ふたつめのふるさとを探す旅 前編
・旅がはじまる
目を覚ましたとき僕はバスに乗っていた。乗り物のなかで目覚めると、一瞬、どこにいるのかが分からなくなる。
(僕は朝早くに羽田を発って、鹿児島へやってきた。それで……いまはバスに乗って、鹿児島中央駅へ向かっているんだったな)
僕は深呼吸をして、それから窓の外に目をやった。もう10月だというのに日差しがまぶしい。
この旅行記はセカンドふるさとプロジェクトという企画のために書いたものだ。
「生まれた町や、いま住んでいる町のほかに、心の拠り所になるような町を探そう」というのがプロジェクトの趣旨である。これだけ不安定な世の中で、もし困ったときに「なにかあったらこっちにおいで」と言ってくれる場所があれば、いったいどれほど心強いことだろうか。
僕はいま、東京で働いている。東京はとても魅力的な街だ。でも、そこで「暮らしている」という感覚はない。「一時的に、ここに居させてもらっている」と感じながら生活している。きっと僕の場所ではないのだろう。だけど、まだ故郷に帰るつもりはない。戻るとしたらもっと大人になってからだ。
……僕はいつも、心の奥底で、ふたつめのふるさとを探している。だから企画へ誘われたとき、ほとんど二つ返事で参加を決めた。
今回は鹿児島県の日置市という町を取材した。人口は約5万人。鹿児島市近郊に位置する典型的なベッドタウンだ。3日間という限られた時間で、住宅街や観光地を精いっぱい見てまわった。同行者はnoteディレクターの平野太一さん。素敵な写真はすべて平野さんが撮影したものである。
鹿児島中央駅でJR鹿児島本線に乗り、伊集院駅へ向かった。伊集院は日置市のなかでもっとも大きい町で、人口の約半数がここで暮らしている。
「日置市に移住するとすれば、この町が候補になるだろう」
伊集院へ行くと決めた理由はごくシンプルだ。付け加えると、なんとなく町の名前を気に入ったことも動機のひとつとなった。
・Where is Thailand?
知らない電車で知らない町に行くのはいくつになってもドキドキする。期待と不安が入り混じったあの感情には、どういう名前を付ければいいのだろうか? 特に今回は先入観を持たないように下調べをしなかったから、普段より緊張してしまった。
車内では王舟のThailandという曲をずっと聴いていた。美しく、どこか物悲しい曲だ。
She backs in to Thailand
彼女がタイランドに帰ることになった
It's let me down
僕は落ち込んでいる
But she looks so fine
でも、彼女はそうじゃないみたいだ
歌詞に意味はほとんどない。淡々と物語がはじまり、淡々と物語が終わっていく。よく分からない曲だなと感じながら聴いている。
でも、そのときの僕には、王舟の歌声が切ないほどに胸に響いた(旅の終盤になってようやく、その理由が分かった)。
Thailand it's let me down
タイランドって聞くと、僕は落ち込んでしまう
Because she is so fine
だって、彼女は楽しそうだから
Where is Thailand?
ねえ タイランドってどこにあるの?
親しい人との別れは悲しい。その行き先が知らない場所であれば、悲しみはもっと深くなるだろう。
そう。「知らない場所」はいつも、僕たちを不安にさせる。誤解を恐れずにいうと、この町は、僕にとっての「Thailand」なのだろう。
そんな僕の気持ちとは関係なく、電車はどんどん前へと進んでいく。
大きい建物はほとんどなくなり、かわりに一戸建ての住宅が目立つようになった。立派な瓦の屋根の家が多い。調べてみると、瓦はこの地域の名産品であるらしい。あっ、小さい鳥居が見えた。きっと、地域の人から大切にされているんだろう。
……そういうことを考えているうちに、電車は目的地に到着した。
・伊集院駅
「あっという間に着きましたね」と、一緒に取材に来ていた山口祐加さんが言った。「思ったよりだいぶ近かったですね」と僕も同調した。羽田からここまで3時間強。ほんと、飛行機を使えばあっという間だ。
駅のなかで甲冑を着た人を見かけた。(なにかのイベントがあるのかな?)と思いながら通り過ぎようとすると、「どうも、お待ちしていました」と声をかけられた。
まさかと思って確認すると、今日の案内役をつとめてくれる、日置市市役所の重水さんだった。思わぬサプライズに、一同、大いに盛り上がった。
