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幼稚園での「自由な遊びの時間」がHSCの息子にとってはツラかったかもしれないこと
HSCと思われる息子との会話の中で、すごく印象的なことがあります。
それは「あのとき、実は、本当はこう思っていたんだ」と何年も経ってから話してくることがたまにあることです。
数年後ということもありましたが、中学生になってから「幼稚園に行っていた時に、実はこうだったんだ」と言われこともありました。
全ては覚えていないのですが、今日はそのうちのひとつについて書こうと思います。
中学1年の時だったでしょうか?
息子と一緒に道を歩いていたとき、なんとなく幼稚園時代の話になりました。
確か、小学校と幼稚園のどっちが良かったか(ニュアンス的には、どっちがマシだったか)という話だったと思います。
私が「小学校の方がルールが厳しくなかった? 幼稚園の方が自由だったんじゃない?」と息子に質問しました。
すると、息子は「表向きはそうかもしれないけど、どっちもルールがあったよ。俺は、小学校のルールの方が納得できたから、まだ良かったよ」というようなことを言ったのです。
そして、幼稚園のときに、先生から「今は自由時間なので、自由に絵を描いてもいいし、園庭に出ておにごっこをしてもいいですよ」と言われた話をしてくれました。
「俺は、おにごっこもしたくなかったし、絵だって描きたくなかった。本当に自由にしていい自由時間なら、家に帰りたかったんだよ」
そう言われて私はびっくりして「おお、確かに! なるほどね!」と言いました。
その後の息子の話から、次のようなことがわかりました。
小学校は、守るべきことがたくさんあって、一見窮屈そうだけれど、ルールにはそれなりに理由があるし、「決まりは守るべき」という雰囲気があり、多くの人が従っている。
それらの決まりには、理不尽なこともあるけれど、一応の理屈というか理由があるし、守るのに意味があるのもわかるのでそれほど反発する気持ちもない。
だけど、幼稚園は、一見、自由に見せかけて、「おにごっこは楽しいはず」「自分が好きな絵を描ける時間は楽しいはず」という雰囲気があって、「だから自由でしょ? 遊びでしょ?」 みたいな感じが嫌だったと。
そんな話だったと思います。
これには、いろいろな意見があると思うし、小学校よりも幼稚園の方が楽しかった人もいるかもしれないけれど、息子はそうだったんだと知り目から鱗が落ちました。
「そうか、だから、嫌だったんだね」
「うん」
息子の様子から、幼稚園は好きじゃないのは分かっていたけれど、その具体的な理由を言葉でしっかりと伝えてもらったのは初めてのことでした。
「あの時は、お母さんも、キミに集団に慣れて欲しい気持ちもあったんだよね。嫌なのは分かっていたけど」
「それは分かってる。だから我慢して行っていた」
「がんばっていたんだね。気持ちを聞かせてくれてありがとうね」
「うん」
過去の息子の気持ちや言い分を聴いても、「そうだったんだ」の先は言えないこともあります。
当時、もし、息子が気持ちを聴かせてくれても、どうにかこうにか諭して幼稚園に行かせていた気もするからです。
だから、安易に、今も謝れないし、そのとき言ってくれたら良かったのに、とも言えない自分もいます。
私の記憶では、息子のネガティブな思いに寄り添いすぎた気もしていたけれど、息子の話を聴くと、それほど寄り添えていなかった気もしてきます。
どこまで寄り添うのが正解だったのかも未だによくわかりません。
背中を押すことも必要だった気がするし、当時の自分も、精一杯考えていたはずだから。
だけど、何年も経ってからでも、息子が当時のつらかった気持ちを話してくれたことは有り難いなと思います。
だから
ありがとう。
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