2012年10月 ②

 バシャールは、くじら(やイルカ)はわたしたち人間と同じで「家族の一員」だと言った。それを理解するにあたって、「あなたは、手足がなくなったら機能できなくなると思いますか?」という質問。「You don’t think you don’t have mobility?」

 肉には抵抗があるけど、魚介類は罪悪感なく食べられる。どうしてだろう?魚は見た目が「同種」という気がしない。牛や鳥は、自分たちと同じ「人間」や「生きているもの」という気がしやすい。手足があるからかな?

 魚は手足がないから同種という気がしない、そう考えて思った。もしかするとこの辺に、くじらが人間にとってどう大切か?という意味が隠されているかもしれない、と。

 人間の世界には、手足がない人たちがいる。手足がなくても生きている。「動けなくなるわけではない」ということがバシャールの言う所だとしたら。

 くじらは手足がなくて、水の中で生きている。だけど、人間と同じ種類の生き物(哺乳類)。人間は、地上で手足を使って動き、くじらは水中で(手足なく)体を使って動く。どちらも、それぞれのモビリティ(機動性)に合う環境で生息するようになっている。でも、「上」と「下」でそれぞれのステージは違う。マグネットドールが下の磁石に沿って動くように、くじらと人間は、もしかすると、「地上」と「水中」で対になっていないと、地球を支えることができないような間柄だったりして。それは、陰と陽の意味とも関係していたりして。地球を遠くから見てみると、その2つは同じ仕組み上にあったりして。

 水中が人間でいう「心の中」なら、漂うくじらたちは「精神的な考え」とでもいうか。人間の内側にある。それもかなり深い部分にあるもの。その精神的(スピリチャル)な考え(くじらたち)を自分で認めないことは、自分自身をよく知らない(地球が活性化していない)ということだったりして。

 くじらが唄うと、その声は地球の芯まで届くと言う。もしかして、胸がきゅんとなるあの気持ちのことを言うのかな?わくわくする気持ちも。

 地上で動くことのできる人間の脳みその波動のようなものが、水中と繋がっているのかもしれない。くじらがいないと、人間は気持ちを感じることができなかったりして。反対にくじらも、人間が地上にいないと存在できない何かを持ってたりして。

 人間はくじらを殺せるけど、くじらは人間を殺せない。フィジカル的に。でも、もしかしたら、内側から操れる方法で、直接的ではない方法で、人間のことを殺せるのかもしれない。自然災害や病を起こすような方法で。自然を使って人間に何かを知らせる行為ができる生き物だったりして。

 「空」「地」「海」、この3つにそれぞれ生息系が存在している。それらがうまくコミュニケーションが取れるようになると、宇宙を含んだ人間の大きな仕組みが理解できたりして?エイリアン、人間、くじら、この3つが協調してできる何かがあったりして。

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