・徳重神社
重水さんにつれられ、徳重神社へやってきた。島津家と縁の深い御宮で、日置市の主要な観光地のひとつに数えられている。その凛とした佇まいを見て、思わず背筋が伸びた。
平日の午前中ということもあってか人気はなく、境内には神聖な雰囲気が漂っている。キジバトの鳴き声だけがあたりにこだましていた。
自然が豊かで清々しい。マスクを外して深呼吸をする。空気が甘く、とても濃厚だ。(こんなに美しい神社が、住んでいる町にあるのは素敵だな)と僕はうらやましくなった。
参拝後、徳重神社の歴史について教えてもらう。僕が日本史好きで、しかも重水さんが話し上手だったので、すっかり盛り上がってしまった。
「この神社は、妙円寺詣りの目的地になっています。妙円寺詣りとは私どもがもっとも大切にしている行事です。由緒についてお話すると、関ケ原合戦のとき、島津義弘公は徳川軍を相手に奮戦しました。しかし、力戦もむなしく撤退することになり、撤退を余儀なくされ……」
少しずつ重水さんのギアが上がっていく。
「しかし、そこはさすがの島津軍。彼らは危険を顧みずに敵陣を突破し、見事、薩摩の地に帰ってきたのです。島津義弘公の勇猛さを讃え、家来たちが自発的に始めた武者行列が、妙円寺詣りのはじまりなのです」
いちばん印象的だったのは、神社の建て替えについての話題だ。
「残念な話ですが」と重水さんは心から悲しそうに言った。「神社の老朽化が進んでいて、今後、建て替える必要があるかもしれません」
僕でさえショックを受けたから、地域の人にとっては非常に大きな問題なのだろう。
たっぷりと会話を楽しんだあと、境内をゆっくり見てまわった。隅々まで清掃が行き届いていて、本当に大切にされてきたのだなと実感する。
敷地のなかで相撲場と弓道場を見つけて少し驚いた。昔は柔道場と剣道場もあったらしい。ステレオタイプかもしれないけど、なんだか鹿児島らしい風景だなと僕は思った。
感心したり驚いたりしているあいだに、次々と地元の人が徒歩や自転車でやってきて、手慣れた所作で参拝し、そしてまた徒歩や自転車でどこかへ去っていった。それは実に美しい光景だった。
・町を歩き、歩いて、歩く
徳重神社を見学後、重水さんたちと別れ、平野さんと二人で町を歩くことにした。決めているのは、妙円寺団地という住宅街へ行くということだけ。ほかはまったくのノープランだった。
「ほんとうに妙円寺団地に行くんですか? あそこは普通の住宅街で、観光地ではありませんけど……」と重水さんはしきりに心配してくれた。無理もない。いくら物好きな僕でも、普通の旅行だったら行かなかっただろう。
でも、この旅の目的は、ふたつめのふるさとを探すことだ。もし伊集院に暮らすとしたら、円寺団地も候補になるはずだ。ぜひそこを見ておきたい。
団地まではバスでも移動できるけど、駅から徒歩で向かうことにした。
伊集院駅周辺はかなり栄えていて、さまざまな商業施設が建ち並んでいた。スーパーのほか、ドラッグストアやアパレルショップなども揃っている。少なくとも普段の買い物で困ることはなさそうだ。
町の中心部には川が流れている。神之川というらしい。川のある町が、僕は好きだ。
途中で中規模のマンションをいくつか見かけた。
「このあたりの家賃ってどのくらいなんですかね? けっこう高いって重水さんが言ってましたけど」と平野さんが聞いてきた。「物件マニア的にはどうですか?」
「実はさっきサイトで調べたんですよ。駅徒歩にもよりますけど、1LDKで5万円台、2LDKで6万円台ぐらいですね」と僕はこたえた。
単純に比較はできないけど、都内と比べるとはるかに安い。ただ、地方都市としてはけっこう高めだというのが正直な感想だ。たぶん、需要に対して供給が足りていないのだろう。
もし僕が暮らすとしたら、空き家バンクを利用したいと思った。日置市は空き家の活用が盛んで、古民家を活用したカフェや雑貨屋が約70店舗もあると聞いた。基本的には売買契約になるが、補助金制度もあるし、根気よく探せば賃貸の部屋もあるようだ。
そんな議論を繰り広げつつ、着実に目的地へと向かっていく。
駅から離れるにつれ、個人経営の飲食店や喫茶店が増えてきた。チェーン店も便利だけど、僕としてはこういうローカルなお店に心惹かれる。
写真は特に気になった焼肉屋だ。この佇まい。もし近所にあったら常連になっていると思う。
