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【国創りFES】怪しい宗教か、それともかけがえのない「非日常」か


何度も何度もちゃんと言語化しようと思ったけどなかなかうまくまとまらなくて、書き散らした言葉たちをようやく形にしました。


奇々怪々

ゴールデンウィーク後半の4連休は、LES WORLDという団体が主催する「国創りFES」というキャンプイベントに参加してきました。
後から聞いた話ですが、LES WORLDと検索すると「怪しい」「宗教」と検索候補に出てくるそうです。
ほんまか〜!?と思って調べてみました。

…ほんまや………

マジでした。

とはいえわたしも、国創りFESの参加を一瞬迷った理由が「話を聞いてみてもなんだかよく分からなくて怖い」だったのでなんとなく気持ちは分かります。

本題に入る前に、なぜLESWORLDが宗教っぽく見えるのかを考えておこうと思います。

そもそもLESWORLDとはどういう団体なのかというと、もともとはさまざまな国の孤児院の子どもたちとミュージカルをつくるワークショップを届けるエンターテインメント集団です。が、日本でも無人島でワークショップしたりヘリポート跡地でワークショップしたりしています。

れっきとしたNPO法人で、毎年きちんと収支報告書や活動報告書を提出しています。

NPO法人の活動を規定した「特定非営利活動促進法」では第2条で団体として宗教活動を行うことは禁止されているので(個人の範囲であれば許されるようですが)、法人格を持つ団体であるLESWORLDが宗教団体であると言うのはかなり無理がある、ということになります。

そうは言われてもなんとなく怪しいやん、という声が聞こえてきそう。

というわけで私なりに「LESWORLDが宗教っぽく見える理由」を考えてみました。

①イベント名だけ見ても何をやっているかよく分からない
「国創りFES」と言われてわたしは独立国家の建設を実地研修みたいな形で学ぶのかと思ってました。そんな研修があったら逆に行ってみたい。

②参加者にリピーターが多い
コミュニティのメンバーが展開する他の色んなサービスにも顔を出している人達がたくさんいる印象。LESWORLDの勝手をわかっている人たちがたくさん来ている気がします。
プロモーションにも非常に協力的で、熱量高くオススメしてくれます。
圧倒的な顧客ロイヤルティの高さを誇っており、それが「信者」っぽく見えるのかも…。

③強固なコミュニティが存在している
これもさっきと同じ。イベント終了後もオンラインオフライン問わずオフ会などが定期的に開催されることもあってつながり続けることが可能です。

まとめると、

  • 参加者の熱量が非常に高い

  • 中身がよく分からない

このあたりが宗教みと怪しさを出しているんだろうな〜と思います。
長所と短所は裏表、とはよくいったもので、参加者に愛されている組織だからこそ抱える問題なのだろうな…。

杞人天憂

さて、5月3日。広島駅へ向かってる瞬間から帰りたかったです。笑

わたしの過去の記事を読んだことがある方はご存知の通り、こんなに色々やっている割に「初めての場所・空間・状況」はめちゃくちゃ苦手なのです。お金払っちゃってるから行くか…で自分を奮い立たせてることがしばしば。

今回もそんな感じでした。ましてや何するかあんまよくわからないけどなんかおもしろそ~という当時の自分を殴りたくなるほどの勢いで申し込んだイベントです。検索してたら行くのやめてたかもしれない。

国創りFESには「前泊」という、参加する前から参加者と一緒に行動したりできる制度があります。前日から仲間ができて安心できる制度ですね。

私も実は前日には広島に着いていたのですが、前泊には混じりませんでした。

理由としては普通に広島の街をひとりでお散歩したかったからというとってもしょうもないものなのですが(笑)お友達に紹介してもらったゲストハウス(行ったら前泊の人がいましたが)に泊まり、3日の午前中は1人で広島の街をお散歩しました。このときの話はまた別の機会に書こうと思います。

モーニングを楽しむなどしていた

自問自答

着いてから4日間は怒涛のスケジュールで正直あんまり記憶がない部分も…。最後の方に「20個ぐらいワークショップやった」と聞いて「そんなに…?」となったぐらいには所々の記憶が抜け落ちています。

4日間で「国」を創って壊す、という字面だけを見るとやべえ感じに聞こえますが、それはあくまでアートとしてのテーマであって、実際は「国」を通じた他者との協働や交流を通じて自己や他者と向き合い、自己を再構築する4日間だったのだと解釈しています。


その目論見通り…とはいきませんでしたが、少なくとも仕事などの「やらなければいけないこと」のことを何も考えず、ただただ目の前にいる仲間たちと向き合い続け、自己についてひたすら考えることが出来た時間でした。

