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SS 蟻地獄 

「私を買わない?」
「……やめとく」

 ぼんやりとした顔は生気が無い。感情を持たない娘は、冗談を言う雰囲気は無い。まるでコンビニのやる気が無い店員にも見える。発せられた言葉は衝撃的で魅惑を感じる。こんな若い娘から誘いをかけられたのは初めてだ。

「……安くてもいいけど……」
 
 彼女は傷ついている風には感じないが、それでも意外そうな声に聞こえた。断られるとは思って無かったような、とまどい。それよりも自分のような初老の男に声をかける理由がわからない。いや逆だ、若い男の方が危険かもしれない。

「なにか食べるか?」

 こくりとうなずく彼女を確認してゆっくりと歩く。

 孫と歩いている老人だ、背が低いのは身長だけ発育が悪いのかもしれない、小さな体だと年齢が判らない。それでも若い体はふくよかな体つきに感じる。

(こんな娘でも男と寝るのか……)

 目をつむると彼女の裸体を想像できる。男の下になる硬い表情の女……

「何たべるの?」
「牛丼でもいいか」
「いいよ」

 腹を満たすだけの食事、店内には子供連れもいる。外食ですませる親と子供。いやそんなものはまだましだ、食べるのすら困窮する家庭もある。

(貧しくなったな日本)

 結婚もしないで子供を持たない自分に批判される国もたまったもんじゃないだろう。子供を持たないのは、高度成長期の「鍵っ子」のせいだ。家族の温かさを持てない子供が大人になって子供を作るわけがない。

「ねぇ、どこでする?」
「家にいこう」

 彼女が声を落として小さな声でつぶやいても店内に響くような錯覚を感じる。あわてて店を出る。

 歩きながらいろいろと考える、美人局かもしれない、妊娠したので費用を工面したいのかもしれない。だがそんな雑念よりも、娘への興味の方が強い。

 古いアパートは鉄さびだらけで、ボロボロだ。誰かに見られていないか警戒しながら彼女の肩を押してドアの中にいれた。

「いくらあるの……」
「一万なら……」

 相場なんて知らないが、かなり安いと思う。がっかりするかと思ったが、娘は少しだけ微笑んだ。

「お風呂あるの?」
「湯船は汚いよ、シャワーを使って」

 娘は自分の家で着替えするように、下着を脱ぎ捨てる。あわててバスタオルをわたして、自分は居間で一服する。少しだけ震えている手は、テーブルに灰を落とす。いつ以来なのか忘れてしまった。

「お布団ある?」
「いま敷くよ……」

 ぶるぶると震える手で押し入れを開けて、布団を敷くと娘はすぐに横になり、手で顔を隠す。まるでカクレンボウをしている子供だ。湿った肌は、まだ若く白く幼い。ゆっくりと彼女の肌に触れながら温める。何歳なんだろうと思いながら愛撫をはじめた。

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「今日は何をたべる」
「うどんでいいか……」

 はじめの一回だけは金を受け取ったが、それからは食事をして抱くのが当たり前のように儀式になっていた。周囲から見れば単に食事をさせているだけの老人と孫にしか見えない。自分でも彼女は恋愛対象には感じない。

 駅前で彼女を待っていると、ゾロゾロと家に帰るサラリーマンやOLが出てくる。蟻の群れのように巣に帰る。大事な大事な巣には、あの娘のような子供が居るのだろう。

「どうしたの?」
「なんか蟻みたいでね」
「私は蟻とか見たことない」

 都会でコンクリだらけで地面なんて誰も見ない。俺は彼女を神社に連れて行くと、乾いた軒下のきしたを見せる。

「蟻がいるの?」
蟻地獄ありじごくがいるんだ」
「地獄なんだ」

 砂がすりばちにへこんでいる巣に、俺は蟻を捕まえて落として見せる。もがく蟻は上がれない。すりばちの下に落ちると黒いあごが現れて蟻を捕まえて、砂の中にもぐった。

「食べるの?」
「血を吸うのさ」

 立ち上がるとアパートに戻る。俺は……蟻地獄ありじごくだ。こんな部屋で若い娘の体をむさぼる。醜悪な蟻地獄ありじごく

 今日も彼女は声を出さずにもだえる体を愛する。なにかをじっと耐えるように泣くような声を漏らす。俺は醜い老人だ。

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 しばらくすると俺が駅前で待っていても娘は現れなくなった。気まぐれな娘を探そうとは思わない。俺はバイトしながら、たまに駅前でぼんやりとするのが習慣になっていた。何ヶ月かして彼女の顔も忘れていた頃に、赤ん坊を抱いた彼女が立っていた。

「産まれたの……」

 俺の子供なのだろうか? そう思うと心が温かくなる。なにか自分が別の生き物になったような錯覚がある。

「たまに見せに来るね」

 彼女は同年齢の男と歩いて去って行く。母親になった彼女は、まぶしい光の中を歩いていた。その光景が現実離れに感じて、まるで透明で美しいカゲロウにも見える。彼女は幸せな家庭で子供を育てて、その子供がまた誰かと子供を作る。

「俺は蟻地獄ありじごくのままだ……」
 震える手で、煙草をくわえた。

#小説
#蟻地獄
#ショートショート

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