・山口菓子舗
道中で山口菓子舗という和菓子屋を見つけた。ちょうど休憩したいところだったので立ち寄ることにする。
店内では二人のお母さんが忙しそうに作業をしている。声をかけづらかったので、しばらくお土産を見ることにした。
名物のかるかんや伊集院饅頭を眺めていたら、「今日はどちらから?」とお母さんが話しかけてくれた。
「東京からです」と僕が言うと、「まあ、それはずいぶん遠いところから」と笑顔でねぎらってくれた。
もうひとりのお母さんが「旅行ですか?」と尋ねてくる。そこで僕はちょっと考え込んでしまった。いわゆる観光ではないし、なんと説明すればいいんだろうか。
「実は伊集院市を取材してまして……これから妙円寺団地に行くつもりです」と僕は正直に話した。
観光地でもないところに向かうと聞いて、二人はちょっと困惑の表情を浮かべた。でも、企画の趣旨を説明したらすぐに納得してくれた。
日置市のおすすめのお店やスポットを教えてもらっていたら、お店の奥からお父さんが出てきて、会話に加わってくれた(お父さんも「妙円寺団地に行くの? なんで?」と驚いていた)。
話が一段落したところで饅頭を購入した。外で食べるつもりだったけど、「よかったらお店のなかでどうぞ」と席をすすめてくれたのでお言葉に甘えることにする。
座ってくつろいでいたら、お父さんがお茶をふたつ持ってきてくれた。お礼を言って受け取ろうとすると、「お茶、あげないよ。自分用にいれたんだよ」と冗談を言った。そこにいるみんなが笑顔だった。
和やかな時間は過ぎるのがとても早い。あっという間に40分も経っていた。長居するのも悪いので、出発することにした。
去り際に「この町は好きですか?」と尋ねた。
お母さんたちは「そうねえ、やっぱり住んでて便利ですよ。交通の便もいいし、近くに大きな街があるし、自然もあるし……」と、良いところをたくさん挙げてくれた。
一方、お父さんは「なんにもない町だよ」と言った。今度は冗談じゃないみたいだ。「人もどんどんよそに移ってるしね。ほんと、なんにもない」
でも、その口ぶりからは、伊集院へのたしかな愛情を感じることができた。こういう例えはおかしいかもしれないけど、まるで年の離れた弟や妹について語るような、そういう響きがあった。
「また来ます」と僕は約束をして、再び歩き出した。
・妙円寺団地
団地に近づくにつれ、自然はどんどん濃厚になっていった。畑が増えてきて、良心市もいくつか発見した。かぼす50円、ナス100円。実に良心的な値段だ。
ふと、農夫だった祖父のことを思い出した。彼も野菜を良心市で販売していて、そのささやかな売上でお菓子やおもちゃを買ってくれた。もう20年以上も前の話だ。旅はときおり、奥底に眠っている記憶を蘇らせてくれる。
黙々と歩いているとき、懐かしいにおいを感じた。「これ、腐葉土のにおいですね」と平野さんが言った。またなにかを思い出しそうになったけど、うまく形にならず立ち消えてしまった。
途中で道を間違えていることに気づき、慌てて引き返す。トータルで3時間は歩いているだろうか? 重い荷物を背負っていることもあり、正直なところクタクタだった。でも、僕たちはとにかく歩き続けた。
地図によると、この坂道の先に団地があるらしい。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと上っていく。
坂を上りきったとき、僕は言葉をなくしてしまった。目の前に若草色の草原が広がっていて、遠くにぽつんとマンションが建っていた。広い野原で延々とやり投げの練習をしている人がいた。あまりにも現実感がなく、ぜんぶが幻のように感じられた。
しばらくの間、あてもなく住宅街を歩いていた。人気がまったく無くて、時間が止まっているみたいだった。(ここに来たのは、もしかしたら失敗だったかもしれない)と僕は後悔しはじめていた。
でも、その不安はすぐに解消された。日が傾きだして、子どもたちが帰ってくる時間になると、その様子がガラッと変わったからだ。小さな女の子がお父さんを呼んでいる。ふざけあいながら歩く男の子たちの笑い声が響く。
町が鼓動をはじめて、ゆっくりと動き出すような、不思議な感覚がした。
(ここは、こういう場所なんだな)と僕は思った。町には様々な形や役割がるということに改めて気付かされた。
「団地」と聞くと巨大な集合住宅を想像すると思うが、妙円寺団地はちょっと様子が違う。
