寄生獣

年代から考えると僕の両親は割とオタク文化に触れていた方で、母はアニメージュ創刊号から買い揃えていたし、父も特撮に詳しくエヴァの大ファンでもあった。
そんな父の書斎に並んでいたマンガの一つが「寄生獣」だった。
岩明均作品は他に「七夕の国」が並んでいて、2作は父の持っているマンガの中でもお気に入りの作品だと言っていた(一番は「バリバリ伝説」)。
だからといって当時小学生の僕に読ませるには少々ハードな作品ではなかろうか……。

プロローグが印象的だ。
「ソレ」に関する説明らしい説明は一切なく、結局最後まで明かされることはない。
よく考えるとかなり強引な導入なのだが、それを感じさせずにパニックへと昇華させてスッと読ませてしまうのがとても良い。
当の寄生生物たちも己の出自を知らず、個体によっては疑問に持ち続けるというのもかなりリアリティーを感じていて、結局のところ人間も含めて我々は何故子孫を残す本能があるのだろうかとか、そもそも何故子孫を残すのだろうかとか、原初は何だったのかとか、詰まるところは我々も普段考えたり考えなかったりしていることと同じだ。
生態が異なるだけで、我々も同じ「命」というものだ。

「命」というテーマに置いて、田宮良子(途中で名前が変わるが、ここでは「田宮良子」で統一する)が最も重要な存在であり、個人的にはシンイチとミギーなんかどうでも良いとすら思える。
作中で最も知的で、自分たちの存在・生きるとは何か・命とは何か……と考えてはシンイチらと読者に問いかけ続けたキャラクターである。
その生への探究は今も僕の中にあって、行動指針というか、人生の考え方に大きな影響を受けた。
「寄生獣」という作品の枠を超えて好きなキャラクターの1人である。
どうでも良いが、好きなキャラクターといえばスケバンの子がめちゃくちゃ僕の性癖を捻じ曲げた。
治安が悪いけど一途な子、世界でいっちゃん好きな属性です。

かなりの時間差の後、アニメ版も製作されている。
アニメ版はおそらくシンイチの変化を分かりやすくするためだと思うが、初期ビジュアルにメガネが追加されている。
OPはベガスなのだが、この手の作品に安易にラウドシーンを持ち込むのは正直批判的に思っている。
残虐なシーンのある作品やアングラな作品にこういったスクリームを多用するアーティストが起用されがちだが、それは作品にもアーティストにも失礼な気がしていて、マーケティング的には致し方無いとは思いつつ、なんだか軽くなってしまうなぁと思ったりする。
メタルだったらよく悪魔や天使といったモチーフが使われるのでまだ分かる気がする。

この作品の最終巻のあとがきにて、作中の強敵「後藤」にシンイチが手を下すか下さないかで悩んだような話が記されている。
作品としても田宮良子に次いでテーマでもある「命」について考えさせられるキャラクターでもあって、後藤を見逃した場合にどういう物語になったのか、タラレバではあるものの読んでみたかったとは今でも思っている。

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