怒ることを諦めない 朝ドラ「虎に翼」感想文(第5週)

り‐そう ‥サウ【理想】〘名〙
① (ideal の訳語) 哲学で、人間の理性と感情を十分に満足させる最も完全な状態。現実の状態の発展の究極として考えられた最高の形態。実現可能な相対的な究極状態と、実現不可能だがそれでも行為を促す絶対的な状態(神、最高善、永遠)の二つに分かれる。
② (━する) 現実には実現されていないが、将来はこうありたい、また、当然そうあるべきだと思いえがくこと。また、思いえがく、望ましい完全な状態。

精選版 日本国語大辞典

昭和11年、価値観の変遷

昭和11年(1936年)を舞台にした今週、様々な世代の人間たちがそれぞれの価値観で動く様子がとても興味深かった。

「猪爪、直言。明治14年…9月17日」
直言さんが生まれた明治14年(1881年)は、国会開設の勅諭があった年だ。近代国家というものがどういう形をしているのか分からないところから始め、維新という言葉とともに国の土台を一から作り直そうとした人たちは、どのような理想を憲法に込めたのだろう。
硬直した身分制度が壊れ、将来はこうありたい、あるべきだと思い描くことができる世の中。初めて海を渡りヨーロッパの啓蒙思想に触れた、江戸時代のエリートたる若者たちはどんなに高揚しただろうかと考えるとこっちの血も騒ぐ。大河ドラマ「青天を衝け」で描かれた、栄一の若き日々を思い出す。

「君のロマンチシズムが、怒りが、よく現れている」
ロマンチシズム=空想主義、とするのが一般的だけど「怒り」と並列された穂高先生の意味するところは空想というより理想主義といった方がしっくりくる気もする。大日本帝国憲法が発布されたのは明治22年(1889年)、直言さん8歳。ちょうど今の直明と同じ年くらいだ。イルミネーションや提灯を灯して大騒ぎで祝ったという記録が残っているけれど、小学生の彼はその大騒ぎを覚えていただろうか。桂場先生は直言さんよりだいぶ年下だろうからまだ生まれていなかったかもしれないけれど、その後おそらく進んだ帝国大学で、法治国家として…近代国家の仲間であることの証としての「憲法」を、誇りと矜持をもって学んだに違いない。新しい価値観で作られた法を身に着けた、新進気鋭の法曹であり裁判官。

一方、水沼のモデルとされる平沼騏一郎は慶応3年(1867年)生まれ…桂場先生の親くらいの世代だろうか。拷問で脅して自白をとり、すれ違いざまに”それに見合う地位”を匂わせ、身分のヒエラルキーで組み伏せようとする。もしかしたら、水沼や日和田のやり口は、新世代の桂場先生から見ると「証拠主義」「司法の独立」という新しい概念を理解できない、旧時代の亡霊に見えていたのかもしれない。
でも逆にみると、たった20年~30年くらいで価値観ががらりと変わってしまったということでもあるのだ。江戸時代・約260年の果ての(多分)武士の末裔:貴族議員水沼にしてみると、身分が高い自分がいう「悪いようにはしない」が通用しない桂場は、宇宙人くらい価値観の異なる人間として映ったかもしれないと思うとなんだか感慨深い。世代が変わる。価値観も変わる。昨日の私達は、明日の私達とは違うのだ。

令和6年、価値観の変遷

「エンターテインメントと社会性は両立すると思っています。というより、切っても切れないものです。どんな作品も作り手の思想がのるもので、思想がないようにみえるものは『思想がない』という思想です」

 「私より少し前の世代くらいから始まった『暑苦しいのは恥ずかしい』『頑張りすぎちゃって、ムキになっちゃってダサい』みたいな考えが、私にはどうも合わないんです。その考えの方がダサいと思ってしまう」

 「でも実際に生きづらい人たちや当事者が声を上げたり一生懸命前に出たりすると、時に矢面に立ち、攻撃を受けてしまう。だから私はエンターテインメントが代わりに声をあげて、攻撃をかわす盾になれたらいいなと思っています。一人で立ち上がるのはしんどい。作中の『異物』たちが、そっと背中を押して、味方でいられたらうれしいです」(「虎に翼」脚本家:吉田恵里香さん)

「スンッ」より「はて?」で世界を開け 「虎に翼」作者インタビュー 
朝日新聞デジタル5月3日版

団塊ジュニアの私が今年37歳になる吉田さんと同じ年の頃、親会社から出向してきていた一回り上のバブル期女性上司の口癖は「そうはいっても」だった。理想論をいろいろ言っても始まらない、それより実(ジツ)をとりなさい。現実をみて、ある程度は目をつむりやり過ごしなさい。親会社はとても大きく、はたから見ても彼女はとても優秀だったけれど、吹けば飛ぶような小さな子会社の部長職が彼女の役職定年ポストだった。彼女と同期の女性は見当たらなかった。あれは優秀な彼女なりの処世術だったのだと思う。
ここでゴネてもどうにもならない、きっと悪いようにはならない。そういってため息をつき、やり過ごし、”ムキになっちゃったらダサいから”「やりきれなさ」をエンタメにして、きっと悪いことにはならないはずの、誰かが何とかしてくれるはずの未来を信じて飲み込み続けた私達。そのひとまわり後輩、ミレニアル世代として吉田さんたちがいる。

「長く待ったかいがありましたね」「ええ、風が来ました」「やさしく、猛々しい風が」

風の谷のナウシカ(4)宮崎駿

コミックス版「風の谷のナウシカ」に、印象的なシーンがある。人間たちの愚かな行動の積み重ねにより引き起こされる”大海嘯”。その厄災は避けられない、と告げる老僧たちに対し、若いナウシカが「私は(大海嘯を止めることを)あきらめない」と叫び、飛び出す。その言葉と様子を見て、老僧と骸骨たちが「長く待ったかいがあった」と言祝ぎあうのだ。

吉田さんの紡ぐ物語からは、優しく、猛々しい風を感じる。ナウシカと同じような、清冽な怒りと一緒に。彼女の物語の人物たちは、諦めない。怒ることを、諦めない。「仕方ないね」とやりきれなさごと飲み込むのではなく、口の中に滲んだ血を唾と一緒に吐き捨てて、きちんと怒る声がする。
そして、そんな正論のもとにこそ集まるパワーがある。理想論の若さと、青さと、だからこそ吹きだすパワー。団塊ジュニアの私にはそのまっすぐささる光があまりにまぶしくて、時々少し目をそらしちゃったりする。でも、そらした目線の先に自分のムスメがいて、ぐっと引き戻される。「あなたが悲しみに暮れたままでいいのか?」米津さんの歌詞にのせて、毎朝問われている気分でいる。

「法律は道具のように使うものじゃなくて、なんというか、法律自体が守るものというか。…私達は綺麗なお水に変な色を混ぜられたり、汚されたりしないように守らなきゃいけない。綺麗なお水を正しい場所に導かなきゃいけない。」

来週からはいよいよ昭和も10年代半ばになっていくのだろうか…直言さんの事件で猪爪家が大騒ぎだったころ、法の世界でも大事件が起きていた。美濃部達吉の天皇機関説事件。憲法の解釈をめぐって、大きなイデオロギーの波が、戦争を前に法の源泉に黒い色を流し込んでいくわけだけれど、どこかで触れられるのかしら。どうだろう。らんまんの脚本家の長田育恵さんがおっしゃるところの「時代の断層」…激動の時代がどのように描かれるのか、来週も楽しみです。

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