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エッセイ:生成AI小説

 文学賞に興味がないですが、生成AIの小説が賞をとったので騒がれてます。早速、さわりだけ読んできました。今も、こんな硬い文章が読まれるんだと驚いてます。自分は日本のSF小説ばっかり読んできたので、似てるなって感じでした。

 実際は「生成AIが出力した文章を利用している」だけで、まるごと出力はしてません。九段理江さんの「東京都同情塔」を読んだコラムを見て判ったのは、生成AIの優等生的な無機質な言い回しに利用しているだけで、問題はなさそうです。

 自分は文章を書くときは、ATOKを利用してます。漢字とか辞書で調べてません。PCのアプリケーションの支援を受けて書いてます。生成AIも同じです。あくまでもアプリケーションの支援でしかないです。万年筆を使わなくても文章を書けます。それを誰も不思議に感じない時代です。生成AIの場合は、予想ですが、文章を自動生成される事に恐怖を感じる人が居るのかなと。

 プログラムを作っていると、必要なコードを自動生成する事はよくあります。特に昔のMFCのC++を使っていたら、外枠のコードは、ほぼ自動生成できます。別に不思議でもなんでもないです。こんなもんは二十年前から存在する話です。ChatGPTは単に、様々な小説から学習して、意味のありそうな文章を自動生成しているだけです。

 小説がなにかとても神聖で、機械では創作できないと信じ込んでいる人には、もしかしたら衝撃なのかもしれません。AI絵と同じようにAI小説も、小説家がアプリを利用して作る時代が来ても私は何も感じません。驚くべき事じゃないからです。

 もう今の人たちはPCが何でもできる事を知っているのです。だから大半の人間は「ふーん、だから何?」くらいにしか感じないのでしょう。そんなわけでnoteでも、あまり盛り上がらないまま終わりそうな予感。


なんかタワーに犯罪者を入れる未来小説らしいです

#ChatGPT
#生成AI
#芥川賞
#九段理江
#東京都同情塔


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