「推し」が、推せない

「ジェンダー的なものがなければ、私女性だったかも」
こんな話を、以前友人とした記憶がある。社会的にどうみられているか、というのが自分にとって辛い、というのがいま言語化できる範囲かもしれない。

今週はテストやらイベント開催やらで結構忙しい週だった。(Twitterから来てくださっている方には周知の事実だと思うが、私は日本語教師を生業としている)メンタルも半年前よりだいぶ良くなったとはいえ、この忙しさはちょっとこたえたようである。

私の中で「元気の基準」があるのだが、それは「推しの最新の配信を待ち遠しく思えるか」である。これ、結構真理だと思う。
これを打っているPCの横には買ったものの未開封のCDがある。その下には未開封のライブBDだ。(まあ、最推しではないというのもあるけど)

先ほどの元気の基準で考えると、これはなかなか疲れているらしい。忙しさもこれで一段落するので、元に戻ればいいが…

「疲れているときに、重大な決定をしてはいけない」というのがTwitterで流れてきて、そうだなあと思った。一瞬ファンクラブをやめようか悩んだのだが、もっと元気なときに考えることにしよう。もうすぐライブもあるし。誰と行くか決めてないけど。

実は、ふだんスマホのメモ帳で書きたいことを簡単に書いてからnoteに清書する、というかたちをとっているのだが、今回はぶっつけ本番でnoteに書いている。新しい発見としては、そうすると文章が短くなる、ということらしい。

さて、今日はワクチン接種である。副反応が強くないことを祈るばかり。

(しあん)

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