SS 上意討ち【読む時間】 #シロクマ文芸部
読む時間は不要だった。「上意」とだけ書かれている。左衛門はヒゲをむしりながら下人から受け取った書面を見ている。
「俺が討つのか」
「兄上」
「吉五郎、なんだ」
左衛門の弟が部屋に顔を出す。博打で金を無心にくる以外は顔を出さない。江戸時代の次男は捨て扶持で厄介者だ。長男が死なない限りは妻も持てない。
「婿入りが決まりました」
「柳沢の家か。よかったじゃないか」
「おつゆ殿は、美しく私は幸せです」
婿入りをすれば、その家で主人として扱われる。男として認められる。弟は剣の腕があるので、その強さを見込まれて吉五郎は婿になれた。
そろそろ隠居する父の書斎の前に立つ。
「左衛門です」
「入れ」
「上意をいただきました」
「……勝てるか」
「吉五郎は強いですから」
「これを使え」
父が貝の薬入れを取り出すと畳の上に置く。
「これは」
「ハブ毒だ」
遠く南の島に住む蛇の毒だと聞かされる。刀に塗って使う。
吉五郎は傲慢な性格で、剣の腕を誇り道場で自分より弱い相手を叩きのめす事もある。嫌われていたが剣の強さが正義の世界で誰も何も言わない。左衛門も手加減無用で打たれた事もある。自分への恨みがあるのは知っていた。同じ兄弟なのに境遇が違う。
「当主の吉五郎は居るか」
「ご在宅です、お待ちください」
柳沢家に着くと弟の在宅を確かめる。しばらくして下人が戻ってきて庭に案内された。剣の稽古ができる広い庭は、裕福さを象徴している。
「兄上ですか、おひさしぶりです」
木刀で稽古をする姿は勇ましく油断ができない。殺気を隠すのも難しい。
「お前に知らせたい事がある」
「あらたまって何でしょう」
薄ら笑いする吉五郎は格上の家で暮らしているためか、見下すような目をしている。弟は人生の絶頂の中で油断していた。
「お前が家督は継ぐ筈だった」
「意味がわかりません」
弟は不審そうに左衛門に近づいた。
「俺とお前は双子だ、俺が後に生まれた」
「私が長男だったと」
「双子は忌み嫌われた、赤子を並べるとお前に凶相があった」
「だから兄上……左衛門が家督を継いだと」
低く笑う声が、徐々に大きくなるとゲラゲラと大声になる。
「別にかまいませんよ、あんな貧乏な家を継ぐ気は……」
鎧通を抜くと腹に差し込む。大きく目を開く吉五郎は木刀で戦おうとしたがすぐに顔をゆがめて棒立ちのまま倒れた。
「吉五郎様、お食事ができました」
「おつゆ、すぐ行く」
柳沢家で朝餉をとる。弟が死ぬと内々に通夜が行われた。左衛門が死んだとお上に届けを出した。左衛門の家は別の家から養子を取る予定だ。
おつゆの肌にはむごい傷がある。吉五郎がひどい折檻をしていた、ゆゆしき事と柳沢家は城代家老に相談して上意討ちが決まる。ただ殺してしまうと柳沢家の汚点になるが、左衛門がそのまま入れ替われば体面を保てる。
「広い庭だな……」
美しい庭と美しい妻を持てる幸せを左衛門は実感する。弟はそれを理解できなかった。
※鎧通は、30センチメートルくらいの短刀で、戦闘で使用した。
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