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生きて悩んでそして書いて

病んでいないと書けないというか、病んでいるから書くというか、何も悩みがなければ文字にしようという気持ちも湧かず、感覚の世界で歌い踊り食い、時を過ごしていればいいのである。

ただそれを続けていると、いつまでこんな生活をしているつもりなんだろうというもやもやとした不安のようなものが襲ってくる。

それも年を重ねるにつれて、友人たちの生活も変わり、遊ぶだけをしていることが怖くなってくるときがある。

人間は悩んでいなければ生きている意味もないかのように思ったりもする。

そうして書く暇がないなどと思っていたはずが、結局書きたいという気持ちが湧き起こり、机に向かったりするわけである。

別に書くことで悩みがなくなるわけではない。
もやもやが少しばかり実態のある棘として見え、避けやすくなるような、
傷の数をなるべく増やさない動きができるようになるという感覚に近い。

書いていれば、幾分か健やかな心を保ち生きていくことができる。
怖いのは、書く気力もなくなった時。

書けているのであればそれはまだまだ病み足りないのかもしれない。
生きる力に溢れている。

考えることすらもやめてしまったら、時間と忘却が助けてくれるのを待つしかない。

裏を返せば、そうならないためにも書く必要があるともいえる。
生きる力が失われないために、なんとか生きつないでいくために。

この命に少しでも希望と喜びを感じているのであれば、書いてはもがき、前に進んでいくのだと思う。

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