今まで自分としっかり向き合う時間なんてほとんどなくて、自分の強みも弱みもやりたいことも分からなかったのです。

だから、私の語る言葉は、すべてが用意してきたおあつらえ向きの答え。そんな自分のことも自分の言葉も好きではありませんでした。

初日の「アルケミスト」というワークショップ。同じグループの3人が自分の過去をぽつりぽつりと話してくれているのを聞きながら、なんて自分の人生はつまらないんだろう、と思っていました。特に山も谷もなく(ちなみに3日目の「いちばん辛かった時の自分へ」の手紙もそんな時期思いつかなくてぱっと思いついた思い出で書ききっています)、のらりくらりと生きてきたし、それでなんとかなってきた人生でした。

それでも提示された問いに合った話をすらすらと語ることが出来てしまう自分にも嫌気がさした時間でした。

正直周りのみんなが羨ましかった。

自分の過去や未来について考えていても、途中でもやがかったように何も考えられなくなってしまいます。それでもなんとか話を作らないといけないと思って、話すことを一生懸命用意していました。

空がきれいだなあとか、そういうことを考える方が楽


でもだからこそ、みんなの話が聞きたいと思いました。みんなが自分の過去や今、未来をどう捉えているか、知りたかったのです。

とそんなことを言いつつ国創りの4日間では全然時間が足りませんでした。眠かったし…笑

またどこかでゆっくりお話してくれる人、募集中です。

合縁奇縁

とはいえ本当に素敵な出会いに恵まれました。

ワークショップで一緒になる人だけでなく、休憩時間とかのちょっとした時間に関わった人みんなが優しくて、誰といても楽しく過ごせていました。

1人来なくて焦った集合MISSIONとかね〜!?

戦争シュミレーションでなぜか村長になったり、夜中しっぽりと2人で語り合う日があったり、テント内でヅカオタを発見し嬉しくなったり、コモンビートに誘われたり(来年も新潟に残れたら新潟のやつに出たい!)、ミュージカル班の歌ソロメンバーで自主練しまくったり、本をたくさん紹介してもらったり、「お金のいらない国」でいろんな子とアクセサリーを通じてつながれたり、他にもいろいろあるのですが、普段の自分からは想像もできないくらいたくさんの人と関われた気がします。

それから「家族」は、いつだってわたしの帰る場所でした。3人の顔を見るだけで嬉しかったし、なんだかんだでずっと3人がどこにいるか探してる自分がいました。新潟から関東はちょっと遠いんだけど絶対また会いたいって思える大切な仲間たちです。

まさかとは思ったけどこれしか4人で撮ってなかった


みんながお話してくれることがとっても嬉しかったし(個人的に話したみんなはもちろん、全体の場で発信していたみんなも)、そんなみんなの思い出の一端に貢献したいと思っていました。楽しい場作りに自分も役立てていたらいいなあ。

そうそう、プログラムがある程度綿密に組まれていて色んな人と話す機会がありましたが、それ以外の時間の交流は割とこちらに委ねられている感じだったからこそ、誰かと仲を深めることもできれば、とにかくたくさんの人と交流する!ということもできる場だったと思います。

歌舞歓楽

国創りでやったことといえば、自分と向き合うこと、たくさんの人とかかわること、そして思いっきり表現することでした。

テーマ曲「BIRTH」を歌詞を一つ一つ紐解いてじっくり解釈し、振り付きでハモリながら歌い踊る。

LES WORLD LIVEで舞台に立つ。

みんなで絵の具を使って「旗」を作る。

などなど、「表現」がもうひとつの軸だったように思います。


BIRTHのワークショップのときやミュージカル班の練習のとき、みんなの顔つきがフッと変わったのを見て、自分も突き動かされるように表現の世界へのめり込んでいった記憶があります。

久々に(もしかしたら初めてかもしれない)思いっきり歌って、身体を動かして、わたしってこんなに声出るんだ!ここまで高い音が地声でも出せるんだ!こんなに身体が動くんだ!と新たな自分に気づくことが出来ました。

中高6年間合唱部で、歌うことはそれなりに好きだったけど、私が学んできた歌い方はいわゆるオペラの歌い方(ベルカント唱法といいます)でした。さらにパートはアルト(しかも女性三部合唱の)だったので、常に「アルトうるさい!」と言われ満足な声量で歌えていなかった気がします(笑)
そんな感じで、声量や表現のリミッターを外すことがあまりなかったので、そもそも「思いっきり」やること自体がなかなかない経験でした。

