綺麗なお水の流れるほとりで 朝ドラ「虎に翼」感想文(第8週)
「人には、その時代時代ごとの天命というものがあってね」
「また…君の次の世代が、きっと活躍を」
穂高先生がどんな立場に置かれてた人か想像したくてこの頃の学問の場について書かれた本を読んでいるけどさっぱり頭に入ってこない。筋や道理が通らない、気が狂ったのかとしか思えない屁理屈がさも当然のように法律となり、実際の生活に投下されていく。
「綺麗なお水に変な色を混ぜられたり、汚されたりしないように守らなきゃいけない」とかつて寅子は言ったけれど、それが出来なかった時、どうなるのか。
月曜日冒頭の案件は、酷い夫と離婚したいという女性の訴えだった。「女側からの離婚を成立させるのは至難の業」と、よね。夫と離婚できない、できても母親が親権を得ることはほぼない、そんなルールがある中で、両国満智のチートは鮮やかだ。
統制法違反
言論弾圧の弁護
ルールを守らない、という理由で告発される人たちが次々現れ、寅子や雲野法律事務所が忙殺される様子が描かれる。
しかし、ルールを守れない事例が多発するということはそのルール自体に問題がある可能性が高い訳で、そここそ問われなければならない、のに…1942年(昭和17年)の舞台では、もはや誰も手をだせなくなっているのだ。
「お腹の赤ん坊が、驚いてしまうよ」と穂高先生。
1881年(明治14年)生まれの直言さんの恩師なら、1942年(昭和17年)の時点で70歳近かっただろう。法曹の人間として守ってきた「正しさ」の源泉を土足で踏みにじられ、綺麗なお水に変な色を混ぜられて、学者としての尊厳をメチャクチャに毀損されても、それでももはや黙ってその様子を眺めるしかない老人が、次の世代に希望を見ようと寅子の「お腹の赤ん坊」にすがった。そんな様子だったのじゃないかと思うと…いたたまれない。
「婦人弁護士の先頭に立って頑張ってくれよ」
「辞めていった仲間の為にも、世の女性たちのためにも、自分が先頭に立ち社会を変えていく」
「困っている依頼人のため誠心誠意働くのみ」
「子どもたちにとって、もっともっといい国になっていく」
大義。自己犠牲。その中で個人は名前を失い、本末は転倒していく。「国体の護持」という大義のため国民全員の命を懸けるというが、その国体とはなんなのか。国民が死に絶えた国に、守るべきものなど何もないというのに。
「寅ちゃんができるのは、寅ちゃんが好きに生きることです。また弁護士をしてもいい。別の仕事を始めてもいい。優未のいいお母さんでいてもいい。僕の大好きな、あの、何かに無我夢中になっている時の寅ちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること。いや、やっぱり頑張んなくてもいい。寅ちゃんが後悔せず、心から人生をやり切ってくれること。それが僕の望みです。」
出征前の最後のデート。多摩川の綺麗な水が流れるほとりで、優三さんは何度も何度も、寅子の名前を呼んだ。「寅ちゃんの好きに生きること」「寅ちゃんがやり切ること」そこには、誰かのためという大義は一切入らなかった。
日本国憲法の公布は1946年(昭和21年)、施行は1947年(昭和22年)5月。優三さんの出征から2年後だ。血縁を失い、社会的な肩書を持てず、穂高先生にも名前を覚えてもらえなかった優三さん。いつもいつも一歩後ろに下がって、誰かを支え続けた人。彼が綺麗なお水のほとりで寅子に残していった「僕の望み」という名のルールは、まるで日本国憲法のようだった。
大好きな寅子に、一足先に新しいルールを置いていった彼が、どうか無事に、彼の大切な家族のもとに戻ってくることを願ってやまない。
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