ノートの画面

そういえば文章は私を助けてくれた話

私は、ライターとして活動しはじめて、いろんな可能性が広がったけど…もともと文章を書いたり、文章で何かを表現するのは得意じゃなかったと思います。

でも今思えば昔から文章に助けられてきたなって思うことはあります。例えば、読書感想文はなぜか苦痛に感じたことないですし、なんなら夏休みの宿題でなんとか大臣賞?を受賞させていただいたことがあります、えっへん。

中途半端な自分語りはさておき、改めて文章に助けられてるなって思うことがあったのでお話しします。

何かと苦手の多い系女子だった

例えば、忘れ物も多ければ、運動もそこそこだし、芸術性もいまいちな上に文章なんてなおさら・・・・・・うおおおお、私苦手なことだらけ、だめだめじゃん、てへって感じですね。

大体何やっても平凡な感じ、器用貧乏なんて言葉もありますが、ほんと器用でもないので貧乏貧乏ですね。ひえええ。

苦手なのは自信がなかったから

なんでも苦手だな~って思ってたのは、実は自分に自信がなかったからなんですね。認められるように頑張ろうっていう努力とか、自分の作ったものに自信持ってみようという考えがそもそもなかったのです。

何を求めていたのかは知りませんが「こんなものでいいんだろうか」「他人様の目に晒されたらどう思われるんだろうか」そう思っていました。

高校生の夏、自信って何かに気づかされた

高校生の頃、友達に誘われて美術館に行きました。ちなみにそこには絵の具を巻き散らかしたようなアクティブなペイントがたくさん展示されていました。

「爆風」とか「怒り」とかいっぱいですけど「美術館に展示するほどの作品ってすごいな~」と思う反面「あれ、私でも描けそうじゃない?」とも思ってもいました。いや~、失礼な人間ですね。ごめんなさい。

もちろん、そんな作品できるわけないんです。作者じゃないからという理由だけじゃなくて、決定的に違う点があるからじゃないかなって気づかされました。

自分の作品に自信がないからです。作者は自信をもって展示物を作っています。自分の世界を表現する一つの方法として美術館に展示し、アートを共有しようとしてくれているのではないかと思いました。

そして、自信のためには努力が必要だと感じさせられました。一夜にして芸術家だったわけではないと思います。そこには並々ならぬ努力があったと思うんです。

振り返ると文章には助けられてた

ライターは、毎日を楽しくするために旦那からのすすめではじめました。でも最初のころはやっぱり「こんな文章誰が読んでくれるんだろう」「こんなのでいいのかな」が頭の中にぐーるぐる。

でも、自分の人生を振り返ってみるとなんとなく文章には助けられていたかもって思えたんです。

自分に足りないのが努力なんだっていうのも、改めて思い出しました。それまではある意味忘れていましたね。・・・やっぱり忘れっぽい。

そして、今でも文章に助けられています。何が書きたいのかわからなくなってきましたが、とにかく毎日を生きるための手助けをしてくれているんです。

あれ?私ってライター向いてる?・・・いやいや、そう思わず今後も楽しんでライターとして色んな事を表現していきたいと思います。

まずは・・・毎日更新頑張ろう。そう思う今日この頃でした。

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