ライト・ブリンガー 蒼光 第一部 第三章

第三章 「赤い霧の舞う夜に」

 光は教室に足を踏み入れた。
(修は……まだか)
 ざっと室内を見回し、修の不在を確認した。家も近く、一緒に帰っている光と修だが、登校時は別行動で来ていた。理由は簡単、光よりも修の方が起きる時間が遅いためだ。そのため、朝、途中で合流するという事は稀だ。
 今日は月曜日だ。光が生き方を決めてから二日が経ち、光も大分落ち着いてきていた。
 一時限目の授業の準備を済ませた光は、視線を外へと移した。ところどころ青空が見えたが、その空の七割程は雲に覆われている。
(――曇り、か……)
 ふと、視界の片隅、後方に、光と同じように外を見上げている人影が映った。
(……霞)
 彼女だった。何を考えているのか判らない、無表情で空を見つめている横顔。端整な顔立ちのために、その姿は美しく見える。普段は相手を威嚇するかのような鋭い視線も細められ、儚げで、絵になっていた。数人の男子が見惚れている程だ。
(……?)
 その中で、光は何か不自然さを感じた。
「…どうした、光?」
 不意に声を掛けえられ、はっとなって光はその方向へと顔を向けた。
「修か…」
「何だ、あいつに惚れたか?」
 いきなり耳元で囁く修の顎へ軽い一撃を見舞う。
「何を言うかと思えば……」
 呆れたように、光は呟く。
「…ま、冗談はおいといて、やっぱり気になるか、見られた事」
 顎を手でさすりながら、修が小声で言うのに、光は小さく頷いた。
「何を考えてるのか判らないからさ、気にかかるんだよ」
 これも小声で修に言う。周囲に聞き取られないようにするための配慮だ。もっとも、教室内はまだ騒がしいし、会話の内容も知らない者達にはさっぱり理解出来ないだろうが、自然と音量は落ちる。
「まぁ、それはしょうがねぇな」
 それには修も同意してくれた。
 と、そこまで話したところで一時限目の教師が教室に入ってきた。この高校は基本的に一学年は全員が同じ科目を履修する事になっており、各々の進路・得意不得意で科目選択を行うのは二学年からとなっている。
 古典を説明している教師の言葉をほとんど流し聞きしながら、光は目線だけを外へ向けた。普段ならば眠っているはずの授業だが、今日ばかりは眠れなかった。土曜日、日曜日と、時間を見つけては部屋に篭って具現力を使う練習をしていたため、疲れてしまい、普段よりもかなり早い時間に眠ってしまったのだ。そのため、光は今日、あまり眠くなかった。
(そう言えば、今日は駐輪場の調査日だっけ……)
 頬杖をついて、光はそんな事を考えていた。駐輪場調査、行うために臨時委員会を開いたのは先週の金曜日だというのに、執行日はすぐ次の登校日だ。
(これで昼休みの半分は没収か……)
 授業中であるため、誰にも判らないような小さな溜め息をついた。駐輪場調査は昼休みに回収を行い、放課後に残って返却をするのである。
(つっても、些細な悩みだな、今となっちゃ……)
 周囲に悟られぬよう、光は苦笑した。覚醒した事や、それによる周囲の変化の方が明らかに大きな悩みの種だ。とはいえ、それでも今までを一介の高校生として過ごしてきた光には、厭な事、だ。それに、その高校生活での事を、何とも思わないようになってしまえば、それこそ光の望んだ生き方から外れてしまう。だから、駐輪場調査を面倒だと感じる事自体に、光はどこか安心していた。

 光は帰路についていた。修とは一緒ではない。駐輪場調査のために放課後に居残りで、回収していた違反自転車の返却当番をしていたのである。光は修を先に返した。そこまで付き合わせては修に悪いと思ったからだ。
(……まだ、今日で三日目か)
 自分の力で具現力を発現させてから、まだ三日しか経っていない。それなのに、もう一週間以上の時が流れているように思えていた。
(……俺は、まだ普通の人間としてやっていける)
 拳を握り締め、光は一人、笑みを洩らした。具現力を得た事で、教室内で普通の人間として振る舞えるか不安があったのだ。しかし、今日一日過ごしてみて、修との会話内容以外には特に何も変わる事はなかった。
 サイクリングロードに差し掛かった光は、空に視線を向けた。日は丁度沈み、残光が辺りをまだ仄かに照らしている。雲はまだ少し残っていたが、それでも朝よりは大分晴れ間が覗いていた。
「ん?」
 前方に視線を戻した光は、奇妙な影を捉えた。数人の人影が動いていた。普通、この時間帯にはこのサイクリングロードはほとんど無人となる。人影があるというのは異常な事だ。
「――まさか…!」
 光は歩みを速めた。“VAN”の追手かもしれない、と光は思ったのだ。“ROV”がどの程度の規模かは知らないが、今までの経緯から察するにも、“VAN”自体はかなり大きな組織のように思えた。そのため、最悪の場合、多数の能力者が送り込まれるかもしれないと思っていた光は、それを想像したのだ。
 だが、現実は違った。いや、正しかったのかもしれない。
「……紅、霞……!」
 光は絶句した。
 そこには、多数の能力者を相手に立ち回る霞の姿があった。紅い燐光を帯びた瞳は鋭く、無表情で次々に襲い掛かる能力者を巧みな体術で捌いていた。
