パット・シップマン『イヌ 人類最初のパートナー——ハイイロオオカミからディンゴまで』|読書ノート#8
〖2023年7月7日更新〗
邦題がNHKの『イヌ 人類最古のパートナー』(〈地球ドラマチック〉シリーズ)と極めて接近している。
原著は『Our Oldest Companions: The Story of the First Dogs』(2021)。パット・シップマンは、2015年に著書『The Invaders: How Humans and Their Dogs Drove Neanderthals to Extinction』(邦訳書:河合信和 監訳、柴田譲治 訳『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』(2015)原書房)で、ヨーロッパ(ユーラシア)の先住民であったネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシスまたはホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)が絶滅したのは、ホモ・サピエンス(現生人類)が家畜化した「イヌ」(後述)の助けによって、ネアンデルタール人より狩りで優位に立ったからだとする大胆な仮説を提唱した人物だ。
「動物の家畜化は、いつ、どこで成立したのか」という問いは、人類学や生物学などあらゆる分野で絶えず議論が積み重ねられている。家畜化した動物の中でも、特筆すべきはやはりイヌだろう。さまざまな生物学的な類似点が見出せるほか、その遺骸が人骨といっしょに埋葬されたと考えられる遺跡(墓)が見つかっていることなどから、一般に、太古の昔にヒトによって家畜化させられたオオカミが現在のイヌの祖先であると見られている。
ところが著者によると、オオカミの骨とイヌの骨とのあいだに明確な差異を見出すことは難しいのだそう。いくつか経験則に基づく指標がある(スタンリーとジョン・オルセン父子による指標、一部のイタリアの科学者による「狼爪」の有無の検証など)が、イヌの身体構造がひじょうに多様であるがゆえ、いずれも断定できるものではない。現存種で比較すると、行動や学習能力には明確な差異が認められるが、そういう類は遺らない。また、もしオオカミを家畜化した結果がイヌであるのなら、その家畜化の過程で、ヒトの周りにイヌと同時にオオカミも存在する必要がある。
筆者が「オオカミ・イヌ(wolf-dog)」と呼んでいる(ミーチェ・ジェルモンプレは「旧石器時代のイヌ」と呼んでいる)、古代のオオカミでも現代のイヌでもない存在を同定する——これが、人類最初のパートナーをめぐって本著が抉り出そうとしていることである。
上記のとおり、遺骨だけではオオカミとイヌとを分かちがたいし、生態も限定的にしか分からない。よってこれは、ヒトがどのようにして今日にいたったのかを調査し、その営みを透かしてオオカミ・イヌを複合的に検証する必要がある。実際に、本著の内容の半分以上は、旧石器時代のヒトに関する研究の紹介に割かれている。その中で一つ、私(豅)はデニーソヴァ人についてまったくの未知だったため、勉強になった。
結論から言えば、イヌの起源ないしオオカミ・イヌの起源は現在もよく分かっていない。もちろん発掘地点によって差異はあるが、おしなべて、あるとき(不詳)からイヌないしオオカミ・イヌがヒトの狩猟に同伴するようになり、イヌないしオオカミ・イヌはその嗅覚と俊敏性を、ヒトはその技術力を出し合って、みずからを大きく凌駕する巨躯を仕留め、成果を分け合っていたようだ。
いっぽう、古代のヒトが最終的に到達したオーストラリア大陸とアメリカ大陸については、比較的分かりやすい見解を得ることができる。
少なくとも最初にオーストラリア大陸に移住したヒトの集団は、家畜化したイヌないしオオカミ・イヌを同伴していなかったと見られる。ディンゴの祖先は、その集団が新大陸をイヌなしで十分に生き抜くすべを見出したあとの時代に、別の集団(不詳)によって運び込まれたが、狩猟などに活用されることなく野生化することで動物相に侵入したと考えられている。
また、北アメリカ大陸に移住したヒトの集団は、北アメリカ大陸のオオカミではなく、シベリアで家畜化したイヌないしオオカミ・イヌを同伴していたと見られる。シベリアのジョホフ島で発見された遺物からは、過酷な冬を生き抜くために冬眠しているホッキョクグマを狩っていたことをうかがわせるが、その後にベーリンジア(ベーリング海峡近辺)をどのように渡っていったのかは不明のままだ。
オーストラリア大陸と同様、南アメリカ大陸にも(ヨーロッパからの「本物」のイヌの導入以前に)イヌ科の動物を家畜化したり、意図的に埋葬したりした例が見つかっていない。なお、前者にはフクロオオカミ(タスマニアタイガー)、後者にはタテガミオオカミ、コミミイヌ、ヤブイヌ、カニクイイヌなどの固有種がある。
ここで、これまでだいぶ内容を端折って紹介してきたことをお詫びしたい。本著は、著者のパット・シップマンが、これまでに世界各地で行われてきた研究を整理し、現在の学説や筆者の考えを述べながら、ヒトとイヌとの絆の起源について叮嚀に記述されるよう注意が払われているように感じる。私(豅)には内容が難しく(また、訳文も決して平易ではないため)、うまく理解できなかった部分が多い。時間をおいて、再読を試みたい。
最後に、訳者の河合信和は、トマス・ハイラムらが2014年(本著が刊行される直前)に報告した、ホモ・サピエンスはオオカミ・イヌ出現よりもはるかに早くヨーロッパに現れ、そのたった数千年後にはネアンデルタール人が絶滅(ムステリアン文化、ならびにこれに後続する「移行的」文化であるシャテルペロニアン文化の消滅)したという研究結果により、シップマンのシナリオ(ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた)が成立しがたくなったと訳者あとがきで述べている。
また、ゴイェ洞窟やその他の遺跡で見つかっているオオカミ・イヌも、著者も認めているように、現生のイヌにはつながらないことが一般的見解になっている。現生のイヌにつながるオオカミ・イヌの存在を否定するものではないが、現状、そのルーツは謎のままとなっている。
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