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Bboy insiders

1998からストリートダンスを始めて、ほんとに色んな流行り廃りに出会ってきた。繰り返すようだが、それはまさしく「流行」であり、それは回り回って文化の発展となる。

流行りがなければ文化は発展せず。
文化を根付かせる為には流行りがなければならないとも思う。

BBOYINGは、他のストリート文化に遅れを取りながらも、VHSやDVDと共にその情報は世界に発信されており、自分もその多くの作品たちに出会い成長し、またそのおかけで自分の位置を知ることもできた。もちろん現代のyoutubeしかり。

ここ最近の日本BBOYINGシーンにおいて、そのyoutubeから敢えて一線を画したようなアプローチの仕方で自分や自分達のアートフォームを発信する人が増えてきた。
写真やマガジンやあえてのVHSやDVD、その他SNSや配信など。

しかしこれは昔の「流行り」を追いかけてるのではなく、自らのアートフォームに適した発信方法を選ぶことができる現代ならではのアウトプットであり、それはまさしくヒップホップ創世記の頃に見受けられたコンクリートジャムやグラフィティー、マガジン、Buddy Esquireのようなフライヤーデザイナーなどと同じ様に眩しくもあり、美しくも感じる。

自分のやり方を選べる時代であり、それを形にして世の中へアプローチできる時代は本当に素晴らしい。

なかなか全てをチェックするこは出来ないけれど、発信し、文化を育て、後世への架け橋となる人たちには本当に頭が上がらない。

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YELLOWSUNSとして初めてアニバーサリーをしたのが2008年。そしてそのあとも数年間継続。

奈良の公園でのコンクリートジャム。
嘘でも何でもなく、ヤバかった。
栄光でもなんでもなく、ただの思い出に過ぎないが、あれはまさしく自分達が描いたアートフォームの発信であった。

しかし、時代が過ぎるのは早い。笑
今、同じ形でやろうとは思わないけど、あの頃自分達がやってきたアウトプットは、現代の「それ」だったりするから、分からんもんです。

ほんで、今の自分達や、自分が出来ることは何かな〜と考えても、それはもはや誰かの後乗りであり、それは言い換えればどれも「流行り」でしかなく、自分がやったところでワクワクもしなけりゃ、発信する意味や理由もない。やってくれてる人たちが多くいて、やりたいことは殆どないんですよね。

自分は何かと考えると、結局何をするでもなく、CREWで有り続けることが、もっとも自分らしくあり、それでいて儚く、面白いことだと、そこに落ち着いている部分もある。自分は発信する側ではなく、それを受け止め、次の時代へのカンフル剤のように生きていくことだと感じることもある。
外への発信ではなく、中への発信へ切り替わっていく自分は、言い換えればクリエイターではなくある意味プレイヤーとして少し成長したのかもしれないな。見ていて楽しめるようにもなったし。

まぁ、それでも、アキラメキレズ、僕には何が出来るだろうと考えた時に、いつも頭に浮かぶのは踊りしかなく。

また、僕の場合、異質なほど生の音楽での即興性こそ至高だと感じる脳味噌であります。不器用ながら、その発信は圧倒的生であり、現代文化とは真逆にいるのかもしれないぞ、と。

別にヤバくもなければ凄くもない。美しくもなければやさしくもない。しかし、ただ、練習した自分の踊りが、即興音楽と一緒になれる場があり、そこに参加できることは、いつまでも楽しいのは確か。

コミュニティ単位でのエデュケーションも存在し、そこに身を投じることがまるで滝に打たれるかのような自分への戒めにもなります。
そしてその現場で見る生のダンスやアクシデントの数々が本当に儚くやさしく、僕の生き甲斐であります。

数年前にamjadがやってたbboy insidersがここに来て深く染みる。 僕はoutsiderから少し切り替わり始めたのかもね。

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