 拳を突き出す男を、右足を軸に体を反転させた霞が、左足の回し蹴りで吹き飛ばした。続いて、その背後から手刀を薙いできた男に対して、下方から跳ね上げた右手で手刀の軌道をずらし、かわす。更に、無防備になった男のこめかみに回し蹴りが命中し、男がコンクリートの地面に頭から激突した。遠方から飛来した光球を、間を掻い潜るようにして回避し、右手をかざした刹那、霞の肘から先が紅く発光し、螺旋を描くように周囲に細く長い筋となって閃光が飛び散った。それらの閃光は、遠方から攻撃してきていた能力者に突き刺さり、鮮血を散らした。そうして、初め数人いた能力者が全てその場に崩れ落ち、霞だけが残った。周囲には、光が見た時よりも多くの人間が転がっていた。
「――それは……!?」
 その、戦いを終えた霞の背中に光は問い掛けた。能力者だったのか、と。
 具現力の強さは、発現させていない光には判らなかったが、それでも霞が他の者に比べて圧倒的な強さ、戦闘技術を身に付けている事は判った。
「……ええ」
 霞は振り向きもせずに答えた。
 すっと、しなやかに髪をなびかせて、霞が振り向いた。その霞は無表情だった。
 だが、光には、確かに霞が孤独感を抱いている事が判った。均整の取れた動作で振り返った霞の無表情に秘められたそれは、光しか気付かなかっただろう。
「……私は普通の人間じゃない…」
 小さく、それでもはっきりと、霞は言った。光には、まるで、自分を追い詰めるかのような口調に聞こえた。事実、そうなのかもしれなかった。常に人を遠ざけ、自らも他者との接触を拒んでいる霞だ。孤独感を抱いていない方がおかしいのかもしれない。
「………」
 光は、何か声を掛けようと、口を開いた。しかし、言葉は出てこなかった。孤独感を抱き、心を閉ざしている者に対し、親しくもないものが言葉を掛けてやっても、打ち解ける事は出来ない。光はそれを知っていた。
「――口外はしないで」
 そんな光に、霞は視線を逸らし、そう告げた。修が霞に投げた言葉と重なる。光はそこで理解した。光が具現力を見られてしまった時の、霞の落ち着きようが、自らも能力者である事から来るものであった事を。そして、恐らくは彼女が人を遠ざけ、自らも遠ざかる理由がここにある事を。
「……しないよ」
 光はそう答える事しか出来なかった。自然と、視線が霞から外れる。気の利いた言葉の一つも掛けてやれない自分が情けなかった。
 会話が途切れ、どちらからもその場を離れる事が出来ずに、二人は気まずい時間を過ごした。
「何時までそうやってる気?」
 不意に、河原の方から声が飛んできた。光と霞が、その体に緊張を走らせ、同時にその方向に視線を向ける。
 人影がサイクリングロードと河原を繋ぐ斜面を登って来た。適当に切った短髪に、明るく活発な印象を与える顔つき。体格は良く、白地にところどころ文字の入ったシャツの袖は肘の辺りまで捲り上げ、ラフな格好をしている。全体的に軽く、活動的な印象を与える容姿に、好印象を与えるに十分な目つき。
「……東間!?」
 声を上げたのは光だ。霞はまだ具現力を閉ざしておらず、相変わらずの無表情に、紅い瞳でその人影を見ていた。現れたのは光のクラスメイト、東間 竜哉だった。光とは反対に、運動の得意な体育会系の生徒だ。
(――霞の具現力を見られた!?)
 現れた時の台詞からも、最初からその場にいたと推測出来る。となると、確実に霞の具現力は東間にばれたはずだ。
「まさか、全滅とはね……」
 東間が頬を人差し指で掻きながら、困ったような表情を浮かべた。
「――え?」
 光は耳を疑った。
「まぁ、実際に本人と確認出来たし、処分させてもらうか」
 明るい口調で東間がそんな事を言った。
「何を言って――!」
 その言葉が理解出来ない光の目の前で、東間の瞳が灰色の燐光を帯びた。光が一歩後ずさり、霞は身構える。
「探すのに苦労したぜ、“ROV”主力。赤羽 霞!」
「その名で呼ぶな!」
 東間の言葉に、霞が咆えた。はっとして光が視線を向けると、そこには、怒りを露わにする霞がいた。
(……赤羽!?)
 続いて、光は困惑する。霞の名字は「紅」のはずだ。だが、東間は「赤羽」と呼んだ。過去に何かあった事は間違いないだろうが、今はそんな事を訊いている暇はない。そして、“ROV”の主力という言葉。“ROV”という名を知っているということは、即ち東間が“VAN”である事と等しい。
 霞が紅い燐光を纏った手をかざす。
「火蒼、確かお前は中立だったな」
「――っ!!」
 光は絶句した。光が能力者である事も気付かれていたのだ。つまりは、“VAN”の中では光の存在が知れ渡っているという事だ。大きな組織である事を考えれば、当然と言えば当然の事だ。
「手を出すなよ?」
 霞の手から放たれた紅い閃光を回避しながら、東間は後方へ跳躍し、河原に下りた。それを追って霞が飛び出していく。着地した霞に、東間が跳びかかった。
 光は茫然としながらも、斜面へと足を踏み出していた。
 東間の突きを霞が潜り抜け、回し蹴りで反撃を試みる。それを察知した東間が後方へと跳び退き、距離を取って回避すると、体に巻きつけるようにした右手を横に振り払った。灰色の燐光を纏った手が、弧を描き、その手から灰色の刃が打ち出された。屈んでそれをかわした霞が地を蹴り、東間との距離を詰める。
「ちっ…!」
 東間の舌打ちが響いた。霞の突きは鋭く、外れると判断したらすぐに拳を引き、次の突きに備えている。そして、東間からの反撃の突きがあれば、それを回避した後に回し蹴りを繰り出していた。具現力で動体視力を上げていないため、光にはその攻防は凄まじいものに思えた。それでも何とか、状況が判るぐらいには追えていた。霞の攻撃が、紅い残光を残し、尾を引いて東間を追いかけて行く。霞が繰り出す攻撃が、防護膜を厚くさせて威力を増したものである事の証明だ。
