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そうなる値打ちがあるはずよ

「自分らしいファッション」

去年の夏、新婚旅行に出かけた。行き先はヨーロッパ。鉄道オタクの夫とヨーロッパの鉄道に乗りながら各地を転々とした。

旅行そのものはとても楽しく充実したが、ヨーロッパの街中を歩く中で私は自分自身の発想の貧相さを嘆くこととなる。

当時私が着ていたのはユニクロで買った淡い色のTシャツと膝丈のスカート。過去にミスコンに出ていたりモデルの仕事をしているため自分のスタイルに多少の自信はある。だから日本でこのファッションをしたら、とりあえずまとまっているようには見えるかもしれない。

でも、「私らしさ」が出ているかというとそうではない。周囲によく馴染むファッション。私の代わりになる人間などごまんといるようなファッション。

「29歳だから」

「周りに浮かないように」

自分らしいファッションを楽しんでいるヨーロッパの人たちの中を、そんな基準で選んだ服を着て歩くのは逆に恥ずかしかった。だから、

「もう年齢とか周囲に馴染むこととか考えずに服を選ぼう(TPOを無視しようという意味ではない)。帰国したら自分らしいファッションを思う存分楽しもう」

新婚旅行から帰る飛行機の中で、私はそう誓った。


ちなみに新婚旅行についてはこちらのマガジンでも公開している。


見せない努力

「鈴木詩織は生まれ持ったものだけでなんとかしようとしてるだけで、何の努力もしていない」

なんてことを私はよく言われる。

一方で、特に何も見ようともしないのに「よく頑張ってますね。ファンです」と言われることもある。出会って間もない頃にこう言うのはある意味大人の礼儀かもしれないが、何度も交流していて私の実績などいくらでも確認のしようがあるのに確認もせず、ただのイメージだけでこう褒めてくるのはただの馬鹿である。

「努力してない」にしろ、なんとなくのイメージだけで語られる「努力してる」も、私にとってはイライラする言葉だ。

「他人のことに適当にああだこうだ言ってるくらいなら自分のことをしろ。何か言うのであればある程度確認してから言え」

自分の努力に対してあれこれ言われる時、私はそう言い返したい。

でも、私の方にも問題はあるのだ。

私は4度のコンテストに出場し、さらにモデルの仕事もやっている。上記の通り、スタイルには自信もある。そして私のこのスタイルは、確かに生まれ持った素材もあるが、自分で磨く努力もしてきた。

「作家・ライターの仕事を家でやっているときは、休憩の合間にちょくちょく筋トレをしてる」

なんてことを何気なく言ったら「ストイックすぎる」と驚かれたこともある。

私はそうやって自分のスタイルを磨いてきた。

タカかどうかなど見れば分かる

でも、どんなに努力して美しいスタイルを磨き上げてきたとしても、それを表現するファッションをしていなければ意味がない。自分から周囲に馴染む、体型を隠すファッションをしておいて「ちゃんと確認してから言え」は傲慢だ。

もちろん中には、私がコンテストに出場することや本を出版したことの報告に対してして「へー」とか「ふぅん」しか反応しないのに、「お前は努力してない」と言ってくる人もいる。

そしてSNSの日々の投稿やプロフィール欄を見れば私の実績をチェックできるものがたくさんあるのに、それも見ようともせずに適当な褒め言葉を上から目線で言って満足している人もたくさんいる。

そういう考えが浅い人は論外だし、相手にしないのが一番だ。

しかしそれでも私は体型やファッションに限らず、自分が培ってきたものをもっと表現するべきなのだと思う。自分自身が表現していないのに「評価されない」と嘆くのは甘い。

私は自分の努力によって磨き上げてきたものがある。ならば「そうなる値打ちがあるはずよ!」と開き直って表現したらいい。




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