対する行動や影響

p.32, ラヒナ・イブラヒム『博士への道 博士号取得に役立つ実践的ツール』
野村眞弓訳、株式会社スリースパイス、2022年。

なかなか抽象的で、具体例を読んでも区別がピンと来ない。そこで、以下に具体例も書いておく。

  • Nadiah Suboh の修士研究による定式化テーブル例

    • [WHO]犯罪捜査

    • [WHAT]コミュニケーションの解釈

    • [HOW]被害者の心情/捉える

この具体例で考えると、まずWHOには「犯罪捜査」という研究で扱われる客観的な範囲や状況・環境が記述されている。次にWHATでは、研究者の側でどのような方法論やアプローチを取るかが記述されていて、この場合は「コミュニケーションの解釈」である。この「コミュニケーションの解釈」というアプローチを使って研究者は問題解決をはかろうとすることになる。そして、[HOW]においてのみ動詞を使って記述することが許されていて、動詞+目的語の形式を取る。ここでは「コミュニケーションの解釈」というアプローチをさらに具体的に絞って、「被害者の心情を捉える」ことによって問題解決をはかろうとしていると読むべきなのかもしれない。このようなRQ構成からは例えば次のような主リサーチクエスチョンを組むことができると述べられている。

どのようにすれば捜査官は犯罪捜査[WHO]におけるコミュニケーションの解釈[WHAT]において被害者の感情を捉える[HOW]ことができるか?

または

犯罪捜査[WHO]被害者の感情を捉える[HOW]ことができるコミュニケーション解釈[WHAT]の要因とは何か?

pp.38-39, 前掲書。強調はふかくさ。

一番目のリサーチクエスチョンでは個別の捜査官がどう解釈すれば[HOW]を達成できるかにフォーカスが当たっている。一方、二番目のリサーチクエスチョンでは研究者側のアプローチである「コミュニケーション解釈」の中に[HOW]するために役立つものはあるのか?というクエスチョンになっている。これをみると、[HOW]することによって初めて問題解決をはかることができるが、そのために3個の要素を入れてどのようなリサーチクエスチョンに組み上げるかには一定の自由度があり、どこにフォーカスを当てるのが有意義なのかを選択する余地が残っていることがわかる。

倫理学への応用:トロッコ問題

強引な例となるが、例えば倫理学で有名なトロッコ問題 trolley problem に当てはめて考えてみると、どうなるだろうか?

なお、ここで言うトロッコ問題とは、例えば5名を轢き殺すよりも1名を轢き殺す方がマシだと考える人であっても、1名の太った人を陸橋から突き落として5名の命を救うのには躊躇するような人々がいるという、一見首尾一貫しないかのようにみえる道徳的直観に対する解釈課題のことを指している。

  • トロッコ問題

    • [WHO]道徳的直観

    • {WHAT]トロッコ問題の解釈

    • [HOW]人々の直観と客観的条件のズレを整合的に理解する

  • RQ1

    • どのようにすれば倫理学者は道徳的直観[WHO]におけるトロッコ問題の解釈[WHAT]において人々の直観と客観的条件のズレを整合的に理解する[HOW]ことができるか?

  • RQ2

    • 道徳的直観[WHO]人々の直観と客観的条件のズレを整合的に理解する[HOW]ことができるようなトロッコ問題の解釈[WHAT]にはどんな候補があるか?

RQ1では倫理学者がトロッコ問題のような一見首尾一貫しない道徳的直観を倫理学者が正当化することがいかにして可能であるのかという条件にフォーカスを当てている。トロッコ問題をどのように解釈するかは倫理学者の仕事の一部であるとすれば、これは正当なクエスチョンである。一方、RQ2では属人性や「倫理学者」という責任主体あるいは心理主体を問題とせず、どのような整合的な解釈があるのかそれとも無いのかだけにフォーカスを当てている。これは客観的ではあるが、解釈を誰が担うのかという点についてはいったん無視を決め込んでおくような態度でもある。ただ、いずれのリサーチクエスチョンも同じ[WHO]を材料として扱っている点では共通している。

今回はいったんここまでとしておこう。著者が提案する研究デザインフレームワークテーブルでは他にも様々なメソッドが提案されているので人文的に応用できないか可能性を探ってみたいところである。

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(2,400字、2024.02.24)

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