大きな建物は少なく、かわりに一戸建ての住宅が建ち並んでいる。低層住居専用地域を設け、景観をしっかりと守っているようだ。道路もゆったりとしていて余裕がある。
団地内には公園や緑地があり、立派な保育園も用意されている。はじめは面食らってしまったが、冷静に観察するとずいぶん暮らしやすそうな町だ。
妙円寺団地には数時間しかいなかったけど、自分の「移住感」のようなものがはっきり変わっていくのを感じた。僕はそれまで、移住というと「人里離れた場所に移り住むこと」をイメージしていた。
もちろん、それも選択肢のひとつだと思う。いまでも魅力を感じる。だけど、たとえば子どもを育てるとすれば、こういう町のほうが良いのではないかと考えるようになった。
まだ答えを出す必要はないけど、「可能性」が増えただけでもここに来た甲斐があったと思った。
・喫茶ワイン
再び駅に戻ってくる頃には、すっかり日が落ちかけていた。夕食まで時間があったので、駅前のワインという喫茶店に入った。
ワインは素敵なお店だった。テーブルが4卓、カウンターが4席。ピンクの電話機、手作りのポップ、きちんと並べられたマグカップ。(これぞ個人経営の喫茶店!)と心のなかで喝采したくなる。
メニューを見てしばらく悩んだあと、コーヒーとチーズケーキのセットを注文した。その爽やかな酸味が疲れた体にはちょうどよく、ぺろりと食べてしまった。
ある旅行記に「旅にはレモンを持っていくと良い」と書いてあったことを思い出した。曰く、疲れ切ったときに食べるレモンはこれ以上なく美味しいそうだ。
もし僕が旅行記を出すとしたら「歩き疲れたらチーズケーキを食べると良い」と書きたいと思う。
お客さんが少なくなったタイミングでマスターに話しかけてみた。どちらかというと寡黙な人だったが、ゆっくりとした口調で、お店や町の歴史を教えてくれた。
「もうこの場所に移転してきて25年になるねえ。移転といってもすぐ近所だけど。前の店も25年やってたから、合わせて50年になるか」とマスターは言った。
「そんなに長くやられているんですね。やっぱり、町は変わりましたか?」と、野暮な質問だと思いつつも僕は尋ねた。
「もちろん、変わったよ。むかしはね、そこに汽車が走ってたんだよ。そのころは商店街も栄えていてね」
……またすっかり話し込んでしまった。しっかりとお礼を伝えて、お店を出ることにした。
「もう50年になる」と、会計のときにマスターは再び言った。「いつまでこの店もやれるかね」
「ぜひ、続けてください」と僕は言いかけたが、無責任だと思い言葉を飲み込んだ。そのかわりにこう言った。
「また、コーヒーを飲みに来ますね」
約束は増えていったが、そのたびに心が軽くなっていった。
・それは魔法というしかなかった
夕日に染まる伊集院は美しかった。まるで魔法にかかったみたいだ。
この美しさを言葉で表現することは、いまの僕にはできないと思った。でも、不思議と悔しくはなかった。またここに来ればいい。
この風景が、僕の心をもっとも強く揺り動かした。最後の光が川面に降り注ぎ、おだやかに輝いていた。
(僕はむかし、この景色を見たことがある)と思った。もちろんそんなはずはない。でも、そのときはたしかにそう感じたし、いま写真を見返しても同じことを思った。
いつかこの気持ちを表現できるようになりたいと僕は心から願った。
・お食事処むかえ
一日目の締めくくりに、お食事処むかえという定食屋を訪れた。重水さんが教えてくれた店だ。
おいしいご飯を食べながら、平野さんと今日の出来事について話し合った。そして、出会った人たちが教えてくれた場所や店舗を整理し、翌日の計画を立てた。
「この町にはなんにもないですよ」
伊集院で出会った人々は異口同音にそう言っていた。でも、そんなことはない。ずっとその場所にいるせいで見えなくなっているだけだと思う。
「それ」は隠れているわけでも隠されているわけでもない。ただ、見えないだけなんだ。
若草色の草原、古い喫茶店、赤く染まる川。この、みんなで食卓を囲めるように準備されたイスだってそうだ。気づかずに通り過ぎてしまいそうなそれらを、僕はとても愛しく感じた。
さて、明日はどんなものを見つけられるだろうか? 朝が来るのがなんだか待ち遠しい。
後編へ続く。
この記事は、セカンドふるさとプロジェクトの体験レポートとして、主催者の依頼により書いたものです。