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【展覧会レポ】MOTアニュアル2022私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ @ 東京都現代美術館

こんばんは、whipです。

東京都現代美術館で開催されていた『MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』に行ってきました。

4人の異なるアーティストによる作品セッション、それぞれの視点から展覧会の名前にもある"私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ"について考えさせられました。本展覧会は、鑑賞者それぞれの考え方で捉え方が異なると思いましたので、簡単に流れをレポして行きたいと思います。


【それぞれの視点、それぞれの認識】


撮影:著者

高川和也さんのセルフドキュメンタリー作品では、過去の日記をラッパーFUNIさんと共に言葉を映像化することで生まれる表現の差異を示していました。50分近くに渡る作品は圧巻でした。


撮影:著者

工藤春香さんは、優生政策と障害者の方の視点の対比から社会と個人の認識の差異を示していました。画面中央の年表は片面が施策を、反対面で障害者の方の歴史を記載してる点が印象的でした。


撮影:著者

大久保ありさんの作品は個人的にはすごく興味をそそられ、過去の作品含め注目してみたいと感じました。自身の作品を物語の中の一部分として表現し、今回はその過去作を自ら再編纂することで見出された過去と現在の差異を示していました。謎を解いていくような、紐解いていく感覚とどこか不思議な空間がとても素敵で癖になりました。


撮影:著者

良知暁さんの作品では、不自然に止まった時計の針、消えたママ展示されるネオンの看板、翻訳されていない言語、異なる翻訳で生まれる意識の差異に着眼していました。なぜここで止まっている?電気がついていない?どう読む?など、そうした意識の中で生じる差別を取り上げていました。広い空間の中で、この現状を客観視することもまたその疑問符のように思えました。


このように様々な異なる主題から、同じ世界、時間の中で私達が目にしているものは、全く別物なのであるということを突きつけられました。

現代アートとは、単純な作品の視認性だけでなく、その表現の仕方や考え方、捉え方の領域まで私たち側に委ねられます。自分がどう受け止めるかで変わってくるこの手法こそ、まさに、"私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ"という今の時代の中で最も考えるべき主題なのだと感じました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

※執筆にあたり、解説パネルやチラシ、公式サイトなどを参照しています。



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