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雑記_2018年~2020年

2020年

11月11日 親不知の抜歯

先日は親知らずを抜いた。左右両側の片側だけ抜いた状態でコロナで手術がストップになっていたけれど、再予約して抜いた。待ち時間を除いて手術時間だけで一時間もかかった。途中で歯のレントゲンを撮影したぐらいだ。よほど厄介だったらしい……。

04月30日 『名前の哲学』

『名前の哲学』という本を読んだ。なぜ読んだかというと、著者の本を前にも読んだことがあったというのと、私自身の特性として目新しい言葉で遊びたがるという点があり、自分が名前にこだわりを持ちやすいと思ったから。

本の構成はどういうものかというと、西洋哲学における名前論史をたどってからウィトゲンシュタイン・ローゼンツヴァイク・ベンヤミンの名前論をそれぞれ解説するというもの。

神の名前と二人称の話を交差させるところに何か考えるヒントが欲しかったが、ヤハウェの性質というユダヤ教ローカルな話から脱出させられないように思えてしまい、自分で論じるにはどうやったらいいかわからない。

01月26日 マンガ『でんぢゃらすじーさん』/映画『メイドインアビス』

  • マンガの『でんぢゃらすじーさん』を読んだ。面白いが、子供の頃のようにバカ笑いになることは少なくなった。キャラクターの愛情や友情と殺意の落差が激しく不条理で情緒不安定なのは親しみを感じる。叫び声のなかでは「ありゃりゃーっっ!!?」が好きだが、それ以外は入って来ない(例えばマサルさんの「がびーん」はスッと来る)。Kindleで読むと見開きを使った表現が減殺されるので不向きである。「次の登場は2年後」のキャラが律儀に2年後に登場するのをみても、作者の真面目さがうかがわれる。

  • 映画「メイドインアビス」をみた。ストーリーは上げて落とす式だが、最終的にはナナチへのセクハラに収束する。全体としてはファンタジックな世界の描写を楽しむアニメであり、外科手術の表象は残酷さの表現手段として使われているだけである。


2019年

12月12日 ヘーゲルの否定概念

昨晩はネットでへーゲルの否定概念について解説した文章をみた。しかし、読んでもわからないというか、推論が読みとれない。例えば、

・存在が運動する
∵存在は無を含むから。

のような推論がなされる。しかし、

  • 存在が無を含むとはどういうことなのか、どこまで額面通りに受け取るべきか不明瞭である。

  • 存在は無を含むか、含まないかどちらかしかないのか。

  • 存在が現に運動することは認めるとして、それを説明するための選択肢は存在が無を含むしかないのか。なぜそれが説明になるのか。説明の候補になるとしても、なぜいきなり〝矛盾〟という不自然な候補を持ち出すのか。それは最有力な候補と言えるのか。

などの説明が希薄で説得力が無い。

11月18日 貧血の検査と入院

ここまででも色々検査を受けてきたが、手術入院前にまた違うものが必要だというので、患部の検査と診察を受けてきた。患部からの出血で、また貧血状態になってしまったようだ。今手術する部分以外は、まったく健康なのだともうかがった。

いつもの弱音・泣き言が頭に思い浮かんでくるのに加え、入院が控えるとなると弱気が強くなる。

自分は、自分一人を生活させるのが精一杯(?)で、何者かになることもできないし、自分に何か出番をつくってやることもできないし、自分が何をして喜ぶのかもハッキリさせられない……そんなことばかり、相変わらず思い浮かぶ。何とか振り切りたいのだが。身体がほぼ健康なだけに、脳がやられているのが悔しい、という気分にもなる。

人生はうんざりするほど長い。

11月17日 実務系の試験を受けたが、特に難しくなった回だった

資格試験を受けた。勉強してないから解けないのは仕方がない。それでもあまりにも難しすぎやしないかと思っていたら、ネットでも話題になるぐらいのようだった。今回で合格したかったが、不測のことが重なったという言い訳もあって、合格は先送りだろう。


2018年

10月10日 プリズンブレイク

  • 最近は海外の刑務所ドラマをみている。

  •  昨晩もみた。もちろん刑務所だから悪党ばかりだが、こういうドラマはその中でもレギュラー悪党の描き方がたいせつ。

  •  シナリオがしっかりしていて、すべての登場人物に役割と動機付けがハッキリ割り当てられている。それが終われば退場だ。

  • ところどころであれかこれかのトレードオフの形で話にチョークポイントを作って要約させてくれるのも極めてわかりやすい。

07月16日 因果性の説明

  • ヒュームは因果性を説明したとされる

  • しかし実際は因果性それ自体を説明したのでは無く特殊な因果性を使って他の種類の因果性を説明しただけ

  • 同様の批判はカントの因果性のカテゴリとそれに対するラッセルの批判にも通じる

05月02日 カラダが動かせるようになっている

去年よりもずっと、段取りよく動けている。間違えやすいところも、警戒したり気づいたりできている。いくつかの用事を立て続けにこなすと、ボーッとしてしまい、娯楽に走る。だがボーッとしても、用事や学習を継続できるのが、「普通」なんだろう。私より勤勉な人も、机には泣きそうになって向かっていると言うこともある。それが苦にならない人は、わざわざ言わないだろうし、疲れはあるだろう。

05月14日 ヘーゲルの「本質」

読んでいる論文に、理性的本質と悟性的本質というのが出てくる。どちらも本質であるということだと思うが、違いはなんだろう。正解と正解候補ということだろうか。あるいは何とかについての本質の何とかひ当たるものと、その何とかの候補だろうか。このケースでは、志向性が入る。

03月13日 コミュニケーションの哲学・メッセージ

今読んでいる本には、花を設置することで恋人に愛情を伝える例が載っていて、メッセージは花そのものと書いてある。メッセージは意図を含むそうだが、花という物体が意図というメンタルなものを「含む」とはどういうことなのか、よくわからない。

01月11日 知人の就労

昨晩は知人が待遇のよいところに就労した話をうかがった。身体的負担・労働時間・精神的余裕・給与すべての面で、酷すぎた前の職場よりも遥かによい職場のようだ。

一方、私は最近学習用アプリを開くクセがつき始めた。スマホよりタブレットのほうがよいかと試してみたが、グラフィックが微妙に崩れるのが残念だ。それでもできないことはないけれども。

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