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制服のポケットの中の赤リップは、私に勇気を与えてくれる

北京オリンピックが盛り上がっている。ウィンタースポーツの中継を見るのは面白く、フィギアをはじめとして色々なスポーツを見るのが楽しい。

選手の中には私と同世代の人たちもいて、あの大きな舞台で世界を相手に戦っていると思うと本当に尊敬する。選手からは客席やゴール地点がどんな景色で見えているのだろう。競技が始まる前、どんな緊張が選手を包むのだろう、とテレビを見ながら色んなことを想像する。

そんなオリンピックの話題で連日盛り上がっているが、先日あるネット記事を見つけた。そのタイトルを読み、記事を読んだとき私は何とも言えない気持ちがこみ上げた。そして、その直後に怒りに似た気持ちが沸き上がり、衝動的にnoteを書いたのだった。

▼メイクにもたれるイメージ

その記事は、高梨沙良選手のメイク批判に関する内容を解説したものだった。メイクをして競技に臨む女性アスリートに対して「メイクをする暇があるならば練習をしろ」という批判的なコメントが一部ある中、アスリートビューティーアドバイザーの人がアスリートとメイクの関係について解説していた。Twitterのタイムラインに流れてきたその記事を私はすぐに読み、色々な思いがこみ上げてきた。

まず、最初に感じたことは、「メイク=チャラチャラしている、時間の無駄」というイメージや偏見が未だに世の中にあるんだ、ということだった。そして、メイクをする自由すら奪うような発言を、簡単に言ってしまうような現実があることが悲しかった。怒りと、悲しさと、自分の中にあるメイクに関する気持ちがふつふつと湧いた。

振り返ればそういう「メイク=チャラチャラしてる」というイメージをもたされるように教育されてきた節はあったのかもしれない。私は中学、高校と化粧が校則によって禁止されていたし、メイクを少しでもしてきた子に対して化粧をしている先生が怒っていたこともある。

▼メイクに興味を持ち始める中学時代

高校生のとき、ある日「なぜ化粧しちゃダメなんですか?」と男性の先生に聞いてみたら、「そういう決まりだから」の一言で終わってしまった。あー、私の欲しかった言葉はそれじゃない、と強烈に思ったけれど、私は同時にあの時点で何かに対して諦めを感じたのだった。

もう少しさかのぼった話をしたい。私は中学生の頃、一部の女子から陰口を言われていた時期があった。それは定期的に「ターゲット」になる生徒が変わっていって、順番に行われていくようなものだった。私の友達もその女子たちからターゲットにされ言われたし、それが終わればまた別の子を、みたいな感じだった。
そのおかげで、と言ったらアレだが、そのことがきっかけとなり私は人生でも大切にしている友人達と仲良くなれた。大切な先生とも出会い、あの頃の不安定だった私を支えてくれた人たちがいたことは何よりも幸せなことだった。

そんな中学時代であったが、私はその頃からメイクに興味を持ち始める。女子中学生に向けた雑誌、二コラは私のバイブルだったし、メイクを始めた友人を見て憧れを抱いていた。

私もこんなメイクをしたい、そう強く思ったけれど、何から揃えればいいのか分からない。学校でメイクは禁止されてるし、、と思っていたが、私は友達のメイクを見て真似をすることから始めてみた。例えばリップクリーム、ビューラー、ファンデーションなど。学校にしていっても先生に”バレない”ことがあの頃の私達には何よりも重要で、そのギリギリのラインを楽しむのだった。

そうやって雑誌や友達から知識を得た私は、最初にリップにハマることとなった。いつもは色味のない自分のくちびるに、ドラッグストアで買ってきたような安い色付きのリップクリームを塗るとたちまち赤色が浮き上がるのがとても好きだった。それは初めて感じた高揚感で、細い色付きリップクリームは私を幸せな気持ちにさせた。(さらに、色付きのタイプでも先生にバレなかったのだった!)

メイク、もっと上手くなりたいなと思っていた矢先、陰口を言われるようになる。聞こえてくるように言われる日は落ち込み、しんどいときもあった。だけど、そんな自分に自信をもたせてくれていたのもまた、赤いリップであった。いつも使っていた色よりももう少し濃ゆい色を買って、こっそりと学校の鏡の前で付けていた。口に赤い色を添えた自分の顔を見ると、私はなぜか自信が少しずつ湧くのだった。

中学生の頃好きだった小説の中に化粧をする中学生の物語があり、その話に赤いリップが出てきた。嫌なことを言われてもメイクをして自分が強くなった気持ちになる主人公に、自分を重ね合わせ、何度も救われてきたのだった。リップを塗るだけで確かに自信が湧くというのは不思議な体験だった。今思えば、不安定な時期を過ごすにはあまりにも小さな乗り越え方だったのかもしれない。

でも、一本の赤いリップが私に自信を与えてくれたのは確かな話だった。そして、先生に見つからないよう、いつもそれは制服のポケットにしまってあった。

そうだ、メイクは、私にいつも自信を与えてくれる。そんな存在であったし、これからも絶対にそうだ。

▼テレビの向こう側

テレビの向こう側で何メートルもの高さからものすごいスピードで高梨選手が滑っていく。白い雪景色の中を飛ぶ感覚ってどんなものだろう。空中の中に飛んでいく彼女は、すごくかっこいい。頑張れ、頑張れ、と無意識に心が応援したくなる。
他の競技の選手たちも、本当にかっこいいなと思う。アスリートの姿はそれだけで芸術であり、私たちに胸を打つような感動を与えてくれる。

メイクは、心の支えだ。私がなりたい私であるための、方法だ。それを楽しむ権利は、誰にも邪魔できないはずだ。メイクでなくてもそうした心の支えを、色んな人がもっているのだと思う。マンガ、音楽、食、仕事、パートナー、、。世の中には大きいものから小さいものまで溢れていて、何かが誰かにとっての支えになっているんだと思う。

記憶の中の、中学時代の私が制服のポケットにしまったリップをぎゅっと握りしめた姿は、今も私の支えとなってくれているような気がしてならない。

〈終わり〉

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