「中々やる……!」
 東間が口元に笑みを浮かべる。が、目は笑っていない。対する霞は、執拗なまでに格闘攻撃を東間に攻撃を繰り出している。その表情には、東間に対する明らかな敵意が見て取れた。
「喰らえ!」
 東間が叫び、胸の前で交差させていた腕を左右に薙ぐ。それと同時に灰色の刃がバツ字に形成され、飛び込んでくる霞を迎え撃つように放たれた。寸前で横に跳び退いた霞が、受身を取ってすぐさま体勢を整える。灰色の燐光を帯びた三日月形の刃が立て続けに放たれ、霞が後方へと跳び退って行く。距離を取った霞が、両手をかざし、その間に紅い光球を作り出した。動きの止まった霞に、東間が追い撃ちの刃を繰り出していた。それらが命中する寸前、霞は光球を解き放ち、横へと回避行動に移った。紅い光球は、霞が離れた瞬間に弾け、周囲に棘のような細い閃光を振り撒いた。それらが全て、東間のもとへ向かっていくが、東間は腕を薙いで生成した灰色の刃で紅い閃光を数発打ち消し、残りを回避していった。
「…通常型としてはかなりの力だな」
 距離を取って霞と対峙した東間が呟いた。少し呼吸が乱れているようだ。対する霞も、同様に多少呼吸が乱れていた。力が拮抗しているという事なのだろう。
「つっても、所詮は通常型。第六特務部隊長としては、負ける訳にはいかないな!」
 言うと同時に、東間の両腕が灰色の輝きを帯びる。それを交互に薙ぎ、灰色の刃を飛ばしながら霞に突撃していった。
「素早さじゃ負けるが、攻撃力なら俺のが上だ」
 東間が灰色の刃を周囲に放ち、霞の逃げ道を塞いでいく。地を蹴り、空中へ逃れた霞に、東間が跳びかかった。
「空中なら避けられまい!」
「――っ!!」
 灰色の燐光を纏った右腕が、振り上げられた。霞は咄嗟に両腕を交差させ、その中央に紅い閃光を生じさせた。その紅い閃光から針のように小さな閃光が無数に、広範囲にばら撒かれた。近距離にいる東間にとっては厄介な攻撃のはずだったが、東間は開いている左腕で刃を円形に引き伸ばして盾にする事で霞の攻撃を防いだ。霞と東間の距離が縮まり、東間が右腕を霞に叩きつけた。
「――くっ!」
 交差させ、防護膜を厚くして東間の腕を受け止めた霞だったが、耐え切れずに地面へと叩きつけられた。そして、霞を下方へ叩きつけたために、反対に浮き上がった東間は下方へと灰色の刃を連続で射出し、追い撃ちをかけた。砂利や砂埃が舞い上がり、その部分を覆い隠すが、東間は空中にいる間、刃を放ち続けた。着地した東間へ、砂埃の中から幾筋もの紅い閃光が放たれたが、東間は側転してそれらを回避した。そこへ、砂埃の中を突き抜けて、霞が飛び出してきた。その頬には一筋の切り傷が浮かび、霞が着ている服にも幾つかの傷がついていた。薄っすらと血が滲んでいるところもあれば、服だけしか切れていないところもある。表情が険しくなっていたが、その瞳はまだ敵意を失ってはいなかった。
「あれで致命傷を受けてないってのは褒めてやるぜ!」
 東間が見下すような笑みを浮かべた。普段の彼からは想像もつかないような、陰湿な笑みだった。
 拳を紅い閃光に包み、霞が突きを繰り出す。東間が、拳を受け止めるかのように掌をかざした。
「そろそろカタをつけさせてもらう、お前は危険だ」
 東間の目に、殺気が篭るのが光には判った。霞の敵意の篭った視線と、東間の殺意の込められた視線が正面からぶつかる。
「――!」
 負けたのは、霞だった。直前に右に跳んだものの、東間のかざした掌から、鞭の放たれた灰色の刃が霞の左腕を切り裂いていた。幾筋もの深い切り傷を負いながら、それでも霞は受身を取って立ち上がった。その右手が、袖のほとんどなくなった左腕を押さえる。切り傷からは鮮血が滴り、足元の小石を紅く染めていった。霞の表情は、それでも崩れてはいなかった。呼吸は乱れていても、瞳にはまだ敵意があり、表情からは諦めを感じ取る事は出来ない。
「いつまでその強気な表情が持つかな?」
 攻撃能力は明らかに東間が上なのだろう。大きな傷を負わせた事で、東間は勝ちを確信したようだ。だが、それで隙が生じる事はなく、霞に対しての攻撃は段々と激しさを増していった。
(……俺は……)
 光は揺れていた。このまま見ているだけでいいのだろうか、という疑問が何度も頭の中を巡っている。霞にも、東間にも手を貸す必要はないと断言出来る。それは、光が中立という立場を望んだためであり、そうする事が中立を維持するための条件にもなるはずなのだ。どちらか一方に手を貸す事は、どちらか一方を敵に回す事だ。“VAN”には、光が能力者である事がばれているが、“ROV”の中にはまだ知らない者がいるであろう。このまま何もしなければ、恐らくは何の問題もなく、光は中立でいられるのかもしれない。
(……何を迷ってる……?)
 光は自問する。目の前では、まだ霞と東間が戦っている。最初優勢だった霞も、左腕に傷を負ってからは東間に押されつつあった。
 何故、こんなにも心が揺れるのだろうか。光自身にもそれはよく判らなかった。霞を助けるつもりはないし、ましてや東間に手を貸すつもりもない。
 劣勢にならながらも、霞は東間の攻撃を避け続けている。攻撃する隙を伺っているようだが、その隙を作り出すまいと、東間の攻撃が激しくなっていた。
(……いっそ……)
 ――逃げてしまおうか。
(!!)
