名前のないものたちの物語が始まった 朝ドラ「虎に翼」感想文(第1週)
人は生まれて育つ過程で、どこで春について知るだろう。肌寒さも明るくなっていく光も花の香りも、どこに疑問があるだろう。
「誰かが私に嘘をついた」と米津玄師さんの主題歌が流れるが、嘘をつかれていることに気づくためには、基準になるものと比べ合わせる必要がある。春を知るには、冬を知る必要がある。法律に生きた女性をモデルにしたという物語の第1週は、その基準となるもの…六法全書を手に入れるところで終わった。
どこを切り取っても見所しかない、脚本も演出もそれは力の入った第1週だったけれど、自分的山場は金曜日の台所…母はるさんと、寅子のシーンだった。女の幸せを全うするための結婚を娘に説く母。「頭の良い女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のフリをするしかないの!」話題となったセリフだ。
じっと母を見つめて話を聞いていた寅子の目が、この言葉をきっかけにみるみる潤んでいく。それを観ながら、私は、もう30年も前に読んだ、竹中ナミさんの新聞インタビュー記事を思い出していた。
産んだ子供が障害児であるとわかった時、父がナミさんに「この子を殺して俺も一緒に死んでやる」と迫ったこと。お前が大変な目に遭って不幸になるからと泣いたこと。それを聞き、ナミさんは、インテリの父にこんなことを言わせる社会とは何なのかと強く思ったこと。そこから、社会の側を変えようとする人生を選択されたこと。
尊敬してきた母親から出た、暗い本音。強烈な自意識と、自負と、諦観の混じった言葉。「頭の良い女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のフリをするしかない」
こうやって他人を…周囲を、密かに見下すことでしか保てなかったもの。「心の底から自分を誇」れず、「一番であることに胸を張」れなかったはるさんのたどり着いた、黒く、寒く、冷たい結論に、寂しい嘘に、寅子は泣くしかなかったんだと思う。尊敬する母にこんな嘘をつかせる社会とは何なのか、と。
「人」として認識されること
2024年2月放送の100分de名著のお題は、哲学者ローティの著作「偶然性・アイロニー・連帯」だったが、人権についてこんな話があった。
”人権は確かに大事な概念だが、そもそも相手が私達と同じ人間だという感覚がない場合には、それは前提において機能しない”
人権を認めさせるには、前提として人として認められる必要があるのだ。
第2話、披露宴招待状のあて名書きをする母親たちと稲の手元が映った。
「馬越愛次郎様・同令夫人」宛
結婚した女性は、無能力者となる。名前がないことが前提としてある社会に対し、どうやって人権を認めさせられるというのか。本作が始まる前の解説番組で、”寅ちゃんがどんな風に奮闘してガラスの天井を突き破っていくのか”という言葉が用いられていたが、天井どころではない。そもそも社会という天井の下に、ともに存在する人間として「女たち」を認識させるところから話が始まっているのだ。
はるさんが研いでいたお米のとぎ水は、もう透明になっていた。時期は年末、ここまで研ぐのにどれほど冷たい水に手を浸し続けなければならなかっただろうかと思う。炊飯器がない時代、米を炊くには相当の時間がかかった。毎朝、毎晩、米を研ぎ、膳を整え、時にケーキを焼き、宴会の準備をする。台所で過ごしてきた膨大な時間をはるさんはどう思ってきたのだろう。番号の振られた棚、綺麗な字で付けられる備忘録、家を完璧に差配しながらも、なにをどうこなしても猪爪はるとは呼ばれず、凡庸な夫、猪爪直言の令夫人と呼ばれる日々の中で、はるさんの承認欲求は密かに密かに黒い色を増していったのじゃないか。
社会から承認されること
「君のような優秀な女性」
社会的地位をもつ穂高先生が寅子にかけた言葉は、単なる誉め言葉を超えて社会からの承認の意味をもっていただろう。人は、たぶん生存の承認の次に、社会からの承認を求める生き物なのだ。
「あなた、私をそんな目でみてたの?」母のような生き方を選択したくないといった娘に応じるはるさんの表情をみながら、あ、この人、ずる!と思った私。理に屈しない娘に放った情の一撃だ。はるさんは、ケンカの仕方を知っている。でも、寅子は、気づいてしまっていた。知ってしまっていた。披露宴に隠された嘘。はるさんの言葉に含まれた嘘。「漠然と嫌だと思っていたことすべてにつながる理由」があること。
穂高先生という社会からの承認を受け、「心の底から自分を誇れる」「一番であることに胸を張れる」可能性を知った人間は強い。だからこそ、母にNOと言えたのだ。
はるさんは、一晩なにを考えただろう。この世の嘘に、自分の狡さに娘を引き込むことについて、だったりしないだろうか。
「私の母はとても優秀ですが?おそらくいま想像していらっしゃるよりもずっと頭がよく、記憶力も誰よりも優れています」
この言葉は、はるさんにとって、のどから手が出るほど欲しかった、でもその欲望を認めることができなかった、社会からの承認だったに違いない。
はるは、新しい振袖ではなく、六法全書を与えることを選択した。愛する娘に、迷いながらも、人生のあちこちに潜む「嘘」を照らしていく人生を選ばせたのだ。「私は、私の人生に悔いはない」と言い切ったはる。でもいずれ、その名前がないものとして過ごした彼女の人生が、猪爪はるの人生として照らされる日が来るかもしれない。その一隅を照らす春の光を、今はまだ名前のないものにすぎない、寅子がもたらす。
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