野次馬根性ありがとう

どうも、前回の緑青さんの記事に返信するようなかたちで書こうと思ったら、「七人の侍」の話が出てきてびっくりしたしあんです(笑)
というわけで(どういうわけで?)、今回は前々回の緑青さんのセクシュアリティに関する内容に続けて書いていこうと思います。映画、語れるほど見いひんのよ…いつか語りたい話とかはあんねんけどな~まあそれはまたいつかの話。

私はTwitterやnoteの中では率先して(誰に聞かれているわけでもないのに)自分のセクシュアリティを話していますが、リアルの職場や友人にはほとんどオープンにしていない、いわゆる「クローゼット」と呼ばれる存在です。
そんな中で緑青さんは、リアルでも10年以上の交友関係があり、かつ私のセクシュアリティを知っている数少ない存在です。

カミングアウトしたのは何年前だろう。たぶん、池袋のどこかの喫茶店だった気がする。緑青さんは覚えているだろうか(笑)
緑青さんのnoteの中で「野次馬根性ではないか」と不安?心配?している描写があったが、当時から緑青さんはLGBT界隈について私よりうんと詳しかった。「LGBT」ということばを知ったのも、実は緑青さんのTwitterの呟きである(これはたぶん緑青さんは知らない話)

そんなふうに、緑青さんがLGBTについてときたまTwitterで語っていたからこそ、私は緑青さんにカミングアウトすることができた。そしてそれは私にとってよい結果となったと思っている。野次馬根性に感謝である。(ここ、うまく韻を踏んでラップっぽくしたかったけど思いつかなかった)
ひとつ付け加えておくと、私はカミングアウト「できて」よかったと思っているが、それはカミングアウトを推奨するものではない。カミングアウトはしてもいいし、しなくてもいい。することが友人の証でもない。全ては本人の自由である。

そのとき、緑青さんはどう思ったんだろう。気づいていたのか、はたまたびっくりしたのか。人の気持ちはわからないものである。

ときどき、「カミングアウトする人ってどうやって決めているんですか」と聞かれることがある。これは非常に答えるのが難しい。なぜなら、「何となくこの人ならいける」という感覚でしかカミングアウトしていないからだ。この「何となく」が自分の中でも言語化できていない。

全くセクシュアリティについて話したことがない人でも、この人は大丈夫だと思う、とかあるし、「私はセクシュアリティについて偏見とかないから」と言われて逆に言いにくくなったこともある。後者については、偏見とかないから、という言い方が、区別はしてんじゃねーか、とひねくれて考えてしまった結果である。その友人とは今は連絡をとっていない。

さあ、そろそろ何が言いたいのかわからなくなってきた。たぶん書き始める前に言いたかったのは、タイトルにもしたとおり、「野次馬根性ありがとう」ということである。私もいい意味で、野次馬根性を持っていたいな、と思わせてくれる緑青さんの話だった。

次回は映画について書こうかな…何にしようかな…

(しあん)

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