エッセイはじめました <神さまからの使い>
以前書いたエッセイでも少し触れたが、神さまの存在をぼんやりとではあるが、信じている。しかしそれは宗教的意味合いはない。空の上にいつでも私を見ている神さまがいる。だからたとえ一人でいても悪いことはできないし、逆に人知れずする善行も神さまは見ていてくれる。そんな考えだ。
三月の末のこと。その日は大の苦手としている早起きを頑張って学校へ行った。その帰り、ふとゲームセンターに立ち寄ると、UFOキャッチャーに大好きなキャラクターのぬいぐるみがあった。こ、これは欲しい……!とても欲しい!!!そう思い、挑戦してみたものの、惨敗。1500円も浪費してしまった。
私はすっかり悲しい気持ちになってしまい、半泣きで帰路についた。自分が悲しい気持ちでいると、なんだか周りにいる無関係の人も悲しいのではないかと勝手に思ってしまい、「大丈夫ですか?元気出してください。ラムネ食べますか?」とか言いたくなる。ラムネを食べたいのは私なのに。
その日はその気持ちが強く、外国人さんのスーツケースを持って一緒に階段を降りたりした。
帰宅ののち、母に聞いてみる。
「大好きなぬいぐるみのUFOキャッチャーとれなかったのだけど、今日の私は、早起きをとても頑張って、眠たかったけれどガイダンスをしっかり受けて、UFOキャッチャーしたあとだけれど人助けもしたのに、神さま、私のこと見てないのかなあ」
「でもあなた、見返りを求めて頑張ったりいいことしたわけじゃないでしょう」
そう言われるとぐうの音も出ず、でもまだ私は悲しい気持ちだった。
その日の夜のこと。スマートフォンでオンラインクレーンゲームを見ていると、ポケモンのゲンガーのぬいぐるみが今にもとれそうだった。
「どうしよう!ゲンガーとれそう!でもログインボーナスたまってないし……急がないと他の人がとっちゃう!!」
ゲンガーが特別大好きなわけではないし、そのぬいぐるみも初めて見たものだったけれど、私にはどうしてもゲンガーのぬいぐるみをとらないといけないような気がした。母に了解を得て課金をし、二回の挑戦ののち、ゲンガーを見事に獲得した。
しばらくしてから、ゲンガーのぬいぐるみは私の元へと届き、枕元に置いて毎晩なでている。
「わたしが風子のことを見ていないなんて失礼なことを。まったく。仕方のない子だねえ。ほら、ゲンガー。ちょっと風子のところに行って喜ばせてきなさい。」
ゲンガーを見ていると、空の上の神さまが私に呆れて「使い」を出したような想像をしてしまうのだ。
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