 無意識のうちに頭に浮かんできた言葉に光は絶句した。
 確かに、この場から立ち去る事自体はそう難しい事ではない。霞も東間も、戦う事に集中しているために、むしろ立ち去る事は簡単なはずだ。だが、それは光自身が納得出来なかった。逃げる事は、今の現実から目を背ける事だ。中立という立場は、現実から目を背ける事ではないはずだ。戦いたくないのであれば、単に、どちらかに紛れ込んで戦闘要員からは外れていればいいのだ。だが、光はどちらの組織にも入りたくなかったから、中立の立場を取ったのである。戦いたくないから、今の生活を維持したいから、という理由だけではないのだ。
 しかし、中立という立場を考えると、ここで動くわけにはいかないのだ。どちらかに味方と見做されるのはまだいい。しかし、どちらかに敵と見做されるのは避けなければならない。光は自分の身を守っているだけではいけないのだから。
「――ぅぐっ!」
 苦悶の声に、光は伏せていた顔を上げた。その視界に、脇腹を灰色の刃に切り裂かれている霞が映った。そのまま、倒れ、右手で脇腹の傷を押さえながら、ずたずたの左腕で体を支え、霞は何とか起き上がる。その右手の指の隙間から、血が溢れ、服を染め河原を汚していく。
「梃子摺らせやがって……」
 東間が額の汗を拭い、呟く。そして、右手を一閃。
「――ぁぐっ!」
 霞の右足に刃が喰い込んだ。鮮血が迸り、霞が右足の傷を押さえる。血溜まりが、右足の傷を中心に広がっていく。それでも、霞の瞳にはまだ諦めの色はなかった。
(……そうか)
 その霞を視界に捉え、光は思った。彼女は自分と同じだったのだ、と。
 霞の、人を遠ざけ、自らも人から離れようとする態度。それは、弱い自分を守るための行為だ。自分以外の他者と接する事で傷付くのが怖いのだ。光が、家族や修以外の者に他人行儀に接するのも同じ事。本当に気の許せる相手ならば、自分を傷つけるような事はしない。そして、そんな相手ならば傷つけようと思わない。安心出来るから、自分自身を打ち明けられるのだ。昔の光は、他者との接触を快く思っていなかった。そう、修と出会うまでは。その頃の自分と、霞が重なって見えたのだ。たとえ表面では無表情を取り繕っていても、その奥深くの寂しさを完全に消す事は出来なかったのだ。そして、同じ経験のある光だけが、その寂しさを見つける事が出来た。朝、霞に対して感じた不自然さは、紛れも無く、それだった。
 光は静かに目を閉じる。
(――俺は、馬鹿だ!)
 閉ざされた、暗闇の視界を蒼白い閃光が満たす。刹那、光の感じる世界が変わった。知覚が拡大し、体は軽く、感覚は研ぎ澄まされる。
 目を開いた光は地を蹴った。足元を抉り、凄まじい速度で、光は疾走した。
「……死ね」
 東間が霞に向け、右手をかざした。その掌から、霞へと向かう空間の歪みを光は捉えた。そして、自ら霞の目の前に飛び出し、空間の歪みを正面から受け止める。放たれた灰色の刃が、縦に切り裂こうと、光に向かってくる。光は、蒼白い閃光に包まれた右手を持ち上げ、その刃を横殴りに、外側に弾くように叩き付け、打ち消した。空気の破裂するような音が周囲に響く。
「……何のつもりだ、火蒼。まさか敵対する気か……?」
 東間が、光の一撃を見て、驚きながらも問う。
「……うるさい、俺は俺の生き方をするまでだ」
 光は答えた。自分の望む生き方。それが、結果的に現在の生活の維持や、中立の立場を取る事となっているだけなのだ。他に望む事があれば、それをすればいい。
「まぁいい、どうせお前も始末する予定だったんだからな」
 東間はあっさりと気持ちを切り替えた。そして、左手を一閃。灰色の刃を、光は片手で打ち払い、消滅させた。力場によって空気を硬化させ、それを放っているのだと、具現力を解放した光には判った。
「……なら、迷う必要はなかったわけか」
 光は東間の言葉を聞き、呟く。東間は霞を倒した後、光にも攻撃を仕掛けるつもりだったようだ。それを聞いた光は、少し気が軽くなったのを感じた。
 光は霞を助けたいと思ったのだ。この場からだけでなく、その孤独感からも。修と接する事で、光は周囲に怯える必要のない事を学んだ。だから、今は周囲に誰がいようと、修と会話をする時だけは光は自分を曝け出す事が出来ているのだ。好きとか、嫌いとかの感情ではなく、霞に気付いて欲しかったのだ。誰も一人では生きてはいけないのだ、と。
「退いてくれ、東間」
 光は言った。
「何?」
 東間が顔をしかめた。
「俺は戦いたくない。だから、退いてくれ」
 霞を守るための最初の一撃から、東間の具現力よりも光の具現力の方が攻撃能力も、破壊力も高い事を悟っていた。単純な攻撃の繰り返しならば、光に利がある。
「甘ぇよ。退けるか」
 東間は呆れたように言い、身構えた。その両腕は灰色の燐光を帯びていた。
「……」
 ちらりと、光は背後に目を向けた。上体を起こし、光を見上げる霞と目が合う。驚きを隠せないとでも言いたげな目だった。
「隙あり!」
 前方から殺気を感じ、光は視線を戻した。東間が突撃してきていた。光は右手に精神力を集中させ、右腕を振り上げた。手の延長線上に剣を作るイメージで、蒼白い閃光を放出する。それが、光の立っている地面から前方へと切り上げられ、地面を割りながら東間へと向っていく。それを横に跳んで回避した東間がその攻撃の破壊力に驚愕した。
「…まさか、俺がお前より弱いなんて思ってないよな?」
 東間が口を開いた。光が、退け、と言った根拠が具現力の破壊力にある事に気付いたのだろう。
「そう簡単に勝てるなんて思ってない」
