見出し画像

福島第一原発見学+中間貯蔵施設ツアーにいってきた

JX通信社 / WiseVine 藤井です。最近、AI防災協議会 理事代理、という謎の肩書が増えました。
さて、東日本大震災の前からお仕事でお世話になっている方が、福島の復興に長年携わっておられて、そのご縁で、福島第一原発と、中間貯蔵施設のツアーに参加することができました。東日本大震災の当日、ラジオ局の報道フロアにいた私は、その後石巻や釜石には何度か伺う機会があったのですが、あのとき「音声の先にある想像の世界」だった福島第一の構内に入るのは、もちろん初めてです。また、同日に中間貯蔵施設もまとめて見られるツアーというのはなかなか機会があるものではなく、かつ、環境省や資源エネルギー庁の担当者の方もがんがん質問に答えてくれる、という、稀有な機会でした。

ALPS処理水の第2回放出の前日、というタイミングで、果たして本当に見学できるのだろうか?と思っていたのですが、思った以上に現場は整然としており、いろいろと思うところもあったので、メモを残します。なお、本稿は処理水の放出に関する意見を述べるものではなく、淡々と、危機管理広報活動について、思ったところを記録しておくものです。

ちなみに、このツアーは(私は日程の都合で参加できませんでしたが)翌日に常磐もののバカでかい(捕る人が減ってるからですね)ヒラメを釣りまくって東京で食べる、というイベントを実施しており、佐々木”大魔神”が爆釣したよ、という記事が日刊スポーツにでています。

福島第一原発はものすごく綺麗になっていた

まず驚いたことに、福島第一原発は、年間1万7000人近い見学者を受け入れているそうで、個人では申し込めないものの、かなり門戸は開かれています。環境省管轄になる中間貯蔵施設とのセット見学プランも整備が進められています。

https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/pdf/01.pdf

見学に行った、というと、みなさん防護服を着たの?と聞かれるのですが、1Fのほとんどのエリアは、長袖、長ズボンならいわゆるふつうの不織布マスク1枚で入ることができます。いまだに勘違いされている方もいますが、防護服は放射線を防ぐわけではありません。現在では、ALPS処理水に関わるプラントは、「水を扱うので、服が間違って汚染されないように」防護服+専用の長靴、となっているようですが、ほとんどのスタッフは、普段着で仕事をしています。
エリアに入ると、私物は一切持ち込めなくなりますが、これは通常の核セキュリティ上の問題です。何重ものセキュリティゾーンでのチェックを経て、いちおう線量計をつけて、構内に入ります。線量計は「ごくまれに」鳴ることがあるそうですが、上限値は見学者については極めて低いところに設定されていて、実績値としては、1号機〜4号機まであと100m弱、という見学ポイントまで行ってきても、概ね歯医者でレントゲンを1枚撮るぐらいの被ばく量だそうです。

この距離まで近づいて記念写真を撮ってくれるのだが、どういう面持ちで映ればいいのかよくわからない。淡々と水素爆発した建屋の解体に向けて、全体を覆う巨大な建物の建設作業をしていました。東京タワー数本作れるぐらいの鉄骨を使って、ドームを別の場所で作って、一気に被せるらしい。

管理上ふらふらと一般人が歩くのはよろしくないので、構内はずっとバス移動ですが、構内はあらゆる地面が完全に表面をコーキングされていて、草一本みえない状態です。したがって、土壌からの放射線もカットされており、むしろ山の中とかより、構内のほうが線量は低いぐらいようです(前日にいわきの女将さんが「山菜はOKになってきたけど、まだキノコは採って食べられないから悲しい」と言っていたのを思い出しました)。
「チェルノブイリみたいな風景を想像される人も多いんですが、完全に整理しました」「木はほとんど切らざるを得ませんでしたが、この桜の木は景色の移り変わりをスタッフが感じられるように残しました」など、いろいろとお話を伺いながらバスが走っていくのですが、途中唐突に「あの丸いのは4号機の格納容器の蓋を外してもってきたやつです」とか、「あのナンバープレートのない車両は全部、事故当時に構内にあった車で、ラジエーターが被爆しているので構外に持ち出せないんですが、ふつうに使えるので構内専用になってます」とか、思いがけないトリビアも聞けます。

日本を代表する企業が寄ってたかって解決のために全力をあげている

新しく立てられた事務棟や、協力企業棟には、本当にたくさんの人が働いていて、清潔でだだっ広いオフィスに置かれたフリーアドレスのテーブルで、数名単位でわいわいと打ち合わせをしている様子は、なにか新しいベンチャーインキュベーション施設かな?みたいな雰囲気すら漂っています。工事現場というと、作業服を着た人が集団で「ヨシ!」ってやりながら作業しているのをイメージしますが、ここでは「世界に前例のない作業」を毎日やっているので、どうやったら問題が解決するか、考えて、行動するための打ち合わせが日々行われているんですね。説明を担当してくださった職員の方に、「東電のスタッフの世代交代は順調なのか」と質問してみたのですが、1Fでの廃炉作業に取り組むことを志望する新入社員も結構いるそうで、概して非常に優秀な人材が集まっているのだそうです。確かに、これは廃炉という敗戦処理と同時に、前向きなイノベーションを起こしている現場なのだ、と思いました。

