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ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーは迫力大画面最高ゲームだった(参考文献:ゴジラ・ザ・ライド?!)

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見た。ゴールデンウイークのなんてことない1日に、レストランから「えいや」の勢いでレイトショーに駆け込んだその時、日本のマリオ愛を侮っていた自分に往復ビンタを叩きこみたくなったのは、いうまでもないだろう。

レイトショーなのに、この混みよう。見やすい席はもれず刈り取られており、何とか最終上映の前よりの中央席を確保して、期待に胸を膨らせながら本屋で暇をつぶした。

そして映画の結論だが。「楽しかった」。
そう、楽しかったのだ。
そして見終わった後思い出したのが、少し前に行った西武園ゆうえんちの「ゴジラ・ザ・ライド」だったのだ。

訳が分からないかもしれないが、一言で語るのであれば、これは「体験型映像アトラクション」に近いという結論である。

疑問は生まれず、むしろ納得すら感じる設定

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーは、マリオとルイージが暮らすニューヨークから始まる。配管工事の会社から独立した彼らは、ある日町の水道管破裂を解決しようとした最中で、不思議な土管に吸い込まれて、別世界へと行きついてしまう。

冒頭の映像を見て、「人・異種混合世界」への納得を感じたのだ。
僕は誇れるほどのオタクではなく、マリオパーティーやマリオカートをたしなんでいたレベルの「ライトユーザー」だったので、これが公式設定から持ってきたものかはわからない(調べたものの見つけられなかった・・・)。
だが、僕の知る限りではこの設定はない認識だったので、「あ、だから彼らだけ人間なのか!」というある種の感動があった。
さらに言えば、ピーチも劇中で人間界から迷い込んだことが言及されており、やはり明確に「人間」と「マリオ(正確には「ゲームのマリオ」の世界か)」を区別しているところがあり、僕はこの映画が一気に好きになったのだ。

ところで、僕は日本語吹き替え版を観に行ったのだが、驚くほどに声に違和感がないのがすごかった。

特にキノピオの関智一の職人技もすさまじい・・・。あの人は何でもできるんじゃないか?と思わせるほどのキノピオっぷりだった。
そして都度都度ゲームでも聞く「マンマミーア」などの声・・・。これマリオじゃん、いやマリオだけど!という感情になったのは、わかっていただけるだろう。

とにかくだ、このように劇場で目の当たりにする我々に「こんなのマリオじゃないじゃん」という邪念を微塵も感じさせないのが、今回の映画マリオの魅力である。

さすが、任天堂も入って全力で作られた作品。気合の入り方が違う。

興奮と進むストーリー、そこには「過去へのタイムスリップ」があった

ストーリーは、単純明快でクッパと戦うためいろんな困難に立ち向かう。そこには一点、「ルイージを助ける」というマリオの想いがあったのだ。

その想いを叶えるために、とにかくマリオはチャレンジを繰り返す。ピーチから叩きつけられたステージクリアの課題も、ドンキーコングとの決戦も、クッパとの決戦も・・・。とにかくマリオは「諦めない」という一心で困難に立ち向かっていく。ゲームで何度もトライアンドエラーをしてクリアしていったように。
その展開は、手に汗握る、というのにふさわしいものだった。

ストーリーと共に楽しめるのが、懐かしのキャラとステージだ。
あのキャラいたな!こんなキャラいたっけ?まるで間違い探しをしているかのような感覚で、スクリーンに釘付けになって細かいところまで見入ってしまう。
過去の自分のゲーム体験を思い出しながら、今目の前で巻き起こるストーリーと照らし合わせて楽しむ。なのにそこには「揺らぐことないあの日のマリオ」があるのだ。

過去のゲーム体験者たちの一ミリの「冷め」も感じさせず、ホットな感情のままラストシーンまで持ってかれてしまう。
これほどまでに精密で狂いのないタイムマシーンはあったのだろうか。
そう思えるほどに、懐かしのゲームを追体験しているかのような映画だった。

世代は違えど、懐かしと言えばの「西武園ゆうえんち」そして思い出す「ゴジラ・ザ・ライド」

懐かしの体験といえば、埼玉は所沢に位置する「西武園ゆうえんち」だ。

唐突かつ無理やりなこじつけであると思われるだろうが、そこは僕のゴールデンウイークの過ごし方を聞いてほしい。
前週の日曜日に遊びに行ったのが、まさにその「西武園ゆうえんち」だったのだ。記憶に新しい僕は、何故かそこで3回も乗った「ゴジラ・ザ・ライド」を思い出していたのだ。

ゴジラ・ザ・ライドとは、西武園ゆうえんちの目玉アトラクションである。西武園ゆうえんちに取り残された乗客たちが、隊員に救助されて特殊護送車で「ゴジラ」と「キングギドラ」から逃げる体験型のアトラクションだ。
とにかくすごいのが「音の身体での体験」と「映像美」であった。リアルな音での臨場感と水を浴び揺らされることで味わう刺激、そこに圧倒的なディテールと迫力の映像により、僕たちは一気にゴジラの世界を体感するのだ。

正に映画を出て感じた感想は、この「ゴジラ・ザ・ライド」と同じだった。「世界の体感」である。
ストーリーを観に行ったのではない。マリオの世界に行ったのだ。

それを象徴するシーンが、マリオカートのシーンだと思う。
クッパ率いる軍団がマリオたちをカートで追い詰めていくシーン。そこでマリオカートで走り抜けるマリオの主観のカットが数秒があった。
僕はこのなんてことないシーンが深く印象に残っている。小さい頃何度も友達のやっていたマリオカートに入り込んだかのような「映像体験」が出来たからだ。
これが、この映画で描こうとしてきた「映画で入り込むマリオの世界の体験」なのではないだろうか。

我々はマリオの世界の物語をともに歩み、感動し、興奮し、懐かしんだ。そこにあるのは彼らと共に体験した「マリオの世界」だったのだ。

アトラクションに乗るかのように楽しみを味わえる映画。それがこの映画の魅力であり、最大のヒットの要因であるのだ。そしてそれはイコールで、「映画じゃないともったいない」ということにもつながる。
映画のあの迫力と映像、そして音で、是非味わってほしい。


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