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映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』に向けて、『SEEDシリーズ』の魅力をガンダム初心者の視点で語る(映画のネタバレなし、アニメのネタバレあり)

こんにちは、凛です。3月も終わった三寒四温のこの頃、家でまったりとインドア気味に過ごしております。春なのに雪も降っているの凄い。

さて、先日、話題の映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を観に行ってきました。公開から2か月した今も、盛り上がっています。

アニメが放送された当時の私は高校受験のため、興味はあったものの観ることはできませんでした。社会人になっても縁がありませんでしたが、X(旧ツイッター)や周りでも話題が持ちきりで、一度きちんと観てみたいと、本編SEEDシリーズのアニメ全話の履修をはじめ、映画も行きました。

何故20年前のアニメの続編が映画のランキングでも上位に入り、こんなに大ヒットしているのか、驚いていると思います。しかし、映画を観たら腑に落ちました。20年前のアニメ本編からのメッセージが映画にも受け継がれて、「問い」に対する「答え」がそこにあったからです。

そのため、本記事では是非、皆さんに映画を観て欲しいので、映画を楽しむためにアニメ本編のガンダムSEEDシリーズについて、魅力を掘り下げてお伝えいたします。



アニメ版ガンダムSEEDシリーズとは?

機動戦士ガンダムSEEDシリーズとは、1979年から始まったロボットアニメ『機動戦士ガンダム』のうち、2002年より放送された『機動戦士ガンダムSEED』と2004年からの続編『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』のことを指しています。今回の映画は、SEEDからは4年後、DESTINYから2年後の物語となっています。

ガンダムSEEDとはどんな物語か?

C.E.(コズミック・イラ)70年、ナチュラル(従来の人類)とコーディネイター(出生前、遺伝子調整を受けた新たな人類)が、それぞれ国家郡・地球連合による地球連合軍と宇宙国家プラントによる軍事組織ザフトに分かれ、世界は戦争を長きにわたり繰り広げていました。

本作の主人公であるコーディネイターのキラ・ヤマトは、中立国オーブでナチュラルの友人達と平和な学生生活を送っていました。しかし、中立国なのに裏で地球連合軍による軍事兵器「モビルスーツ」の新型が開発されており、軍事組織ザフトによって強襲を受け、そこでキラはザフトの軍人となったかつての幼馴染で親友のアスラン・ザラと再会します。

こうして、キラは望まぬ戦争にナチュラルの友人達と共に巻き込まれ、親友であったアスランとも敵対していくことになります。

ガンダムSEEDは平和を愛する心優しい少年キラ・ヤマトと幼馴染である親友アスラン・ザラとの望まぬ対立、世界的に蔓延するナチュラルとコーディネイターの間にある人種差別、そしていつまでも終わらない戦争への苦悩と悲劇、登場人物たちの成長を描いた物語です。

ガンダムSEED DESTINYとはどんな物語か?

続編DESTINYでは、前作で結ばれた協定の元、停戦中なのに2年経っても「争い」は絶えず、本作の主人公であるコーディネイターのシン・アスカが連合国軍とオーブとの戦争で家族を失う場面から物語は始まります。

シンは家族を失った絶望から、自国オーブや連合国軍、ナチュラルを恨み、その憎しみからザフトに入隊し、軍人になります。
軍人として各地を回り任務を果たしていきますが、憎しみは癒えずにプラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダルの在り方に飲まれるかのように、負の感情を暴走させます。

デュランダル議長は、戦争が起こる原因は人間の限りない欲望や予測の出来ない未来への不安=人間の弱さが原因だとして、人は最初から決められた「正しい道」を与えられるべき(=運命)だと考え、「人は自分を知り、精一杯のできることをして役立ち、満ち足りて幸せに生きることができるように」、争うことが無いように生まれる前から人の人生を決めてしまおうと、遺伝子工学の技術を利用した人類救済計画「ディスティニープラン」を計画し、実現を企てました。