トリチウムという聞き慣れないものをどう「納得」するか

これがALPS。こういうところに入るには防護服が必要。

あの膨大なタンクをどうやって処理していくんだろう…という、スケール感を掴みかねる課題なので、それを実際に見て体感できたのは、とてもよかったです。
まず、我々の多くが勘違いしているのは、1Fで発生する汚染水は、「冷却用の水は再利用できるように極力しているけれども、湧き水などが凍結壁(まだ凍結し続けている!)を超えてどうしても来てしまうので、プラマイで増えてしまう分を、どうしても処理しないといけない」、ということ。1F内では新たに発生する汚染物質を極力減らそうと努力していて、焼却施設も構内に完備している。そのうえで、どうしても増えてしまう分を、「責任をもって処理する」ために、モニタリングがしにくい蒸発とか、そういうことはせず(焼却施設が中にあるのだから、割とそれは技術的には難易度は低かったはず)、これまで放出していた水と同じだけの水準にして、放出することにした。そう、これまでも、単に敷地内で湧き出ていて、原子炉に触れていない湧き水は、処理した上で放出しているのですよね。

ALPS処理水の現物に線量計を実際に向けてみることもやらせてもらえましたが、実に「ただの水」としか言いようのない水準です。むしろ、ALPS処理棟から淡々と排出される、使い終わったフィルターの山を放射性廃棄物として処理することのほうが大変そうだな…と思いました。ちなみにALPSには欧米製のものと、日本製のものがありますが、日本製のほうがフィルターについては、圧倒的に小型で、処理もし易い構造になっていました。この短期間での進化すごい。

ちなみに、トリチウムを除去する方法は引き続き全世界に公募をかけているけど、今のところ科学技術の限界で難しいと思われる、ということでした。とはいえ、これだけ広大な敷地に大量にあるタンク全部からトリチウム「だけ」を純粋に取り出すと、概算では、目薬一本分ぐらいの体積だそうです。ふだん目にしない単位で語られる放射線量の許容値で議論しているからこれまでピンと来ませんでしたが、この説明が、このツアーで一番納得感のある数字でした(それ以外にもほとんどの質問に具体的な数字で冷静に回答していて、この東電の担当者の方は、本当に危機管理広報のスペシャリストだな…と思いました)。

中間貯蔵施設と村を巡る物語

午前中の1F見学のあとは、「中間貯蔵施設」の見学です。

中間貯蔵施設というのは、ざっくり言えば「福島全域で除染によって発生した土を一箇所にまとめて暫定的においておく場所」です。この事業によって、福島中にある時まで置いてあった、黒い袋に入った大量の廃棄物がなくなりました。全部を運び入れるのに8年かかっています。スエズ運河の建設にかかった期間が10年らしいので、それに匹敵する規模の土木事業です。

そんな貯蔵施設、ヘルメットを渡されたので、我々はこれから工場みたいなところに連れて行かれるのかな?と思ったら、到着した場所の景色はこんな感じです。

この景色が視界の限界まで続く

中間貯蔵施設に持ち込まれた袋を引き裂いて、分別して、細かい土にするプラントは、一旦耐用年数を迎えたので、現在は動いていないそうです。その土が、びっちりと積み上げられた、高さ最大15mの「埋立地」の上に、立っています。
この土は、自然に線量が減っていることもあり、実は奥に見える山の中よりも、この中間貯蔵施設の中のほうが線量が低いようです。とはいえ、この「中間」貯蔵施設、渋谷区と同じぐらいの面積の、元々多くの人々が住んでいた土地を国が買い上げて、その町の上に土を積み上げています。そして、30年経過後には、すべて県外に持ち出して、この土地を返す約束になっています。

広大な中間貯蔵施設を巡る中で、環境省の担当者の方が最後に連れてきてくれたのが、この神社でした。

いまもしっかりとしめ縄が新しくされている。鳥居も再建された

中間貯蔵施設の建設に当たり、数千人の地権者との交渉チームを環境省は組んだそうですが、やはり土地への愛着と、福島の復興のためにそういった施設が必要、という理解のバランスの中で、大変な収用作業だったそうです。このエリアは1Fから最も近いエリアなので、我々も検問所を経て入っていますし、住民は未だに自由に行き来することもままならない中、中間貯蔵施設の建設の中で、道の形すら変化して、「どこが自分の家だったのかわからなくなった」と悲しむ人もいるそうです。
そんな中、この神社は綺麗なまま原型をとどめていて、かつ、鳥居やしめ縄は新調されているのです。

「必ず村に戻ってくる」という碑文が立っている

どれだけこの地が変わっても、いつか必ず全員で戻ってくる、そういう決意を記した碑文が、住民の手で建てられていました。環境省、国はこの地を「元に戻して返却する」ことを法律に明記して約束していますが、それが単なる政治的約束ではなく、また住民の感情論でもなく、もっと複雑な問題なのだ、ということを深く感じました。実際問題として、この大量の土砂は、海洋投棄することも難しいだろうし、再利用もいろいろと議論されていますが、小手先でベンチとかにしたところで使い切れるようなスケールではないので、どうやってこの土地を「お返し」するのかは、日本人全体で考えなければ、結論の出ない問題だろうと思います。

実際に現場を見ると、「想像以上のスケールで問題解決への取り組みが進んでいる」という勇気と、「想像以上に複雑な人間社会の問題」へのもやもやした感情が、両方同時に襲いかかる感じでした。
これを「科学的根拠に基づいて」冷静に議論することは、国内でも途方もなく難しいし、国際問題になった暁には、より議論しにくいとおもいます。今回の参加者には外国人留学生の方もおられましたが、エネ庁の担当者が、「どうしたら伝わるんでしょうね…?」と逆に問われていたのが、印象的でした。

興味のある方は、あらゆる手を尽くして公開されてる諸々のサイトをご覧ください。それぞれよく出来てます。

自分の仕事(地方自治、防災、AI)について知ってほしい思いで書いているので全部無料にしているのですが、まれに投げ銭してくださる方がいて、支払い下限に達しないのが悲しいので、よかったらコーヒー代おごってください。