帰ってきたヒトラー

アドルフ=ヒトラーといえば人種差別と大虐殺の代名詞として今も世界中で最も慎重に扱うべき名前の一つである。
その名前を出した、その仕草を真似た、その格好を真似た、それだけで糾弾されることもある名前は今も昔も彼以外に存在しない、紛う事なき「悪名」である。
そんな彼を扱うというコンセプトだけでも大変センシティブなのだが、「帰ってきたヒトラー」はあろうことかコメディーとして扱ったのだから、世界中で賛否の嵐を起こした。
――というここまでは原作の小説の話であり、それを映像化したというのだから映画版はトチ狂っているとしか思えない。

題の通り、ヒトラーが突然タイムスリップするところから物語は始まる。
如何にヒトラーといえど人の子で、当然ながら困惑するが、自身に起きた異常事態を把握すると、次第に順応していく。
本物かモノマネか、どちらにしろ強烈なそのキャラクター性が次第に周りの人の支持を得て、テレビやYoutubeでもバズを起こしていき、そして現代でも政界にのし上がっていく――という物語だ。
あまりの面白さに原作小説(モチロン翻訳版だが)も読んでいるが、地の文もヒトラー目線であることを除けば内容にほぼ相違ない。
むしろヒトラー目線なために普段ではおかしいと思う思考がすんなり周りの反応を訝しむヒトラーの思考にすり替わってしまうので、そこで思考を上書きインストールされてしまうような犯罪者予備軍の人が読むのは危険だと思ったくらいか。

この作品の賞賛すべき点はいくつかあるが、まず最初に挙げるとすれば取り敢えずこのセンシティブな題材を取り上げたことが挑戦的だ。
そしてアドルフ=ヒトラーという人物はどういう人物か?を大悪党という色眼鏡を外して知ろうとしたこと、これが最も大きい。
作中でも彼の言動に周囲が時折「ん?」と引っ掛かるシーンがあるのだが、実際にそれはそうで、その狂人的な考えを除くとヒトラーという人物は地が優秀なのである。
そして何人たりとも己の行道を邪魔させないと言わんばかりのカリスマがあり、「先導するリーダーシップ」という有象無象を動かすには最も適したリーダーシップの執り方を素で行っている姿、これもまたヒトラーとしての解釈が(少なくとも僕の解釈とは)合致している。
そして「もしも現代にヒトラーが現れたら」というIfを解像度高くシミュレートしたストーリーが何よりも説得力があって素晴らしい。
現代に蘇ったところで彼の考えや行動指針は一切変わらず、そして揺るぎない信念を持っているだろうし、本物かモノマネかどちらにしてもその強烈なキャラクターは注目を浴びるだろう。
自分に起きた事態を受け入れたならば、冷静に情報を集めて現代を学ぶだろうし、目に新しいものがあれば使うだろうし、炎上という形でバズるのも想像がつく。
現政治に不満があれば徹底的に批判し、批判した上で自分ならこうするを堂々と宣言するだろうし、その上で再度政界での権力掌握をしたたかに目論むのも全くその通りだと納得できるくらい、史実のアドルフ=ヒトラーはそういう人物だ。

この作品のニクいところは、結末を少しボカしているところだ。
それまでヒトラーに協力してきた冴えないテレビマンとの最後の会話、そこで事態の全てを正しく理解した彼の顔(つまりは演技)は、それまでコメディーとして観ていた僕も急に背筋が凍り、恐怖を感じた。
そしてエンディングと共に流れる実際にヒトラーの格好で歩いた際の映像で、露骨に嫌悪感を表す人もいれば面白がって記念写真を撮ったりする人もいて、まさにこの作品で描いたことが起こり得る事実だということを認識して一際恐ろしくなる。
唯一起こり得ないことがヒトラーが現代にタイムスリップしてくることで、ただひたすらにそのことを有り難く思うのである。

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