 光は答えた。威力で勝っていても、光の実戦経験は実質的にはこれで二度目だ。経験は東間の方が積んでいる。それに、そう簡単に倒せる相手だとは思えない。
「……雰囲気が大分違うな、光」
 東間が小さく洩らした。修と話している素の光と、東間の見ている光では印象は大分違うだろう。東間に対して、光は信頼感を持っていないからだ。
 と、東間が地を蹴った。左右の腕から灰色の刃を打ち出しながら、光に迫る。その刃を全て、蒼白い燐光を纏わせた拳で打ち払い、肩幅程度に開いた足の、左足を一歩後ろに下げ、右手と左手を軽く握って腰の辺りまで上げて、光は身構えた。武道の知識のない光には、その程度しか出来ないが、それでも動きやすい形にはなっていた。背後には、まだ霞がいる気配がある。光は東間を迎え撃つように、駆けた。恐らく、光が東間の攻撃を打ち消せるのを見て、遠距離での撃ち合いが不利だと判断したのだろう。接近戦に持ち込むつもりのようだ。
「――!」
 東間の突きを、光は半身になって回避する。直後、下半身へ向けて何かが向かってくる気配を感じ取り、光は咄嗟に跳び退いた。数瞬おいて、足払いがかけられていた。
「――かわしただとっ!?」
 呻き、東間が次の攻撃を繰り出す。まずは右拳を、体をずらして避け、左拳を逆に体をずらして避ける。そこに繰り出されるハイキックを横へ跳んで回避した。
「ちっ!」
 東間が舌打ちをし、着地した光を正面に捉えると、すぐさま灰色の刃を連続発射し、更に突撃する。灰色の刃を全て打ち消した光に、東間が突きを繰り出す。が、今回は今までの突きとは違った。拳と腕を包む燐光が厚いのだ。
「――っ!」
 光は身を仰け反らせ、突きを回避するが、東間の腕を包む燐光が周囲に放たれた。咄嗟に、体の前面の防護膜を厚くする事で何とか防いだ。
「喰らいやがれ!」
 東間が左腕をそこへ叩きつけてきた。
「くっ!」
 光は一度そのまま背中から倒れ、横へ転がって回避運動を取った。すぐに起き上がり、視線をもといた場所へと向けた。地面が縦に数メートル裂けていた。流石にあれを喰らったらまずかった。光の頬を冷や汗が伝う。
「……それがお前自身か、光?」
 東間が問う。
「そうだな、少なくとも今、俺はお前に遠慮しちゃいない」
 光は答えた。学校ではほとんど会話もせず、ぶつかる時があれば光の方から東間を避けていた。だが、今、この場は違う。完全に自分を曝け出しているとは言い切れないが、少なくとも光は東間を避けようとはしていない。
「何故、あいつを助けた?」
「どうせお前には解らない感情だ」
 霞の事だろうと判断し、光は答えた。具現力に目覚めた当初はどうだったかは知らないが、少なくとも今の東間を見る限りでは、孤独感はないだろう。組織には仲間がいるだろうし、クラスでも友人は多いのだから。
「ヒーロー気取りか、それとも恋か?」
 嘲笑うかのように、東間が言う。
「くだらねぇ。何が言いたい?」
 光は返した。
「…お前が死ぬ理由だ。いや、もしくは赤羽の、かな?」
 東間がにやりと笑みを浮かべ、両手を突き出す。その両手から凄まじい殺気を、光は感じた。避けようと足に力を込めた瞬間、光は気付いた。背後には霞がいるのだ。
「――!!」
 両腕を突き出し、盾をイメージする事で、蒼白い閃光が光の前面を包む。東間の両手から灰色の閃光が放たれた。今までのものとは威力が桁違いに大きいものだ。光の形成した盾は、何とかそれを凌ぎ切る事が出来たが、それでも衝撃は凄まじく、足が数センチ後ろへと下がっていた。
「……それだけの力がありながら、何故組織に来ない?」
「その理由がないからだ」
 東間の問いに、光は即答する。その意志だけははっきりしていた。
「お前だって能力者だろ。いずれは非能力者がお前の居場所を奪うぞ?」
「人に理由を押し付けるな。決めるのは俺だ」
 光は淡々と答える。その時になれば考えれば良い事だし、何より“VAN”に光の居場所があるとは思えない。今ある居場所を捨ててまで行く価値のある居場所だとも思えないのだ。
「……そろそろケリをつけるか…」
 東間は諦めたように溜め息をつくと、呟いた。直後、東間の体を覆う防護膜が厚みを増す。東間の左右に僅かな空間の歪みが生じ、そこから弧を描くようにして、光へと空間歪みが向かってくる。幾筋もの連続した歪みの筋が、光を挟むように前後に歪みが走り、更に左右からも歪みが光へと向けられた。上空からも歪みが向けられ、光へと空間の歪みが向けられていた。
「くっ…!」
 光は自分の周囲に、球状の盾を形成させ、一瞬遅れてやって来た灰色の閃光の連撃を防いだ。今までの攻撃よりも威力が高く、盾を維持する事が難しい。連撃が止んだ瞬間、二度目の猛攻が繰り出された。
「…なんて奴だ……まだ持つのか!?」
 東間が苦しげな表情で呻く。
「……なら!」
 東間から放たれる空間の歪みの一つが、光を逸れた。背後の方向へと一直線に向かっていくのが判る。
「霞っ!」
 光が振り返ろうとした瞬間、球状の盾が揺らめいた。集中力を削がれたために、盾を維持する精神力が減ったのである。そして、東間の攻撃が蒼白い閃光の盾を貫いた。
「――っ!」
 咄嗟に盾を解除し、光は後方へと逃れた。微かな空間の歪みの隙間に体を投じ、攻撃を間一髪のところで回避。前転するように受身を取ってすぐさま背後へと視線を向ける。連撃が続いていた。霞へと視線を向けると、先程の攻撃は回避出来たようで、傷が増えた様子はない。しかし、回避行動を取ったためか、受けた傷口が広がってしまったようだ。
(……もっと、速く……!)
