「車掌の本分」にみる仕事論
「残業問題」とか、「働き方改革」とかで思い出す
かんべ むさし 「車掌の本分」
今調べると、中学校の教科書となってるけれど、記憶の感じではもっと若かったような・・・
「かんべ むさし」という苗字とも名前ともつかない著者名も重なり、幼いながらに、「仕事とは?」「働くとは?」「相手の真意は何か?」ということについて、心に問われた1篇の小説。
物語は冒頭、爺さん車掌と若者の運転手の会話から始まります。
やがて、読み進めると、二人は猿と分かり
さらにその後、動物園の飼育係とボスの会話を挟みながら進んでいきます。
”「働かなければ食えんことくらい分かっている」”
働かざるもの喰うべからず。
大人になって、大学を卒業したら働かなくてはならない。
そんなイメージをしっかり植えつけられました。
けれでも、近い将来ベーシックインカムが導入され、
「そういえば、昔そんな言葉もあったよね~」
と、語られる日もそれほど遠くないような気がします。
”「わしは車掌という仕事が好きだ。多勢の候補者のなかから選ばれたときには、本当に嬉しかった。だからこそ一年ががかりの訓練にも耐えたのだ。
うまくできなくて、何度電撃ショックの罰をくらってもな」”
孔子曰く
「汝の愛するものを仕事に選べ、そうすれば生涯一日たりともはたらかなくて済むであろう」
好きな事を仕事にするというのは、とても大切です。
好きなだけで、仕事にするのは難しいのも大人になって分かりましたが、逆に幼少期に父親から植え付けられた、
「好きなことばかりやって仕事になるもんか」
というのは、余りよくない体験でした。
今、息子はYoutubeで動画を好きで良く見ているのですが、このような、Youtuberとう好きな事を仕事にしているロールモデルが居るというのは、一つの体験として素晴らしい事だと考えます。
その後、モンキートレインは大当たり。
車輌と労働時間は伸び、休憩時間は短く。
その事について、飼育係が事業部長に訴えるのですが、本質は、そこでは無いところにあるわけです。
”「だが、それは別にかまわない。わしはこの仕事に誇りを持っているし、労働強化だと騒ぐ気持ちもないんだからな」”
車掌は、労働時間が長い事に不満を持っているわけではないのです。これは、最近話題になっている労働時間の問題と若干被る気も。
実際、コンサルの方とかと話ししていると、
「仕事好きなんで、労働時間といわずに勝手にやらせてくれ」
という人も少なくないですね。
勿論、強制されて長時間労働するのは良くないですが、仕事がしたくても出来ないというのは、それはそれで悲しいことなのかもしれません。
”「しかし、ひとつだけ我慢のできんことがある。車掌としての誇りにかけて、どうしても辛抱できないことがある。」”
”「一日ぶっつづけの乗務でもかまわん。バナナを少しくらい減らされてもいい」”
”「とにかく、わしに車掌としての仕事を完全に果たしたという満足感を持たせて欲しい」”
結局、労働時間とか環境とかは一面に過ぎず
本人がしたい仕事をしっかりと全う出来るかどうかというのが、論点になってくるものです。
一律に労働時間を減らすとかではなく、長時間働きたい人は長く、短い労働時間を望む人は短く。
というバランスをとれるということ、
仕事としても本質を全う出来る事が大切だと考えています。
”「どう考えても、サルにはきつすぎるスケジュールだと、あれほど言ったのに」
そんなことが原因ではないのだー”
当事者ではない者達が、想像であーだこーだ言ったりすると本質とは離れた議論となる可能性がでてきてしまう。
想像で、何かを論じても意味がないのです。物語では、相手が猿なので実際に聞くことは出来ないのですが、現実世界では本人に聞いてみるのが一番早いです。
”「わしは、死ぬまで本文を尽くすでだろう・・・・・・」”
先の孔子の言葉通り、この車掌にとって、車掌の仕事は好きな事なので、
死ぬまで、それをやれといわれれば、
それは、労働ではなく歓びである事に間違いない。
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