Writing Cure(ライティングキュア)
2023年10月20日(金) 例え今日、故意に傷つけて後悔するほど大切な人を失くしたとしても、わたしは何も言えまい。 後悔して当たり前だし、悲しくなるのも当たり前で、自分が感じるすべてを受け入れるしかない。 優しくし足りなかったことも、全身全霊で守ってはいなかったことも、すべては自分がしたこと。「あるべき」で接するより自然に身を任せたのだ。それが自分なんだ。 今日あなたを失うのなら わたしはすべてを受け入れます そうするしかないから 失うことを恐れずにいられるよう
ペースが遅いからと言って、順応できないわけではなく。 わかっているからスピードを落としてるんだ。 この先、急な坂道がやって来るから。 アクセルを踏み続けてたら、吹き飛ばされそうな速さに気がすくんでついブレーキをかけてしまう。 加速しながら。 負荷をかけながら。 なるべくなら、ゆるやかに、ただ進むに任せたい。 可もなく不可もなく。 誰の邪魔にもならず。 静かに。 自分の好きなペースで。
2023年9月17日(日) すべてを許したとして、 次にすべきことは 「認識する」ことだ。 なぜそれが起こったか、を。 同じことをまた招かぬよう、 何を知っておくべきか、がわかる唯一の方法。 そのために「情報」は不可欠。 体を流れる血液のように、 ライフラインそのものだから。 自己蔑視の賜物。 自己愛が足りない。 他人の苦しみ。 愛する者が傷つけられること。 想像してみる、その共感感情が薄い。 愛の欠如または劣化。 愛しさ発生の源、その基盤が備わっていない。 も
2023年8月19日(土) 不当な扱いを受けた、と思う気持ち。 わかってもらえなくて悔しい、と思う気持ち。 しばらくは絡みつく。 ストレスは感じるけれど、やり過ごすしかない。 そのうち、自分の心が最も身軽でいられるには何を選ぶべきかわかってくる。 逆らわないのは勇者か? 受け入れ方はある。
2023年8月18日(金) 自分を受け入れられない 出てくるものを直視できない 自分が唯一差し出せるもので つながっていられるのなら ありがとうとぜひ言いたい 近寄り方はよくわからない 静寂を好むから ただ存在させてもらえる 充分な利益 Profit
2023年8月12日(土) こんなご時世だから余裕がない人もいる。 むやみやたらに批判するのではなく、人たちが希望的になるような伝え方だったら目にも止まらないし意味もある。 「真剣に取り組んでいます」と伝わる感覚。それがあればこそ他は問題にならない。 I care
2023年7月28日(金) わたしは、愁いの街で生まれた。 薄暗いビルの谷間。上を見上げて気がつく。 この街には明かりがない。 灯っていても、どことなく薄暗い。 そうわかった瞬間、受け入れた。 それが自分に植え込まれた自分の性質なんだと。 変えることはできないし、消し去ることもできない。 愁いは一生つきまとう。 触れ合いの中に切なさを感じている。 希望の中に絶望のようなものを感じている。
生まれ変わった気持ちで、なんて大それたことは言わない。 ただ、今あるものすべてに価値を感じて生きて行くんだ。 それを持てること、できること、見れること、聞ける、という事実を尊く感じながら。 ファイブデイズトゥゴー。
「今」 そう、「今」に集中するんだ。 明日死んでもいい、そう思いながら今日を過ごそう。
Much much myself. 長い間、認めてこなかったこと。 自分のルーツについて。 感性はどこから来ているのか、を。 「その時」を目にすることはあるだろうか? 感じることはできるだろうか? 「かわいそう」ということについて。 本人もそう思っているとは限らない。 ここで終わるということを選んだ時。その時。 不安がるな。 やったことを振り返るな。 過ぎたものを感じるな。 弱さから始まるのものすべて。 たとえ何かが起こっても、「これ
今見ているもの、それは虚空か? すべて虚空であれば、だからこそ、感じることができるのかもしれない。 考えたって始まらない。でも浮かび上がってくるんだからしょうがない。 同じエナジーのフロー。続けていくか、行かないか。 他の道はない。 今目の前にある道が自分の道。 「やらなきゃ良かった」と後悔する。 それが一番堪える。 後悔、が。 心を、後悔という虫がむさぼり食う。 むしゃむしゃ、もぐもぐ、と、決めた心を食べ続けてる。 ぜんぶ食べてなくなって、きれいさ
どんな人だって存在していいはず。EXISTANCEがすべてだ。透明の箱に入っているかのように、何の先入観も持たずに人が人を見ることができたなら、気持ちが自由になって、社会はもっと変わるだろう。まっ白ですっとした気持ち。 だから結局、結婚や家族作りは、パートナーと物づくりを楽しむ気持ちが一番の舵取りになる。 目に見えないその道 風につたって歩く もしかすると、「死ぬ」ということは、自分の魂やエネルギーのようなものを自分で別のレベルへと押し流していくことなのではない
もう誰にも何も期待しないことにした。そうじゃないと、自分が本当に好きなことは実現しない。 「人を気にしている」とはこのことだ。人がどう反応しようと、自分がそれを「良い」と信じていればいいことなのに。 誰に認められたいのか?誰のために作っているのか?きれいごと。きれいに見せようとしてばかり。ぬくぬくと、言い訳という毛布にくるまって、傷つかないようにプロテクトして。ずる賢いったらありゃしない。まるで、階段を一段ずつ足していくように、自然の流れは無視して。 「計算して
決めた瞬間、「あれ?」と思った。わたしは、実は、自分とまっすぐ向き合うことを避けてきたのではないかと。やれるのに、わざと他のことに集中していたのではないかと。できることが目の前にあるのに、他の何かを見て、本当に見るものから目をそむけてきたのではないかと。 「どうしてそこへたどり着けないんだろう?」と思ったら、「誰だってそこに行けるんじゃないか?」と思い始めた。誰だから行けるとか、誰だから行けない、のではなく、そこに行く人はそこへたどり着く。「そこへ行ったから今そこにいる
バシャールは、くじら(やイルカ)はわたしたち人間と同じで「家族の一員」だと言った。それを理解するにあたって、「あなたは、手足がなくなったら機能できなくなると思いますか?」という質問。「You don’t think you don’t have mobility?」 肉には抵抗があるけど、魚介類は罪悪感なく食べられる。どうしてだろう?魚は見た目が「同種」という気がしない。牛や鳥は、自分たちと同じ「人間」や「生きているもの」という気がしやすい。手足があるからかな? 魚
中にいる自分を、この与えられたボディに存在させることが人間のミッションだ。手術をして変えてしまう人もいるけれど、それは一見ミッションに反しているようでも、「起こることにはすべて意味があって、行えてしまうことはすべて最初からそうなる運命にあるんだから、どれもこれもみんな起こるべくしてただ起こっている」というセオリーが本当なら、それがその人のミッション遂行方法、それだけのことなのだろう。 言葉は心を伝えない。本当のことはなかなかわからない。「その意味」を心の底の底まで行って