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ぼくが狩猟をはじめたワケ

猟師さんと話していると
「君はお肉に興味があるのか?それとも鉄砲に興味があるのか?」
と聞かれます

おそらく多くの方はジビエ料理に興味があったり
鉄砲を撃つことへの憧れであったり農作物の被害を防ぎたいということであると思います

ぼくは答えます「自然に興味があります」

だいたいポカーンとされます
ぼくにとって狩猟とは「生きるとは何か?」の答えの肉付けをしているだけであり、完全なる自己満足の欲求です

この「生きるとは何か?」という問いを去年1年かけて自分に深く問いかけました
いやもっと人生を遡ると中学生の時夏休みの作文で「神様はいない」という作文を書いた頃からこの問いに向きあいはじめたのかもしれません
当時の担任の先生が気に入ってくれて作文コンクールに出すぞと言ってくれた時はとても嬉しかったことを覚えています

それくらいぼくにとっての「生きるとは何か?」というのは人生のテーマになっていました

「生きるとは何か?」の答えは
生きることに何かを求めることに意味がない。
ということであろうと推測しています
狩猟はそれをより確実へと証明するための行為

生きることにひたすら理由づけもした期間もありました
しかしいくら理由づけしても人間のエゴであるという結論を覆すだけの理由が見当たらないのです

なぜなら自然界の生きとし生けるもの森羅万象の作用は何かのためにとか存在する意味みたいなものは考えていないから
そんなことを考えるのは人間だけ(推測の域を出ませんが)もしくは人が作り出した偶像

自然界はただひたすら日々を全うし、その命を紡いでいくだけ
そこに理由なんか存在しない

仏教で空とか無とか悟った人もおんなじことを考えたのでしょう
それを他人に言語を通じて伝えようとしたものが経典ないし教典、聖書の類なのではないかと考えます

自ら体験しないでそれらを語るには違和感が生じてしまう
自分の言語で伝えたい
なので自分自身を自然にできるだけ近いところに身を寄せることで何か言語化できることがあるのではないかと思いより原始的な狩猟を選択しました

その道中の枝葉として誰かの手助けになったり喜んでくれたりしてもらえるとそれはそれで幸せな気分になります
まあそれすらエゴではありますが…

おべんちゃらを述べましたが人生哲学の形成を満たすために猟をする
これがぼくが狩猟をする最たる理由です

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