 光は無意識のうちにそう念じていた。連撃が執拗なまでに光を狙って追ってくる。回避するのが精一杯で、攻撃に転じられない。もっと速く動ければなんとかなる、そう思ったのだ。
(……ここで負けるわけにはいかないんだ!!)
 刹那、光の体を覆う防護膜が厚みを増し、知覚が更に拡大された。研ぎ澄まされた感覚は、更にその鋭さを増し、時間間隔が遅くなる。向かってくる連撃の間を、今までの二倍以上の速度で光は駆け抜けた。連撃が光を追えない速度だ。東間は光の前面へと攻撃を集中させるが、光はそれを横に跳んで回り込む事で避けた。握り締めた右拳が閃光を纏う。
「くっ…馬鹿な!?」
 東間が光の加速に呻き、防御のための攻撃を取ろうとする。速度的に、回避は出来ないと判断したためだろう。だが、連撃のせいで集中力を削ってしまった東間は上手い具合に防御壁を形成できないようだ。そこへ光は右拳を突き出す。直撃を防ごうと、東間が体を逸らすが、遅い。
「――ぁっ!!」
 光の拳が東間の右肩を貫いた。その拳を覆う蒼白い閃光が炸裂し、一回り異常の大きな穴を穿つ。東間の右腕は、肩関節を消し飛ばし、千切れとんだ。一瞬遅れて、吹き飛ばされた肩口から鮮血が噴き出す。バランスを崩し、東間が左肩を地面にぶつけるようにして倒れた。
「…退け、命までは取るつもりはない……」
 光は呼吸を整えながら東間に言い放った。
「甘ぇよ!」
 苦痛に顔を歪めながらも、東間は左掌を光へと突き出した。そこから攻撃が放たれるよりも早く、その左腕の肘に光の蹴りが突き刺さっていた。蒼白い燐光を帯びた爪先が肘を砕き、そのまま引き千切った。白い骨が一瞬見え、噴き出した血が、白い部分を覆い隠した。光も幾らか返り血を浴びたはずだったが、防護膜で蒸発したらしく、光自身には一滴も返り血はついていなかった。
「それなら、もう戦えないだろ……」
 両腕を潰したのだ。恐らく、今まで通りの日常生活はもう遅れないだろう。
「……手がなければ攻撃出来ないとでも思ったか?」
 東間の声に余裕はない。その東間の足から、光へ向けて空間の歪みが走った。具現力は精神力で操るもの。即ち、手や足は精神力を集中させるための具体的なイメージを掴むのに有用なだけなのだ。手や足を使わずとも、具現力を使う事は出来る。
「――っ!」
 咄嗟に、光は体を逸らして攻撃を回避した。
(――どうすればいい!?)
 光は自問する。腕や脚を潰しても、具現力で攻撃する事は可能なのだ。戦意を削ぐ目的も兼ねて、光は東間の両腕を潰したが、それでも東間は戦う事を諦めている様子はなさそうだ。この戦いを終わらせる方法がないわけではない。東間を殺せば良いのだ。
(――けど!)
 光は殺したくはないのだ。中立という立場は、曖昧ではあるが、その分両組織の戦闘からはもっとも遠い位置にあるはずだ。それも踏まえて中立を選んでいるのだ。命を奪う事を避けたかったから。ここで東間の息の根を止めてしまう事は光自身の意志に反する事になる。だが、だからといってこのまま戦闘を続ける事は出来ない。
「……どうした、光? 殺さないのか!?」
 やはり判ったのだろう、東間が嘲笑うかのように言い、攻撃を繰り出す。
「…………」
 光は、ただ、それを避ける事しか出来なかった。
 だが――
「――え…!?」
 光のすぐ脇を、紅い閃光が駆け抜けた。その細い、レーザーのような閃光が、東間の眉間に突き刺さった。
「あ、赤…は……ね……!」
 東間の目が見開かれ、防護膜が消失すると、力を失った。
 光は視線を霞へと向けた。そこには、何とか立ち上がっている霞の姿があった。ゆっくりと、おぼつかない足取りで光の側まで歩いてくると、霞は東間を見下ろした。その霞は、掌を東間の死体に向けると、光弾を打ち下ろし、死体を消滅させた。
「…何で……」
 光は小さく呟いた。
「能力者を戦闘不能にするには、殺すしかないのよ……」
 霞が言う。その声には何の感情も含まれていなかった。
「……ぁ」
 ふらつき、倒れそうになった霞を、光は支えた。相当無理をしているのだろう。腿の傷を見る限り、歩く際にかなりの激痛を伴うはずだ。乱れた呼吸が傷の深さを物語っている。霞は一度具現力を閉ざし、再度解放させた。剥がれていた患部の防護膜が新たに張り直され、治癒効果が高まっているのが判った。
「……家、どこだ?」
 光は霞に問う。治癒効果が高められたからといって、その場で傷が癒えるわけではない。家までどれ程の距離があるかは判らないが、今の霞の状態では動くのもきついだろう。
「……」
 ゆっくりと、霞は光の支えを解いた。自力で帰るつもりのようだが、一歩踏み出す度に大きくふらつくのは見ていて痛々しい。
「無理するな……」
 光は駆け寄り、再度霞みを支えた。
「……」
 霞は今度は解こうとはしなかった。光に支えられたまま、右手で方向を示した。それを確認した光は、霞を抱き上げ、二人のバッグを拾うと一気に跳んだ。サイクリングロードの斜面を跳び越え、霞に指示された通りの方角へと跳んでいく。そうして、着いた場所は一軒のアパートだった。霞の示した部屋の前まで行き、ドアを開けて中に入った。ワンルームの間取りの部屋の中にはあまり物がなかった。
「……何で、助けたの?」
 床に下ろされた霞が、光に訊いた。
「……昔の俺と、君が被って見えたから」
