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なぜ人々は優越感を得るために、自ら嫌われる言動をするのだろうか?

こんにちは、にょびたです。

いつも行っているイオンモールでトイレに行った時に、

「本日、男性トイレです。」

という表示を見たのですが、その時私の頭の中で、

「本日とは?女性トイレになることもあるのかな?」

と、とても不思議に感じました。


さて、

旧ツイッターのXを見ていると、ふと私の中に疑問が湧いてきました。

それは、

「なぜ人々は優越感を得るために、自ら嫌われる言動をするのだろうか?」

ということです。

ある人は、他の人の間違いを指摘してマウントを取ろうとしていたり、またある人は、上から目線で話をしていたり、またある人は、他人を論破したと気持ちよくなっていたりするのをよく見かけるのです。

これを見た時に、

「あ〜、優越感に浸りたいのだなぁ〜」

と思うのですが、

優越感というものを考えてみると、

優越感は、他人を自分より下に置くことで自分の方が上だという感覚のため、下に置かれた人達からは嫌われることになります。

しかも、その順位は客観的なデータなどがあるのではなくて、主観的なものでしかないので、ただの自己中心的な感覚でしかないと思います。

それなのにも関わらず、

そのような優越感に浸りたい人のポストからは、「私を認めろ〜!」「私はすごいんだぞ〜!」というような、承認欲求の強さを感じることも多いのです。

周りの人から認められたいのであれば、マウントを取るという「自ら嫌われる言動」をなぜするのでしょうか?

一時の「優越感」という快楽を得るためにマウントを取り、他人からの信頼や信用を失い嫌われるのは、とても馬鹿げたことだなぁ〜と思います。

また、「因果応報」という言葉があるように、

他人に嫌われるような言動をするのは、後で自分に必ず巡り巡って還ってくると思っているので、私は「優越感」には気をつけようと思います。

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