速度について

田中芳樹の『銀河英雄伝説』に、疾風ヴォルフだったかなんちゃらだったかってキャラが出て来て、そいつがとにかく速くて、速いから強いんだみたいな書き方がされていた。銀英伝のストーリーなんか忘れ果てて、おたくでもなくなり、ゲームもやらなくなってからずいぶんたっても、この疾風なんちゃらという言葉だけは頭の中にこびりついていて、そしてこの言葉はぼくの中に速度に対する思いというか、ある種強迫観念めいたものを生み出す要因の一つになっていたように思う。

町を歩くとたまに、いかれた速度で走っていく原チャリや車に出くわすが、そういう時ぼくはそれらの車両を相当憎たらしく思っていた筈である。それなのに自分が自転車を漕ぐとなると時々、めちゃくちゃ速く走りたい気持ちになる事があり、そういう時ぼくは、自分は疾風ヴォルフのようだと感じていたものである。

それから、織田信長が明智光秀に殺された時の、羽柴秀吉のどんでん返し。あれもまた、判断、行為、移動すべての速度が桁外れで、謀略説すら囁かれるほど。

そんなこんなで、速度については、憧れの対象となる部分も確かにあるのかもしれない。

しかし最近ぼくはある事を考えるようになってきた。それは速度というものは手放しで褒められるものではなくて、適切かそうでないかと言う事を常に考えねばならないものなのではないか、という事だ。速度についてのこうした思考を、メタ速度、と呼ぶ事にする。

速度だけでなくメタ速度が備わった事で、ぼくは速度のせいで失敗する事があまりなくなった。自分が速度を出しそうになっている時、そういう衝動を感じる時に、「ちょっと待て、この速度で本当にいけるのか?」と一呼吸して少しだけ考えると、剥き出しのまま速度をぶつけるよりも遥かに良い結果となる事が多いのである。

だから速ければ速いほど強いとか成功するという訳でなくて、自分の速度に対する反省や思考がそこに伴わないと失敗ばかりする事になるのではないかと考える、昨今なのです。

蛇足・生まれ持っての自分の最大速度を剥き出しぶつける時も人生には一度か二度はあるんじゃないかと思う。それが例えば羽柴秀吉のどんでん返しだったわけで。

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