ノートの画面

井の中の蛙系ライターの私が大海に出たらハッピーになれた話

私は元々漁師町に住んでいたので、旦那から言わせれば方言は“きつい方”だったみたい。自分の地域ではその言葉が通じるから、そのまま使うのは当然だし、何の不思議もないからまさに井の中の蛙大海を知らず状態。

でも実は「井の中の蛙大海を知らず」には続きがあったので、今日はそんな話をします。

全てが井の中の蛙状態

例えば、私の地域には「スイバリ」という言葉があります。この言葉がわかる人は私と同じ山口県民か、山口県に知り合いがいる人か、日本語にとてつもなく詳しい人だと思います。

ちなみにスイバリは木のトゲみたいなもののことを言います。うーん、伝わりにくいですよね。

何が言いたかったかというと、私はスイバリという言葉を知っている人としか付き合ってこなかったので、大海は知らなかったわけです。

ライターとしても同じ事がいえて、孤独ライターだったので営業のやり方、文章の書き方の基本、業界用語?なんかも全然わかりませんでした。

井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る

「井の中の蛙大海を知らず」が元々のことわざで、その後に「されど空の深さを知る」と日本に伝わってから付け加えられたようです。ただ、付け加えられる言葉はいろいろ説があるみたいですね。

狭い世界しか知らないけれど、そこを追求することはできるとか、中のことを知っている(または深めている)・・・そういうニュアンスで使われるようですね、ふむふむ。

井の中の蛙系ライターとして、何もわからないなりにどうすればライターとして生きていけるものか、この言葉はどういう意味なのかと自分なりに日々探求していました。

もっと深く知るために井戸から顔をだしてみました

ライターとして背中を押してくれたのは、紛れもなく旦那です。そして、井戸から出ろと紐を垂らしてくれたのも旦那です。そして余談ですがスイバリは方言であると気づかせてくれたのもまた旦那なんですね。

それまで深ささえもわからなかった井戸からひょっこり顔を出してみたら、面白い世界がいっぱい広がっていました。私の知識や経験は大切なものだけど、欠片でしかない。

知らないことを知るためには、調べるだけじゃ足りなくて色んな人との関わりの中から経験や知識を分けてもらう、共有しあうことでお互いをもっと深められるのでは、と当たり前かもしれないことに井戸から出てやっと気づきました。

井の中の蛙系ライターから一歩ずつ前進

色んな人との関わりは本当に楽しいし、毎日が発見。私だけでは経験しきれないことを一緒に経験できているようで、井の中の蛙系ライターから一歩ずつ前進しています。

顔を出してみてよかった、書くことに孤独を感じていたけど、井戸から出てみたら書くことがもっと楽しくなった。結局のところ、ハッピーになった!ライターとして、毎日をもっと楽しみながら文章を書いていきたいなって思う今日この頃でした。

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