なにかから開放された時のパフォーマンスは、本当に楽しくて充実感があって、めちゃくちゃ幸せでした。

この気持ちは一生忘れたくないし、また感じたいと思える感覚でした。

ミュージカル班でソロも歌わせてもらえたしそれもめちゃくちゃ楽しかったです。「やりたい」って言ってみてよかったなあ

歌ってる時基本的に楽しそうな顔してるわたし

自愛自重

「BIRTH」のパフォーマンスをみんなで作り上げる上で、歌詞や振りの解釈をたくさんしました。

わたしの大切にしたいものってなんだろう?わたしがつかみたいものってなんだろう?と寝不足で回らない頭で必死に考えたけれど、その場では薄ぼんやりした適当な答えしか出てきませんでした。なんて言ったかもあんまり覚えてないです。

国創りから帰ってきて1ヶ月くらい経って、改めてゆっくり考えてみました。

わたしが大切にしたいもの。きっとそれは、「自分らしさ」なのだと思います。

この世界は、ともすれば自分を殺していた方が「うまく回る」世界です。常に目の前の相手のために、と。むしろ、そう考えている方が気が楽な時もあります。「自分はどうしたい?」を考えなくても、やらなくちゃいけない事がたくさんあるから。そして自分の性格的にも、自分ではなく相手のために動くことの方が得意だし、そうすることの方が多い気がします。

でも、そんな世界で流されるままに生きていていいのか?という疑問が、去年くらいから湧いてきました。

その疑問について、半年ぐらいぐるぐる考えていたのですが、国創りに参加して、「自分の人生」も、自分のことも、周りのみんなと同じくらい大切にできるようになりたいな、と思うようになりました。

だから、「自分らしさ」を大切に、わたしの人生を自分で充実させていきたいです。

その姿を見ることが、周りにもいい影響を与えられるのであれば、それが一番幸せなことだなあと思います。

それから、わたしがつかみたいもの、全然出てきませんでした。

かろうじて出てきたのは、「強み」と「」です。

さっきも書いたけど、わたしは自分の強みがよく分かりません。聞かれた時に答えられる言葉はあるけど、それが本当に強みと呼んでいいものなのかどうかも分からない。

職場の面談の時にも、「あなたの課題は自分の強みを自分で認識していないこと」「どこかで自分を認めてあげて」などなど、「自分のことを大切にしなさい」みたいな感じのことを言われて、ああわたしって、自分のことなんにも分かってないんだろうなあと思いました。

夢も薄ぼんやりしたものとか、直近の目標めいたものならあるんだけど、人生の指標となりうるものはまだ全然分かりません。

自分だけのマイプロを成し遂げてみたい」とか「自分の人生もみんなの人生も大切に出来る人になりたい」っていうのは夢と呼べるのかな?

帰ってきてからも考えてみたけど、あんまりよく分からないままでした。

でも、今はまだ見つからなくてもいいかな、と思っています。

これから色んな経験をする中でゆっくり見つけていこうかな。

如夢初醒

怪しい宗教の話から始まりダラダラと書いてきましたが、国創りFESって端的に言えば「努力次第で面白い人たちや新しい自分に出会える4日間」なのだと思います。

この「努力次第で」というのが意外と大事で、ここに来る仲間たちはみんな、与えられた問いやアクティビティに真剣に向き合う人たちです。真剣に向き合わなければ、得られるものも得られません。そうやってみんなが真剣に向き合っているさまを、宗教と揶揄されるのだろうとも思います。

自分のことをひたすら考える、という問題設定そのものや、「表現」というツールが怪しさを深めているのかもしれません。

この国創りから帰ってきて比較的すぐ現実に引き戻され、この1カ月記憶をゆっくり整理する時間もないまま慌ただしく日々を過ごしていましたが(と言いつつ今も常にたまり続けるタスクと戦っているのですが)、改めてこの超怪しいぱっと見よく分からんイベントに参加してみて思ったのは、想像もつかないような「非日常」な時間って人生の中でいらないようで必要な時間なんだろうな~ということです。

この4日間で取り組んだことは間違いなく誰にとっても価値のあるものだと思います。でも、見る人が見ればまったく想像もつかないし理解もできないものだとも思います。想像がつかないものに対する拒絶感はいつしか「怪しい宗教」に変わって広がっていくんだろうな。

…でも想像つかないものを面白がれないのってつまらなくない?

わたしは面白がる方の人生を歩んでいきたいです。
色んなものを面白がって首を突っ込みまくった約1年くらい、自分が知らなかった世界をたくさん見ることが出来ました。そこで出会った人達を見ていて、こんな生き方も悪くないなと思います。わたしも、もっともっと自分がワクワクできるようなことにチャレンジしていきたいです。

ある国の記憶

さ、がんばるぞ〜


追伸
章タイトルが全部四字熟語なのはわざとです

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