その花の名前 朝ドラ「虎に翼」感想文(第6週)

天皇機関説 (てんのうきかんせつ)
大日本帝国憲法(明治憲法)の解釈をめぐる一学説。美濃部達吉によって代表される。この学説の特色は,〈統治権は天皇に最高の源を発する〉という形で天皇主権の原則を認めるが,しかし同時に天皇の権力を絶対無限のものとみることに反対する点にある。すなわち統治権は天皇個人の私利のためではなく,国家の利益のために行使されるのであるから,国家はその利益をうけとることのできる法人格をもつもの,したがって統治権の主体であり,天皇は法人としての国家を代表し,憲法の条規に従って統治の権能を行使する最高〈機関〉であると規定する。そして,このような理論的基礎のうえに立つ解釈によって,大日本帝国憲法からできうる限り多くの立憲主義的運用の可能性を引き出そうとした。

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」

桂場等一郎の憂鬱

この時代の空気が知りたくて、朝ドラ「らんまん」の時に読んでいた『天皇と東大』(立花隆著)の続きを買って読んでいるけれど、読み進めるほどに桂場判事は一体どんな気持ちで日々を過ごしていたのかと暗澹たる気持ちになる。
桂場判事が学生時代を過ごしただろう大正9年(1920年)、帝国大学に憲法の講座が増設され、美濃部達吉博士が上杉慎吉博士と並び講座をもつようになった。大学に入学した桂場青年がどちらの講座を選択したのかは想像するしかないけれど、ドラマを観る限りロマンティシズムの方向がこの本の上杉教授とはずいぶん解釈違いなので、勝手ながら美濃部教授の下についたんじゃないかと想像している。

美濃部達吉博士。大日本帝国憲法の解釈を整理し、1920年代から1930年代前半にかけて国家公認の憲法学説にした人物だ。彼が整理し発展させ、当時の法曹界に広く認められていた「天皇機関説」という憲法解釈は、昭和9年から昭和10年にかけて政争の具にされ、非難を受け、法曹達の意見や解釈を置き去りにしたままあっという間に政治的に否定されることになった。その様を、桂場はどんな言葉で評しただろう。「干渉?そんなもんじゃない」と言ったかどうか。

「桂場判事。昨年から民事事件の担当になったそうだよ。」
これは花岡と寅子が交わした昭和13年(1938年)春の会話だ。その1年ちょっと前、共亜事件で水沼の息のかかった案件を鮮やかにぶっ潰した桂場判事に対し、この時期本当にびっくりするほどの速さで「土足で踏み荒らされ」ていった”法解釈”がどう影響したのかは想像するしかないけれど、そう明るい気分で団子を楽しめる空気ではなかったことは確かなようだと、今、暗い気分で本のページをめくっている。

猪爪寅子の憂鬱

「…花だらけだな」「ええ、皆さんが、お祝いしてくださって」
花。奈良時代なら梅、平安時代なら桜。古典の授業でそう教わったものだけど、昭和の花はもっと種類が増えていた。部屋中を埋め尽くした切り花の命はどれくらいだっただろう。あっという間に散っていく切り花の水を替えながら、寅子は何度、いなくなった友を思い出しただろうか。たった数か月で3人(+1名)の友がいなくなり、目の前の優秀な友は偏見に散った。
香淑、涼子、たま、梅子、よね、花江、はる…このドラマには、花を想起させるような美しく、あるいは貴重なものを名前につけられる女たちが出てくる。かくあれ、あれかしと言祝がれ、なのに社会からは認識されずいつの間にか落ち、時に消費され、踏みつけられてきた数々の花たち。

「生い立ちや、信念や、格好で切り捨てられたりしない、男か女かでふるいにかけられない社会になることを私は心から願います。いや、みんなでしませんか?しましょうよ。私はそんな社会で何かの一番になりたい、そのためによき弁護士になるよう尽力します。困っている方を救い続けます、男女関係なく!」

力強く宣言した寅子の心情にあるのは、間違いなく、たくさんの名もなき花たち…そして、恩師の言葉なんだろう。「長年にわたって染みついたものを変えるというのは容易ではない。それでもそれを我々は引きはがし、溶かし、少しづつでも新しく上塗りしていくしかない。君らが背負うものは重いかもしれない。だが、君らは、その重みに耐えうる若者だと、世の中を変える若人だと私は知っている。」

若さ。青さ。それだけが持つ清冽さ。ほとばしるような熱量を持った若き法曹の言葉は、この時期の桂場先生の耳にどう響いただろう。「みんなで」「男女関係なく」

寅子の演説を聞いて吹き出した桂場。最初、私はこの笑いを「面白いやつだ」と桂場が感じた、その発露かと思っていた。でも第30話の冒頭、寅子の記事をスクラップする直言さんの傍らにあった新聞には「我軍 武漢陥落後も進撃の巨歩緩めず 随所に戦火を拡大す」とあった。武漢作戦。実態はこの見出しのようなポジティブなものではなく、戦局の不拡大方針を何とか保ってきた日本が、事態収拾への糸口を失った節目の作戦だったとある。国内ではこの動員・巨額の出費のため1938年5月5日に国家総動員法を施行した。ちょうど、花岡が寅子とお昼ご飯を一緒に食べ、桂場先生の話をしていたころだ。
「男女関係なく」その言葉は思っていたのとは違う方へ…寅子の思惑とは全く違う方向で成されていくことになる。桂場の心情がどのようなものだったか、時代背景を知るほどに分からなくなる。「君が宣う言葉の先にある地獄をわかっているのか小娘よ」と、思ったかどうか。

来週は、どのような展開になっていくのだろう。写実性の高いドラマだから、私もできるだけ時代の空気を教えてくれる本を読まなきゃ、と思う…きついけど。

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