SS 残月 【今朝の月】#シロクマ文芸部
今朝の月は半月で薄く白く感じる、次郎兵衛は深い山から里に戻るところだ。
「おっかあに肉を食わせるべ」
母親と二人暮らしの彼は猟をして暮らしている。今日は年老いた母のために鹿を殺してきた。里は数軒の家があるだけで、小さな集落だ。
「おっかあ帰った」
「次郎兵衛、良い知らせだよ」
家に入ると薄暗い囲炉裏に白い上品な服を着た女が座っている。
「どなたでしょう」
「お前の嫁さ」
うつむいた顔はやさしげで大人しそうに見える。嫁といってもこんな山奥に人が来る事はまれで、たまに商人が鹿の角や皮を交換に来るくらいだ。
「どちらから、きなすった」
「山を越えようとして父が殺されました」
山賊かなにかに山道で襲われて逃げてきたというが、このあたりは深い山しかなく通り抜ける道がない。
「それは、ごくろうをしなすった」
「もう行くあてもなく、難儀しております」
母は喜んでいるが次郎兵衛は、不思議な感じがするばかりで気になる。女が美しすぎるからだ。
(このような女は山で暮らすのはつらかろう)
次郎兵衛は、もっと下の村に連れて行こうと考えていたが、母親はすっかり嫁としてあつかってしまう。
長く一緒に住めば情も感じるし、なによりも女は山仕事も苦にはならずに、川での洗濯や山菜採りをこなす姿をみているといつしか愛情を感じて次郎兵衛と結ばれた。
子ができて大きくなると、すばしっこいのか足も速く山を飛ぶように登る娘になる。
(おらは、幸せだ)
そんな時に母親が大病になる。滋養をつけるために、まだ暗いうちに山で鹿を捕ろうと鉄砲をもって家を出ると嫁が必死にとめた。
「山の獣はもう殺さないでください」
「そうはいかぬ、暮らしが立たぬ」
「キノコや山菜で暮らせます」
嫁の腕をふりほどき山に入り、めぼしい得物を探していると子鹿がいた。不思議に怖がらずに近寄ってくる。かわいそうだが鉄砲で撃ち殺して、子鹿をかついで家に戻ると大きな白い牝鹿が立っていた。
「父を殺した憎い人間と思い、復讐にお前の家におとずれた。でもお前にも母がいる。私は殺さない事にしたのに」
そう言うと飛ぶように山に登っていく。驚いて家に入ると母は病で死んでいた。かついでいた子鹿を降ろすと、地面には自分の娘が倒れている。
次郎兵衛は、家を出て山を見上げる。白い残月が朝日に輝いていた。
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