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もう一度、世界へ ~ 復帰への525日、挑戦へのリスタート【柔道男子81kg級 藤原崇太郎(旭化成)】

■525日の苦闘を刻んだ銅メダル

主審の左手が上がった。

それを見届け畳の中央へ戻った藤原崇太郎は、静かに一礼をした。深々と下げた頭を上げた表情は、勝利を収めた選手とは思えないほど淡々としている。畳を下り、素早く会場を後にする足取りに喜びの気配はなく、その背中はどこか怒りさえ秘めているように見えた。
 
2024年5月11日。柔道グランドスラム・カザフスタン2024男子81kg級。ケガのため遠ざかっていた世界戦の畳に、藤原は戻ってきた。一回戦から順当に勝ち上がり準決勝に挑んだが、相手に技ありを取られ惜しくも敗退。そして臨んだ3位決定戦だった。
 
ほの暗い会場に、照明に照らされた黄色い畳が浮かび上がる。青い道着に身を包んだ藤原は、軽く頭を下げて畳の中央へ進むと対戦相手と向き合い、もう一度丁寧に礼をして、試合開始の合図と共に相手の懐へ飛び込んでいった。
 
小内刈り、大外刈りと仕掛けていくものの、なかなか技が決まらない。
慎重に間合いを取り合う両者に、指導が与えられた。

「押さえられて、藤原の左手がなかなか上がらないですね」

解説者の言葉の後、相手に2回目の指導が入る。手先の攻防が続く中、藤原が大内刈りを仕掛けた直後だった。

主審が試合を止め、ビデオでの検証を要求。リプレイ映像により相手の反則行為が確認され、その瞬間に試合は終わった。
 
あっけない幕切れではあったが、それでも藤原は確かに3位入賞を果たした。2022年12月3日、柔道グランドスラム東京での3位入賞から、525日が経っていた。
 

■支えているのは「勝ちたい」気持ちと惜しまぬ努力


「大切なのは『勝ちたい』という気持ちを持ち続けること」

IJFワールド柔道ツアー初優勝という輝かしい成績を収め、後にオリンピック強化選手へとつながっていった2018年2月の柔道グランドスラム・パリの後、藤原はそう語っていた。

そのために取り組んできたのが、柔道男子日本代表の鈴木桂治監督たちも舌を巻くほどの、日々の練習だ。「『努力に勝る天才は無し』と言うが、ただ『コツコツ』やる努力がしっかりと花開いている選手」と鈴木監督は言う。
 
「練習量と粘り強さが持ち味」と周囲に言わしめる土台は、中学時代に築いたものだ。小学生から始めた柔道で、「勝ちたい」という気持ちが芽生えたのも、中学校に上がってからだったという藤原。入学直後にかけられた「まっすぐに立ち、組み、先輩に一番投げられた人が最後には強くなる」というコーチの言葉を信じ、ひたすら日々の練習に取り組んできた。
 
それでも、世界の壁は厚い。

「勝ちたい」と思い続ける気持ちと、努力を惜しまない練習量をもってしても、あと一歩のところで東京五輪への出場には手が届かなかった。
 
「ぎりぎりで落ちた選手の顔しか浮かびません」

代表内定会見で、選考で落とさざるを得なかった選手たちの名前を、涙を浮かべながら読み上げた井上康生監督(当時)。声を詰まらせ発せられた「藤原崇太郎」の自らの名前。監督の涙声が、いっそう悔しさを募らせたことは、想像に難くなかった。
 

■挑戦は、敗北からはじまる


紙一重のところで、上がれなかった東京五輪の畳。しかし、藤原の持ち味は、悔しさを闘う力にできることだ。

気持ちも新たにパリ五輪への目標を掲げた中、再度の負傷にも気持ちを切らすことなく、世界戦の畳に戻ってきた。リスタートを飾った銅メダルは、長いブランクからの復帰戦の結果としては、上出来だったはずだ。

それでも藤原自身は、メダルを手にした安堵より、決勝まで勝ちきれなかった悔しさが勝っていたのだろう。
 
挑戦は、敗北からはじまる。
 
だからこそ、このたびの3位入賞は、敢えて「敗北」と呼びたい。

どんな状況にあっても「勝ちたい」気持ちを持ち続けること。それを挑戦と呼ぶのなら、敗北こそ、勝利の何倍、何十倍も飛躍の糧に代えていける。それが、藤原崇太郎の底力だから。
 
2022世界柔道選手権を前にした映像に、彼のインタビューが残されていた。再び世界へ挑む藤原へのはなむけに、彼自身のこの言葉を贈ろう。
 
「負けている暇はない」                                   (終)


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