しかし、前作の主人公キラは、人が未来を選択する自由(=人間としての尊厳)がそこにはないとアスランと一緒に、シン&デュランダル議長に立ち向かっていくという、ガンダムSEED DESTINYは前作と本作の主人公という異なる視点からみた「正義」を描いた物語です。

アニメ版ガンダムSEEDシリーズ本編から受け取ったメッセージ

SEEDおよびDESTINYのアニメ本編で受け取ったメッセージについて、少々語らせてください。

正義は人の数だけある(視点によって変わる)

まずSEEDからキラ・ヤマト、DESTINYからシン・アスカの主人公同士が物語でそれぞれが譲れないもののために敵対しました。それぞれの背景を明示した上での主人公同士を対立させる構造だからこそ、物語の主人公=絶対的正義ではなく、正義とはそれぞれの価値観や考え=人の数だけあるのだと腑に落ちました。

復讐の連鎖を断ち切る

次にSEEDではキラがアスランの友達の二コルを殺し、キラとキラの友達のトールをアスランが殺します(キラは実際には生きていた)。その後、トールの恋人であったミリアリアは、アスランの所属するザフト軍の捕虜ディアッカにトールの死を侮辱されて殺そうとしますが、仲間が銃で撃とうとしたのを「復讐してもトールは帰ってこない」と身を挺して庇います。
一方、かつての親友を殺したと思ったアスランは失意の中に居ます。キラの双子であるカガリは、「殺されたから殺して…殺したから殺されて…それで最後は本当に平和になるのかよ!」と激昂しますが、もう誰にも死んでほしくないと相手に自身が身に着けていた守り石のネックレスを託します。
そんなカガリ自身も父ウズミから、「お前が誰かの夫を撃てば、その妻はお前を恨むだろう。おまえが誰かの息子を撃てば、その母はお前を憎むだろう。そしてお前が誰かに撃たれれば、私はそいつを憎むだろう。こんな簡単な連鎖が何故わからん!」と諭されています。
このように、復讐=負の連鎖を止めなければ、争いは終わらないのだと作中ずっと色々な言葉で語られています。

人は簡単に「加害者」を作る

ギルバート議長の巧みな話術により、最初は人種差別組織「ブルーコスモス」が戦争の元凶だと民衆は煽動されて関係者たちを虐殺し始め、今度は自分達自身の欲望であるとギルバートが企てたディスティニープランへといとも容易く洗脳されていきます。
シンも負の感情を暴走させ、彼にとっての「悪」を裁いていきます。
どちらも自分の正当性や「正義」を主張するために、「悪」を作りたがる人の弱さです。

ガンダムSEEDシリーズで言い続けられていた問いと映画での20年越しの解答

ガンダムSEEDシリーズで言い続けられていた問いとは、「どうしたら、誰も争わずに済む、平和な世界に行けるか」ということだと私は思います。
ではその答えは何でしょう?

戦争(争い)を終わらせるために本当に必要なものは?

今まで、人にはその人だけの正義(考え方)があること、復讐の連鎖は断ち切らないといつまでも争いは終わらないこと、自身の正当性や「正義」を主張するために、人は簡単に「加害者」を作り出すことを見てきました。

そのために必要なのは互いに歩み寄る心だと私は思います。
根拠としては本編のSEED終盤で敵対していたキラにアスランは歩み寄り、軍のトップの父の教えや軍人としての誇り(正義)よりも優先しました。
DESTINYでシンも最後、憎き仇(加害者)だと撃ち落とした(殺したと思った)キラに手を差し伸べられて掴む場面があります。

映画の結末を観て、それはとてもシンプルな言葉で表されていて、アニメ本編から受け取ってきたメッセージは間違えではなかったと実感しました。

是非、SEEDシリーズの集大成の映画を観て、皆さんも答えを確かめてください。

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