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#少しずつの成長 17

僕が今まで生きてきた中で唯一納得のいく答えが出たものを今回は取り上げたいと思う。


人の存在意義とは。

なんで自分は生きているのだろう、
という問いは、すなわち自分のいる意味、存在意義は何かという問いと同義である。では自分の存在意義は、どうすればわかるのだろうか。

僕の答えを書こう。
自分が生きている間はまだわからないのだ。
死んでからわかるのが存在意義である。

生きている間に何か成果を出した人はそれを発案した人として存在意義が発生するが、そんなことは稀である。一般人がそんな大層なことを出せるわけではない。
またそのほかに何か存在意義が出るものは、あるとは思うが、今の僕には思いつかない。ということは、ほんの僅かしかないということである。なので、これから話すことはほとんどの人に当てはまると思われる。

人が死んだ時、誰か1人は悲しむ。なぜ悲しむのか。それはその人の存在が大切であったということである。自分は生きている意味がない、生きていても意味はないと思っているかもしれないが、実はこれまで自分に関わってくれた人は必ずいる。最初から最後までひとりということは絶対にないのだ。こういうことを考えられるようになるまで生きた人は。人が存在するということ自体、意味があるものであるがそれ以上の理由を考えるのは、人が考える力を持っているからだとおもう。

死を覚悟することは怖く、恐ろしいこと。しかし、覚悟さえ有れば自分はもう自由である。その後の人生などくそくらえであれば捨てることができると思う。



マイナスの気分はどこかで放す

自分では思ってないけれど、実は完璧主義なのかなと思っていて、自分が目指しているものが完璧の理想なので、しょうがないかな、と。

その一つとして、悪口は言わないということを心がけている。理由としてはもちろん、聞いている人の気持ちを害してしまうということ。

なのでマイナスのことはあまり人目のないところで発散する。なにかモノで消化できるものではないので、自分の限られた語彙をフル活用して言葉で表すしかない。

これが自分の特性である。



今日はこのへんで。
また。


#少しずつの成長
#liver_2022

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