 光は具現力を閉ざし、答えた。
「……え……?」
「……小学校低学年の頃だな。俺はその辺りまで喘息だった。実の両親は物心ついた頃に死んじまったし、病弱だったから、俺には友達なんていなかった。学校も休みがちで、たまに行けた時には周りの視線が痛かった。その頃は他人が怖かった」
 光は自分の身の上を語り始めた。生まれて間もなく喘息にかかり、それ以来入退院を繰り返す幼少期を送った光は、幼稚園にほとんど行く事が出来ず、基本的な他人付き合いを学ぶ事が出来なかった。そして、喘息という持病のために、運動は出来ず、他の人が楽しそうに遊んでいるのを見ている事しか出来なかった光は、体を動かす事を好まなくなったのは言うまでもない。だが、他のの人が楽しめる運動を楽しめない光を見る周りの視線は、あまり気持ちの良いものではなかった。やがて、光は人と関わる事を避けるようになった。
「小学校高学年になると、喘息はとりあえず治った。その頃になって、クラスの中に俺と同じように孤立している奴がいる事に気付いた。そいつは、両親が実業家で、影響力が凄かったんだな、きっと。で、本人もそれを快く思ってなかった。むしろ鬱陶しいと思ってみたいだな。互いに孤立してて、気になってたせいだと思うが、話し掛けたのは、確か同時だったな」
 光が話している、その人物は間違いなく修の事だ。霞も察しているだろう。何せ、光がまともに会話をして、尚且つ笑う事が出来る相手は家族を除いては修ぐらいしかいないからだ。
「とにかく、あの頃の俺も人を避けてたんだ。だから放っておけなかったってのが本音だ」
 光がそう言っている間に、霞は引き出しを開け、中から包帯等を取り出していた。具現力を閉ざし、傷口の消毒を行い、包帯を巻いて行く。脇腹と右足は何とか一人で負けていたが、左腕の包帯を巻くのに苦労していた。
「…包帯、貸して」
 そこに歩み寄った光は、霞から包帯を受け取り、左腕に巻いてやった。霞は光から目を逸らして押し黙ったまま、巻き終わるのを待っていた。
「……話しかけてくれる人や話しかけたい人がいるなら、避けないで。それはただ逃げてるだけだから」
 人間は誰しも、一人だけでは生きてはいけない。何かしらの形で影響しあい、共存していなければこの世界も維持できないのだ。一人で生きているつもりでも、毎日の食事の材料は他の人が作っているものだし、家も専門の人が建てたか、アパートならば借りる事になる。衣食住のほとんどは、自分以外の誰かが関係しているのだ。それなのに、人を避けるというのは、生きる事を避ける事にも繋がる。
「……一つ、訊かせて」
 霞が口を開いた。光は次の言葉を待つ。
「……何故、殺さなかったの?」
「……それは……」
 光は口篭った。何故か、と問われれば、それが普通の人間の神経というものだろう。だが、光も霞も普通の人間ではないのだ。更に、霞に至っては、東間を殺す事に躊躇いはなかった。
「能力者を戦闘不能にさせるためには、息の根を止めなければならないのよ?」
 光自身が一度迷った事を、霞はそのまま口にした。戦う事への躊躇いはないのに、殺す事への躊躇いがあるのだ。相手に勝つ手段が殺す事なのだから、それでは戦いを終わらせる事は出来ない。それを実感した光の中には戦う事への躊躇いが生じていた。
「……俺は、この力を使ってどうこうしたい訳じゃないし、“VAN”を潰そうと思うほど恨んじゃいない」
 それであればこそ選んだ中立なのだ。“VAN”にも、“ROV”にも、それぞれの言い分があり、どちらにも正しい事はある。だが、同時にどちらにも間違いがあるのだ。光個人の判断だが、どちらにも光を引き込むだけの正当性はなく、どちらにも敵に回すだけの間違いがない。
「今まで通りに生きていきたいんだ」
 何度も繰り返し思い、口に出してきた言葉を、霞に対しても言う。修には甘いと言われたが、まだ覚悟は決まらない。
「……言いたい事、解るわ」
 霞がぽつりと呟いた。相変わらず光と視線を合わせようとはしない。
「私も、今の、この生活は続けたいから」
 その生活の中に戦いが含まれていない事はすぐに判った。霞も、高校に通う、普通の人と同じ生活をしていたいのだろう。
「……俺からも一つ訊いてもいいか?」
「ええ」
 光の問いに、霞は視線も合わせずに小さく頷く。
「赤羽ってのは、どういう事だ?」
 赤羽、という言葉に霞が反応した。戦闘中の東間に対して、霞はかなりの怒りを露わにしていた。それが意味するところは、霞にとってはあまり他人に知られたくはない事なのだろう。
「……言いたくないならそれでも良い」
 霞の反応を見て、光は付け加えた。知られたくない事を掘り返されるのはあまり良い気分ではないはずだ。訊かれたからといってすぐに答えられるような事ではない。
「……五年程前になるわね。その名を捨てたのは」
「捨てた……? じゃあ、やっぱり、紅って偽名なのか?」
 戸籍等の問題もあるはずだ。下手をすると、霞自身、存在しない事になっているのかもしれない。
「……覚醒した時、私はこの力を暴走させてしまったのよ。私のは通常型だけど、具現力の暴走の破壊力は凄まじいものだったわ」
「暴走?」
