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「できない事」を「できないまま」年老いる事はどうなのだろう?

こんにちは「WTF ブログ」です。
今日はアルバイトに追われてやっと辿り着いた休日です。

できない事を出来ないまま 年老いてしまったら
私たちはどうなっていくのか、不安に駆られていました。

私は15歳の頃に、母親を子宮頸がんで亡くしました。
そこから他県に引っ越して、今は高齢者に暮らしを支えられています。
皆さんが言う「親に感謝しろ、衣食住は親が作っている」というのは
なんとなく自分の胸に伝わりますが、自分の中へ落とし込めているか
問われるとそうではありません。

なぜなら、母親のご両親がお金に関する問題を起こして。
その影響で母親は「こうするしかなかった」生活に入ってしまったから。
そこで幸せになれれば、まだ良かったですが。
純粋な気持ちで男性に心を弄ばれたのか、ラインには寂しい文章で
「もう会いに来ないで、病気の私なんて好きじゃないでしょ」と
書かれていました。

直接的に追い詰めていなくても、間接的に追い詰めていたのなら、
それは、自然とそう考えてしまいますよね。
過去は消えなくて、立った壁もずっと消えないと思います。
苛立ちであったり、悲しみであったり。

やりたい事がやりたい時に出来る自由は過去の自分がつくる。

両親という立場の高台から物を言うのでなくて、
捻くれて心を閉ざすのではなくて、
触れられる距離でいつだって話す事がお互いに
歩み寄れる生活が続いていくことができれば
豊かに。

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