ゼロ・グラビティ

Wikipediaによるとヴェネツィア国際映画祭のオープニングに使われ、アカデミー賞もモリモリ受賞し、かの巨匠・タランティーノ監督やスピルバーグ監督・キャメロン監督も大絶賛、その他にもレビューで高い評価を受けている作品、「ゼロ・グラビティ」。
だからこそ敢えて声高に言いたい。
「この映画、つまんなくね?」と。

映像美は確かに素晴らしいの一言に尽きる。
宇宙という誰もが夢見るフロンティアの美しさと恐ろしさは画面だけで伝わってくる。
真空である宇宙に対して使う言葉として正しいのかは分からないが、宇宙に行ったことのない我々でも息を呑むほどリアリスティックな空気感があり、劇場の巨大なスクリーン以上のスケールを感じる画は圧巻だった。
宇宙服に映る照り返しの異様さは間違いなく宇宙という空間に唯一(そりゃ厳密には唯一ではないだろうが)光源たる太陽を、むしろそれ以外に闇と無だけが広がっていることを感じた。
自身の小ささを感じるほどに巨大な画の映るスクリーンに対し、シンと静まった劇場はその場の誰もが宇宙に取り残されたかのようで、その質素な音響もまたスケール感を強めていた。

というように、間違いなくその映像美は他の映画を圧倒し、初見で感動することは間違いなく、雰囲気も初めて味わうものだった。
これは当然ながら称賛するに値する。
が、「それだけ」なのだ。
物語をシンプルに要約してみて欲しい。
宇宙へ旅立ち、宇宙空間で任務に従事。
その中で事故が発生し、一人取り残されてしまう。
この極限の状況で何とか助かる術を探すが絶望的で、しかし亡くなった仲間を夢に見て、最後の賭けに出る。
あとは天に委ねて帰還を試み、帰還に成功、物語は幕を閉じる――。
ここまでに何か捻りがあっただろうか。
事故が起きました、奇跡的に自分だけ生還しました、という「物語のためのご都合」という必要なドラマを除けば、当たり前のことをし、どこかで見聞きしたような先の読めるストレートな展開だ。
最初から最後まで僕は「うん、そうだよね」としか思えず、「このシーンがドラマティックだった!」とか「この伏線にはド肝を抜かれた!」「この展開は驚いた!」が何もなかった。
宇宙にまだ見ぬロマンはあれどそこに無が広がっているように、この映画も美術にロマンはあれど広がっているのは無だったと言うわけだ。

映像だけは確かにスゴいので見る価値は無いとは言わないが、そのスゴさで他の部分に補正が掛かっていないか。
見る目が曇っていないか。
映画ファンに問いたい。

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