「精神力で制御できる力を超えた時に起こる現象よ。その時の私は精神的にまだ未熟だったから、制御限界を超えて力を使ってしまったの。防護膜が解放されて、全身から具現力が周囲に向けて発散されたわ。家は酷い有様で、家族も皆巻き込んでしまった。私は、精神力が暴走の負荷に耐え切れず気絶してしまっただけだったけど」
 精神力で操る具現力の暴走。防護膜も精神力による力場の一つなのだろう。自分自身の身体能力を高めるために、自分の内側からその影響力が漏れてしまわないように無意識のうちに体の表面に張り巡らせているのだ。意識する事で厚みを変えられるのがその証拠だ。精神力や意識が司る具現力が暴走するという事自体、光には信じられない事だが、霞が嘘を言っているとも思えない。
「家は全壊し、家族が全員死んでしまったのに、私一人が無傷だった。それが気味悪がられて、私を引き取ってくれる人は誰もいなかったわ。それでも何とか、生活を補助してくれる人が見つかったから、その人から生活資金を貰って、今生きているのよ。流石に、一緒に住む事は拒否されたけどね。その時、名前を変えたわ」
 確かに、家族が全員死亡し、家すらも破壊された中で、一人だけ無傷でいればおかしいと思われて当然だろう。だが、具現力の存在を知られてしまっては、余計に周りは霞を避けてしましまうだけだ。結局、そうなってしまったらどうしようもないのだ。
「それで、人を避けてるのか……」
 恐らくはそうなのだろう、と光は感じた。周囲から気味悪がられ、邪魔者扱いされれば誰であろうと傷付くだろう。そして、家族という身近な人達を自分の失敗で殺してしまったとなれば、自責の念は強いはずだ。二度とそんな事を起こすまいと考えた時、人との接触を極力避けるという道を選んだのであろう。
(……解る気がするな、それも)
 他者を巻き込みたくないのだろう。霞は“VAN”に狙われているようだし、戦闘力も十分にある。帰りがけに襲われる事があるとすれば、その時に、誰か、知人と会話をしていたら、戦闘に巻き込んでしまうのは確実だ。光の時も、修を巻き込む事態になっていたのだから。光自身も、修以外に、光が具現力を使える事を知って欲しくないし、戦いに巻き込みたくはない。
「……俺も、そろそろ帰るよ」
 光は霞に背を向け、玄関へと向かった。霞はそれを無言で見送った。
 外に出て、ドアを閉めた光は具現力を解放した。人がいる気配は感覚で捉えられるため、周りに人がいない事は直ぐに判った。そして、視線がない事を確信した光は、跳んだ。
 防護膜の影響か、風はそれ程感じなかったが、それでも髪や服は風に靡いていた。体を動かす事の妨げになるであろう、空気抵抗等の障害をある程度感じないようにしているのだろう。
 サイクリングロードに着地した光は、家への道を急いだ。周囲への警戒を怠らずに進み、無事に家の前まで来ると具現力を閉ざす。
「……」
 深呼吸を数回繰り返し、気持ちを落ち着ける。普通に家に帰って来た自分に、気持ちを切り替えなければならないからだ。東間と戦った事も、霞と会話した事も、家族と過ごす光には無かった事。光自身の内側に全てを封印し、今まで通りの生活の中の自分を引き出してくる。
「……ただいま」
 気だるげに、玄関を潜った。その態度を取るのは、帰りが遅くなった時の光はいつも不機嫌そうにしているためだ。
「やけに遅かったな」
 階段の端に荷物を置き、ダイニングに入った光に晃が声を掛けた。その晃は、孝二、香織と共に夕食をとっている。
「…委員会でさ、駐輪場の調査とかやってたんだよ」
 不満そうな態度をとりながら、短い説明を加えた。そうして、そのまま夕食に加わった。手早く夕食を済ませ、光は階段のところに置いた荷物を持って二階の自室へと入った。荷物を置くと、ベッドへと倒れ込む。
「……疲れた……」
 ぽつりと呟く。駐輪場調査の番も勿論疲れたし、戦闘も疲れた。霞との会話も、光は素で接していた。精神的に今日は相当疲れている。
(……殺すしか、ないのか?)
 光は東間との戦闘を、霞との会話を思い返した。精神力さえあれば具現力は操れる。手や足を使うのは、力場をイメージしやすいからだろう。両腕がなくとも、生きていれば戦えるのだ。東間はそれを身を以って証明し、光に攻撃を繰り出した。どちらかの戦意が喪失するか、相手が消えるまで戦闘は続く。光は後者を選びたくはなかったから、前者を選んだ。だが、東間に戦意を喪失させる事は出来なかった。こうなると、戦闘を終わらせるには相手を消す以外になくなってしまう。もっとも、逃げるという手もあるのだが、相手が組織ぐるみである事を考えると、すぐに後を追われてしまうのだから無駄な事だ。それに、逃げるといっても、相手が戦いを仕掛けてこない場所へ逃げるというのであれば、ちょくちょく移動する生活をしなければならないだろう。そうなると、光が望む、今まで通りの生活は結局出来なくなってしまうのだ。そのため、逃げるという選択肢は論外なのだ。
(……殺すしか、ないんだろうな……)
 修も言っていた。覚悟を決めなければならない時が来る、と。修には、相手を消す選択肢以外選ぶ事が出来ない事が予測できていたのだろう。
(……覚悟、か……)
 それでも、光は相手を消すという選択肢を選びたくはなかった。


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