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コラム|はて?と気づけるように それに続く言葉を紡げるように

NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』が最終回を迎えました。ロスがすごい!毎朝見るのがほんとうにたのしみでした。見ていると気持ちが揺さぶられ、ときどき泣いたりもして、思わず感想を誰かに言いたくなるそんなドラマでした。
 
今回のnoteはコラム的にセルフヘルプグループに関連するかも?と思ったワンシーンに焦点をあてて書いてみたいと思います。
 

どのシーンかというと、婚姻制度について取り上げた週があったと思います。

寅子が星さんと結婚するとなったとき、姓をどうするかと悩む寅子の様子が描かれていました。私自身が事実婚なので興味深く拝見したということもあるのですが、この描写はグループにつながる前の私ぽい…!と重ねてみたところがありました。
 
『虎に翼』の公式Xにそのシーンが一部あったので貼ります。

結婚すればどちらかの名字が変わる。

悩む寅子は夢の中で「個人の平等や尊厳とかけ離れてはいないかしら?」と問いかけ、“いろんな寅子”と議論します。裁判官の寅子、優三さんと結婚した頃の寅子、学生時代の猪爪寅子、航一と再婚して星姓となった寅子と。
 
“いろんな寅子”が登場しそれぞれが意見を投げかける描写はコミカルであった一方で、安心して話せる場がないからこそ、ひとりで悩みごとを抱えもんもんとしているのかなと思いながら見ていました。

 
何かが当たり前や常識とされている社会では、それ以外のことを発言するのには大変な労力を要すると思います。
 
なかったことにされたり、取り合ってもらえなかったり。気にしすぎ、努力不足と言われたり。自責感や罪悪感からひとりで抱え込んでいたり、発言するまでにかなり傷ついていることもあるでしょう。相手に伝わるように言葉を紡ぐのは、言い表しようのないほどにしんどいものがあります。
 
悩むうちに自分の感覚が疑わしくなったり、信じれなくなったりして、気のせいかもしれないと、ぐっと自分の気持ちを押し殺してふたをすることもあるでしょう。
 
社会からの理解がない事柄にたいして、はて?と問題提起することも、それに続く言葉を発することも、本当に勇気がいるなあと思います。自問自答する寅子の描写から、ひとりで抱え込むことは無理もないよと思っていました。
 
 
私はそもそも「言葉がない」という感覚があったので、何をどのように言葉にしてよいかもわからない頃がありました。ただ、グループで人の話を聞くことから、話し方を教えてもらったような気がしています。『言葉を失ったあとで』(信田さよ子、上間陽子 著)という本に「自助グループって、語りのフォーマットを手に入れる場所なんですね。」とあるように、語りの型を教えてもらい、そこから少しずつ自分の語りができるようになったという感じでしょうか。
 
私は誰かに何かを共有するのに何年もかかってしまったけれど、セルフヘルプグループという安全な場で言葉を得たことは、人や社会と再びつながり直すために必要な過程でした。
 
 
寅子はどうするのだろうと見ていましたが、女子部の面々とのつながりが、セルフヘルプグループ的な存在だったのかもしれないと思います。(なんでもセルフヘルプグループにつなげることもないんですが)
 
「別にわがままなんかじゃないだろ。結婚しても名字を変えたくないと思うこと、当然の権利だろ。誰の顔色気にして弱気になっているんだ。」とよねさんは寅子に伝えます。

「当然の権利」

心のうちに抱く思いをまっとうなものとして否定せずに受け止めてくれる人がいること、どれほど心強かっただろうと思いました。
 
 
私も寅子のように、はて?と気づきたい。

何かが当たり前とされているなかでは、自分自身が何かに傷つけられていたとしてもそれに気づくことはむずかしい。あるいは、自分自身がマジョリティ側であるとき、その特権的な立場からマイノリティに抱かせてしまっている問題には気づけていないと思います。

「いま変わらなくても、その声がいつか何かを変えるかもしれない」
  
はて?と気づくことも、それに続く言葉を紡ぐこともあきらめずにしていきたいと、たくさんの学びと励ましをいただいたドラマでした。

 
ちなみに特に胸をうたれたシーンは、寅子の母であるはるさんの日記に「寅子ならこのあたりまでいけるはず」と、寅子の年収や賞与などが記されていたところでしょうか。寅子を「地獄」に送り出しながら、こうして寅子の可能性を信じていてくれたこと、めっちゃ泣きました。
 
ほかにも書きたくなることだらけ。
書き出すととまらなくなるので、さよーならまたいつか!

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