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『春の雪』にみる、一時代の映画と栄華

 公開から20年、当時抱いた苦手意識をいまでも思い出せる。

かつて岩井俊二監督の助手を長く務めた行定勲監督が、劇場第2作目として発表した『ひまわり』(2000年)にこれだもの邦画はダメになっていくのじゃないかと、本気でおもったりした。『世界の中心で、愛をさけぶ』から、『ナラタージュ』『リバーズ・エッジ』までの10年以上、行定作品に遠ざかってきたのだった。おなじように、『いま、会いにゆきます』以来ずっと竹内結子さんの主演作にも遠ざかり、いまに至る。

原作を読んで、やっと映像化されたものに食指が動いた。

行定氏と所縁の深い伊藤ちひろ、佐藤信介の両氏が脚本を務める。原作で思い描いていた以上に、松枝家=綾倉家のお屋敷が豪華絢爛、細部に至るまで時代を再現しようとする見事な舞台に、制作側の力の入れようを知り圧倒される。そこにリー・ピンビン氏のカメラが情感豊かに流れるように、空気を映しだしてすばらしい。

長い原作を150分に纏めた脚本の要約に違和感はなくて、映画を観ればたいていストーリーを誤りなく理解できるほどの完成度であるとおもう。ただ、豊饒の海・第2部「奔馬」への大切な伏線となる松枝家の書生・飯沼の存在を、すっぽり割愛してある。そしてあとひとつあるとすれば、親友・本多繁邦(高岡奏輔)に武道をさせていた齟齬かもしれない。ふたりは学習院高等科の全寮制を逃れるため、贋の診断書を出し心臓弁膜症だの慢性気管支カタルだのと偽り、教練のひとつもしなかった。その気勢を憎んですらいたのだから。

ひどくハードルを下げつつも悪くはないのだった。行定作品のなかでも異色のスケール、初の三島由紀夫『春の雪』映像化とあっては東宝の力の入れようも半端でなかったと当時が窺われる。衣装に始まる時代再現、そのすべてに贅を尽くした一本。

恋に身を賭し夭折する清顕を演じた妻夫木聡氏の、笑わないふてぶてしさがよく似合っていた。

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